魔術学院アカヴィディア

コレクション8 アロマディフューザー

第75話 そこのあなた!

「ね~え、マルグリット、アカヴィディアの”根源的な恐怖”の噂、知ってるう?」


 新学期がはじまって慌ただしい魔術学院。学生用のラウンジで魔方陣を描く2人の女子生徒がいた。

 マルグリットは自分の隣に座っている茶髪の少女を小突く。


「レオニー、へんなこと言ってないで手を動かしてよ。今日中に魔方陣を仕上げないと、ヘルミーナ様に怒られちゃうわよ」

「分かってないなあ、マルグリット。ヘルミーナ様はあきれてため息~怒らない、おわり~」

「終わりじゃないわよ。あんたがその後のヘルミーナ様のお説教聞き流してるだけでしょ」


 マルグリットはようやく仕上がった一枚の魔方陣を机の中央に置いた。夜どおしパーマをかけた緑色の髪が、手の動きに合わせてくるくると踊る。内巻きのくっきりしたセットの長髪は、マルグリットのトレードマークだった。


 新年度とあって、学院の職員があちこちに足を運んでいる。ラウンジも例外ではない。

 噂好きのレオニーに付き合って、目をつけられたくはない、とマルグリットは思った。もちろん、レオニーがマルグリットの思いどおりになったことなんて、これまで一度もなかったのだが。


「マルグリットぉ、それで噂なんだけどね、あの実験棟の裏の森に入ったら、根源的な恐怖に出会って、一週間は使い物にならなくなるって話」


 ほうらね。

 マルグリットはため息をついた。レオニーは、静かにしてほしいときに限って話したがる。


「”根源的な恐怖”にやられなかった子がいるんだって! しかも新入生。だからね、実力が足りないと森に入っちゃだめなのかもって。いや~面白くなってきたでしょ?

 マルグリットも気になるよね~。」


「全ッ然! 気になりません!」


 マルグリットはレオニーが作り終えたチラシを自分の魔方陣の上に置いた。呪文を唱えると、50枚ほどのチラシの写しがぱらぱらと空中から降り注ぐ。


「レオニー、わたしたち、ヘルミーナ様のために新入生の勧誘をするのよ。もう少し貴族令嬢なりのふるまいってものを身につけたらいかがかしら?」


 レオニーはマルグリットの言葉にわかりやすくぶすくれた顔をした。


「ど~せ、私は爵位持ちの旦那様なんて捕まえられないもんねえ。一生魔方陣で食べてくんだから。魔術師としての作法だけ覚えるもん」

「もう、違うでしょ! ヘルミーナ様のお顔を潰すことになるからだめって」


 レオニーはなおもブツブツ文句を言っていたが、マルグリットはとりあわなかった。あれこれ言いながらも、ちゃんと言うことを聞くと分かっていたからだ。


「私たち2年次は具現科の生徒が少なくって、ヘルミーナ様は気にされてるのよ」


 レオニーとマルグリットはチラシを三つ折りにし始めた。このラウンジの木製の机は大きくずっしりしていて、こういった作業にはうってつけだ。


「知ってるよ、みんなが作用科のケヴィン・フリートハイムにくらくらっときたんでしょ」

「レオニー」


 マルグリットのとがめる口調。


「はいはい、ケヴィン・フリートハイム様、男爵様、次期侯爵様~」

「……こほん、ヘルミーナ様の魔方陣の細かな調整はいかなケヴィン・フリートハイムであっても追い抜けません。

 魔力ではどうしても勝てないので、次こそ! 最高の魔力をもつ新入生を具現科に確保するのよ!」


 レオニーはふん、と不満げに短いため息を吐いた。しかし、旧来の友人のことを無下にするほど薄情にもなれない。

 仕方なく掲示用のチラシを半分手に取った。



 ***



 二人の女子生徒が新入生の勧誘を始めるすこし前のこと。


 入学式当日を迎えた高遠 花は薄手のワンピースを身に纏って馬車を乗り継いでいた。花にとってはリボンやフリルがついている分少し派手に感じられる。

 ただ、魔法の人工知能、シラーによると、ここ、リューデストルフ帝国のハレの日の装いにしては控えめな方だという。


 帝国は花が流れ着いてから2番目の季節、乾熱季を迎えようとしている。花に限らず街の人々の装いはどんどん夏めいてきた。水の魔方陣を刻んだスクロールの値段も上がる一方であった。


 魔術学院への道のりは馬車で1時間と30分ほどであった。最後の乗合馬車には、薄灰色の貫頭衣を身につけた学生らがまとめて乗り込んできた。

 花は葬儀の時の聖職者の着ていた服を思い出した。似た形式だが、随分質素に見える。胸元に光るおそろいのバッジのできがよく、どこかアンバランスに見えた。


〈天子教の神殿に仕える、下級神官の出で立ちです。胸元のバッジは職位を示しており、全員魔術師見習いのものです〉


 花がちらちらとバッジを見ているのを察したのか、耳元の小型通信機マイクロカムからシラーが話しかけた。学院の地図もたどり着くまでの経路も前もって調べはしたが、シラーの案内があるので安心できる。


 魔術学院が近づくにつれ、花は下級神官たちの視線を集めた。乗合馬車には、貴族の血筋の魔術師と、その後援を受けた生徒はそうそう乗らない。貴族の後援を受けない平民は、ほどんどが神殿の援助を求める。

 学生にとっては学費と社交のためであり、援助者にとっては青田買いだ。入学前に援助を探さない生徒は、就職活動をしない大学3、4年生みたいなもの。


 いったいどんな物好きの貴族か、あるいはディレッタント※か。好奇心に満ちた視線の数々。


 馬車が学院前に停まってようやく、花は視線から逃れられることに安堵した。


「めっちゃみられてたんだけど」と、ばれないように小声で小型通信機マイクロカムに囁きかける。

〈マスターは優秀な魔術師ですから〉


 シラーの当然だといわんばかりの回答に、花は首をかしげるばかりだった。


 しかし、シラーの言葉を、このあと花は嫌というほど理解することになる。入学式の最中も、今度は別の理由で注目の的になったのだ。



 それをいの一番にやったのが、公爵家の長子であり蝶よ花代と育てられた娘、ヘルミーナ・パウムガルトナー。

 黄金をも霞ませる美しい金髪に勝ち気な赤色の瞳。いかにも自信ありげな佇まい。


 黙って立っていれば近寄りがたい高貴なオーラを持っている。しかし、彼女は馬車から降りてきた生徒を見るやいなや目を輝かせて学生の群れに向かって猪突猛進した。


「そこのあなた!」


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