第68話 つまらないものですが

「これ、シラーが作ってくれたんだよね。つまらないものですが、よかったら」


 花が寝室に集まったクラインたちに配ったのは、ポストカードだった。みんなで集まった日の写真に油彩風の加工が施されている。7人全員を写すためにヒキの構図をとっていた。

 一人一人の顔は小さく写っているだけだが、楽し気な笑顔と明るい宴会の雰囲気は弾けるように伝わってくる。


 まだ元気なバルバラは、ひときわ大きな鶏肉の切り身をフォークにさしていた。


 クラインは、枕に体を預けるバルバラと、ポストカードのバルバラを見比べた。


(ああ、生きてる。同じ人だ、バルバラ大叔母様だ)


 この一か月ほどの間、日に日にやせ細り生気を失っていくバルバラを見守ってきた。実家の異母兄弟となれない人同士の橋渡しに神経をすり減らしてきた。


 透明な袋に入ったポストカードの存在を確かめるように指の腹で撫でた。クラインの張りつめた心がふっと解放された瞬間だった。


 バルバラのそばでアデルモとジョアンヌが交互に話しかけているが、バルバラの反応は芳しくない。クラインはバルバラの様子を気に留めながら花と話を続けた。


「ありがとう……いい絵だ」

「わたしもそう思う。ちょうどいい額縁がなくて袋入りで悪いけど」


 二人が話しているのが見えたのか、バルバラが宙をかくように手を動かした。


「どれ」


 クラインは、すかさず慣れた様子で枕元のバルバラのそばへひざまずいた。花はちょうど話題になっていたポストカードを彼に手渡す。


「これだよ、見える?」

「ン、これは……あなた、えーっとあなたは、あの子、坊や」

「クライン」

「クライン、あなたがうつってるね。それとこれは私」


 バルバラはそれから一人一人の顔と名前、ポストカードに描かれた食べ物の名前を確認した。花やアデルモ、コリンナのことは思い出すのにしばらくかかった。


 目をしぱしぱさせながら時間をかけてポストカードを鑑賞したバルバラは、「上手ね、上手。あなたが描いたの?」と花にきいた。


「いえ、魔法で……」


 花がシラーのことを説明しあぐねているうちに、バルバラは再び話し始めた。もしかしたら、花の声が小さすぎて聞こえなかったのかもしれない。


「この絵の場所はどこかしら? みんなおいしそうに食べて素敵だこと。一度ここで、本当に食事をしてみたいわね、みんなでね」


 ――一度ここで、食事をしてみたいわね


 とっさに訂正しようと口を開きかけた花を、クラインが片手で制した。彼は穏やかな雰囲気を崩さず、バルバラに話しかける。


「そうだね、一度行ってみたいね」


 花はごくりと生唾をのんだ。アデルモとジョアンヌが顔を見合わせている。クラインと違って久しぶりにバルバラを見る3人は、状況を理解するのに少し時間がかかった。


 バルバラは、あの日の事を忘れていた。

 花は


 最初に口を開いたのはジョアンヌだった。


「私はお肉が好きなんだ。この絵の料理はきっと全部おいしいよ」

「俺は丸白魚ラヤラヤウオが好きだからこのサラダが気に入ると思う」


 花は少しだけ間を開けて二人に続いた。


「うちには魔法でできたシラーって子がいるから、シラーと一緒に作るよ」


 バルバラはもう思い出せない記憶を、望みの薄い未来に夢見た。


「また違う絵ができたら、見せて頂戴な」


 できないと分かっていた。だが、花は頷いた。


 それからしばらく、バルバラを中心に囲んだ花たちは、彼女の昔話に耳を傾けた。その間にバルバラは、小さいころのクラインの話を2回繰り返した。

 夕方になると二人の使用人が戸を叩き、「清拭せいしき※のお時間です」とクラインに告げた。


 花たちは小さな応接室に移動してテーブルを囲んだ。使用人はバルバラの世話に行ってしまったので、クラインがお茶を入れ、ジョアンヌがそれを手伝った。

 4人のお茶を運び終えたジョアンヌがクラインの顔を伺いながら問いかけた。


「思っていたより、容体ようだいが悪いんですね」

「ああ、物忘れと食事がどうも。あの日の事を忘れているのまでは、気が付かなかった。昔の事はよく覚えてるんだ」


 アデルモは手にしていたポストカードを机に置いて、紅茶を一口飲む。花と同じくバルバラとの関係は長いほうではなかったが、彼にとっては命の恩人だった。


「骨折だけだと思ってたんだが、こんなに生気がないとは」


 花は同意を示すように頷いた。立って歩いていた頃も足や目、耳が悪いようではあった。しかし、今はどちらかというと覇気のようなものがないように思えたのだ。


 クラインが三人の見舞客を見渡した。


「わかるよ」


 一番動転したのはクラインだ。なにしろポストカードを受け取るまでは動転しすぎて緊張して、ずっと現実味がないほどだった。

 けれどあのポストカードを見てからは不思議と心の重荷が下りたような気持だった。だから、芳しくないバルバラの病状を話すときも、終始穏やかでいられた。


「もともと食は細くなってったが、最近は食べると吐いてしまうんだ。口にできるのはあっさりしたスープくらいでね。これでも、今日はみんなに会えたからかすごく元気そうだ」


 花は驚いた。バルバラの様子は元気とは程遠い様子だったからだ。


「そうなの?」

「そうだよ、人が来るときは気が張るのかな、元気そうなんだ。でも今日は元気に見せているのとは違う、幸せそうだった」


 クラインの言葉を聞いて、見舞いに来た三人の心にもぽっとあたたかな火が灯った。

 それからクラインはここ三週間のバルバラの様子を話し始めた。花、アデルモ、ジョアンヌの三人はその話をきいて、クラインが会っていないときのバルバラの思い出話をした。


 クラインは話の最中に自分の懐にしまったポストカードを取り出して、最後に送別会の日の話をした。

 バルバラのこの先を思って暗かった雰囲気が少しずつ変わっていった。コリンナとヘルガの都合がつかなかったのが悔やまれた。明日、明後日に来るらしい。毎日訪れるのも迷惑になるかと考え、花は残りのポストカードをクラインに預けることにした。


 気付けば日が落ちてしばらくたっていた。またみんなで揃って見舞いにこよう、あのポストカードみたいな光景をバルバラに見せよう。そう言って3人はバルバラの家を後にした。



 侯爵家の片隅の画廊に収められるまでの間、ポストカードはバルバラの枕元に飾られた。



 この日は花がバルバラに会う最後の日となった。

 のちに、花が送別会以後の出来事を話す動画を、シラーは「重要・永久保存」フォルダに保存することになる。


 バルバラを見送る穏やかで優しい、そして愛に満ちた葬儀ようすである。



 ――――

 清拭せいしき:入浴ができない人の体を清潔に保つために、タオルなどで拭いて汚れを落とすこと。

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