第71話 お時間いただけませんか

 一番はじめに変わったのは、香りだった。清涼な新緑の芽吹く春の香り。それは花の杖≪ステッキ≫を中心に、心地よいそよ風に乗って会場を包み込んだ。


 次に、どこからともなく弦楽器の穏やかな調べが響き始めた。何人かの参列者がきょろきょろとあたりを見回したが、演奏者を見つけることはできない。そして、音楽に合わせるように、地面から小さな光の輝きが玉となり脈となり無数に立ち上≪のぼ≫って揺れた。


 参列者の全員が、どうやらいつもの葬儀とは違いそうだぞと気づいたときのことである。ひとりひとりの参列者の胸から、小人サイズの淡く光る人影が次々と飛び出してきた。

 小人の影たちは空中をスケートをしているかのように移動し、思い思いの形で音楽に身を任せる。気づけば弦楽器の音色に重なり合うように小人たちの合唱が会場を彩った。


 今や全員があっけにとられて会場の変わりように目を奪われていた。


 驚きのあまり、口を中途半端にぽかんと開いて会場を眺めていたクラインが一歩棺から離れた。棺を置いた台の足下からツタが生え、台に沿って伸び上がってきたからだ。


 青、水色、白。アサガオのような花の可憐さ、バラのような八重咲きの優雅さ。ぽん、ぽんという軽やかな音と共に目に見えないマジシャンが棺の周りを彩った。


 すべての変化が起こってようやく花は杖≪ステッキ≫から手を離した。それでいてなお、音楽は鳴り止まない。


 全員が言葉を失う中、花はこの現象の特異さがわかっていなかった。花にとっては魔法そのものが奇跡で、このような魔法の「平均値」など知るよしがなかったからである。

 せいぜい、小人たちに目を奪われるクラインや、感嘆のため息を吐く受付の女性の様子を見て、少し違和感を覚えるくらいだった。


 聖職者の男は驚きながらも、この魔術の奇跡を一瞬たりとも忘れるまいと特に集中していた。


 しばらくして、音楽の雰囲気が変わった。転調したのだ。先ほどより幾分か荘厳な響きが加わり、小人たちが列をなして棺のほうへやってきた。

 誘われたかのように、棺からゆっくりと光の人影が小人に支えられて起き上がった。ゆらゆらと揺れて形は不確かだが、全員がバルバラだと確信した。


 大きな光の人影は、小人たちに連れられて西の方へと昇っていく。合唱の声も、弦楽器の音も、光の影が遠のいていくにつれてフェードアウトしていった。


 そしてとうとう最後には地面から立ち上っていた光の玉がふっと消えた。棺の周りに沿って咲いた花々もきれいさっぱりなくなり、まるですべてが夢であったかのようだった。



 一番はじめに我に返ったのは、葬儀の進行を管理していた受付の女性だった。花に会釈をしてそばに近づき、こう言った。


「ありがとうございます。お席にお戻りください」


 自席へ向かう花のことを、前列に座る参列者のほぼ全員が目で追った。


「ご着席ください」


 りんと会場に響く声で受付の女性が全員の注意を葬儀に戻そうとした。花のよく見える最前列の人々は、気をとられていくらか座るのが遅かった。


 そして、クラインから参列者への感謝があらためて述べられた。緊張したのか、あるいは興奮したのか、弔辞を読み上げていたときに比べて少し早口だった。

 クラインの挨拶が終わると、黒い制服に身を包んだ男が2人会場に入って、隅の方で待機した。受付の女性がそれを確認すると、一歩前に出た。


「それではお棺を墓所へ納めにまいります。ご遺族のご意向により、これから先は親族のみで執り行います。

 ご参列くださった皆様は、お棺が会場から出ましたら、続いて退場いただくようお願いいたします」


 男たちが素早く棺のそばへ侍り、二人で器用に持ち上げて会場を出ていった。


「ありがとうございました。親族のみなさま以外は、どうぞご退場ください」


 ほとんど全員が会場の外へと向かった。前列にいた花と聖職者は自然と最後になる。花は参列者の中ほどにいるアデルモとジョアンヌと目が合った。ジョアンヌが会場外の待合スペースを指さしているのが見える。

 そこで落ち合おうということだろう。花は頷いた。


 ようやく最前列が外へ向かう通路に行こうというとき、花はクラインに会釈をしようと目を合わせた。

 クラインは無言で大きく口を動かした。


「(あとで)」


 あとっていつだろうか、と思いながら花は片手でOKマークを作った。OKは伝わらないかもしれないが、マルはきっと伝わるだろう。


 そして花は聖職者と一緒に並んで会場の通路に立った。


「あのう、魔術師様」


 聖職者の男が控えめな声で花に話しかけた。明らかに花より年上そうに見えた。それにしては、どうも低姿勢だと、花は違和感を覚えた。


「はい、なんですか」

「どうしても少しだけお話をお伺いしたいんです」

「お話?」

「先ほどの魔力の注入ですよ。私は葬儀場をあちこち回っていますが初めて見ました。ほんの少しでかまわないので、お時間いただけませんか」


 うーん、と花は悩んだ。


(アデルモとジョアンヌとは落ち合うことになってるし、クラインは「あとで」と言ってたし……)


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