第72話 今お答えいただければ
「友人が待ってるので、少しだけなら……」
「ありがとう!」
花は待合スペースの方を気にしながら聖職者の男に答えた。男は興奮気味に返事をすると、通行人の邪魔にならないよう花を先導して壁際によった。
葬儀会場から出たので、花はさりげなく
「できるだけ時間は取らせませんから」
彼はそう言って懐から不格好なメモ帳のようなものを取り出した。使い古して擦れた革製の表紙に、分厚く毛羽立った紙が綴られている。
この聖職者の男、ケンプフェルは花の生い立ちから最近の魔術に関する活動までを聞き出そうとした。時間はかからないと聞いていた花は
なにより生い立ちについて、花は言葉を濁すほかなかった。
「どこかに所属されているんですか?」
「いえ、特に。もうすぐ新年度なんで、アカヴィディアに入学しようと思ってます」
「なるほど……、神殿にご興味は? もしまだどこの援助も受けていないのなら、是非ご検討ください」
花はすごくお金に困っているというわけではない。あまり受けるつもりはないのだが、そもそも神殿というものがどういった組織かわからないので、困った。
〈リューデストルフ帝国における神殿とは、主に信仰されている天子教の拠点であり、組織でもあります。信心深い平民や神殿に家族が勤めている場合は神殿の支援で学院に通います。
また、被差別階級である
シラーの解説はこういう時、一番助かる。たまに人間っぽく小言を言う頻度が上がった以外は本当に便利だ。
「特にどこかの援助を受けているというわけでもないんですが」
花はシラーの解説の続きを聞くために答えを濁した曖昧な返答をした。
〈神殿の援助にはいくつか種類があり、
グリューネヴァルトは高い能力を認められ、貴族に支援されていました〉
ケンプフェルの表情は必死だ。先ほどの葬儀中の荘厳な雰囲気に合った、真面目そうな様子からは想像ができないくらいである。
「で、あれば、ぜひ。ここだけの話ですが優秀な人材には特別な待遇をお約束しています。
なによりあなたの先ほどの魔法陣の効果! ご覧になりましたでしょう。だれも見たことがありません。あなたは特別なのです」
素晴らしいと誉めそやされるのは嫌な気分ではない。だが、それと同時に花は不信感も覚えていた。ケンプフェルがあまりに必死で、褒め方が極端だと思ったのだ。
花はついしどろもどろになった。
「優秀な人は、ほかにもいると思いますし。私、魔術はまだあんまりよくわかんなくて」
「ご安心ください、わたくし、これでも神殿ではそこそこの地位にいるのです。いろんな魔術師も見てきましたが、別格ですよ」
「いやいやいやいや……」
ケンプフェルがあんまり食い下がるので、花は不信感を強めた。
(あまりお得じゃないサービスを押し売りしてくる訪問販売みたい)
その疑念はケンプフェルの最後の一押しでハッキリと花に刻まれた。
「今、今お答えいただければ、神殿の魔術師たちの最高位――
(怪しい!)
花は大学入学時に配布されていたチラシを思い出した。
曰く、
『春から新生活・一人暮らしをする学生のみなさんへ
一人暮らしに慣れない学生さんを狙った勧誘にご注意ください。
OB・OGもたくさん参加している/同級生もみんなやっているから、
いずれ儲かるが最初は支払いをする必要がある や、
今すぐ入会すれば特別なコースにできるので前金を払ってほしい、
などと声をかけ、巧みに誘導されます。
当大学では、学校構内での勧誘行為を禁止しています。
悪質な勧誘の被害にあわないよう、見知らぬ人からの声かけには注意しましょう』
(『今すぐ入会すれば特別なコースにできる』だ!)
花は、”いますぐ”と言いながら神殿での要職を約束するなんて、かなり胡散臭いと思った。そもそもシラーがいるとはいえこの世界に慣れていない。
〈承諾した場合、提案が実現する可能性は57%です〉
(思ったより高いけど微妙すぎる!)
花はこほん、と分かりやすくわざとらしい咳払いをした。そもそも、神殿の要職に今のところ魅力を感じていない。出世欲が特別強いわけでもなし、お給料は気にならなくはないが、重圧もありそうだ。
「すみません、今のところ、そういうのは考えてないんです。声をかけてくれてありがとうございました。友人がまってますので、これで! すみません!」
口を挟まれないように最後まで一息に言う。そして、失礼にならないようにしばらく相手の方を向いたまま素早く後ずさる。最後にスタコラサッサとロビーへ向かう。
ケンプフェルはものすごく名残惜しそうにしていた。
「学院にいったらご連絡しますね~~!!!!」
ケンプフェルは花が友人と合流したのを見ると、一遠くから大きな声で話しかけてからあきらめた。
こうして、花はアデルモとジョアンヌの二人から怪訝そうな顔をされる羽目になったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます