第67話 僕に会いに来てくれたの?
花に面会が許される三週間前のこと、クラインはいつになく身なりを整えて騎士団の宿舎を出た。
送別会の日、バルバラが倒れ伏して起き上がれないのを目にしたとき、クラインはいやな予感があたったと思った。
あの日は頭の中がおかしなくらい冴えていて、馬鹿みたいに冷静だった。だからはじめはバルバラが回復するまで少し人を付けるだけのつもりだった。
短期の仕事を斡旋している業者を通して世話人を幾人か雇った。だが、一週間たってもバルバラの体調は良くなるばかりか、時折意識がはっきりしなくなるほど落ち込んだ。
バルバラが面会を嫌がるようになったとき、クラインは自分の無力さを痛感した。
町医者は、もう年だからと言うばかり。日雇いの使用人からの報告は芳しくなく、寄る年波につける薬もない。
もう、長くないかもしれない。
その思いがクラインを駆り立てた。
バルバラが家族に囲まれて最期を迎えられるなら、身の程知らずと罵られてもいい、と思った。
そうして久しぶりに実家を訪れたクラインを出迎えたのは、末の弟だった。
「兄さん」
ゆるやかなカーブを描く、くすんだ薄緑の髪は穏やかな弟の雰囲気によく似合っていた。
クラインは目を細めてほほ笑んだ。
「ルーカス」
ルーカス・バール・ケッシンガーは、いまのケッシンガー侯爵の弟であり、クラインの異母弟である。彼は昔から実年齢よりいくらか年上にみられることが多い。
落ち着いた立ち居振る舞いがそうさせているのだろう。人と一線を引く立場の作り方の上手い男だ。
「ここにくるなんて珍しいね。僕に会いに来てくれたの? ちょうど領地の報告を持ってくる時期だし」
「うん……いや、頼みがあって」
ルーカスは肩を竦めた。期待なんてしていなかった。去年も一昨年もルーカスとクラインは顔を合わせていないのだから。
ルーカスはそばに控えていた
ルーカスはいつものゆったりとした喋り方で自分たちと領地の近況について話した。クラインはバルバラのことが気になって仕方なく、半分上の空で話を聞いた。
ルーカスはクラインの身の入らない様子に半ば呆れていた。しかし誠実に、ルーカス自身が家族に共有すべきと考える事情を数年分話して聞かせたのだった。
クラインはすぐにでも本題に入りたい自分自身を律して、まずは自分と騎士団の業績について話をした。極力淡々と、手短に。
バルバラの話もした。こんどはルーカスが気まずそうにする側だった。ルーカスにとってはほとんど接触のない血だけが繋がった親戚だ。とはいえ、ケッシンガー侯爵家におけるバルバラの扱いは恵まれているとは言い難い。
義理堅い性格のルーカスにとっては耳の痛い話だった。
そんなルーカスの目の色が変わった。クラインがやっと実家の門扉を叩くに至った理由を話したときだった。
「生きている間に会えるのはこれが最後かもしれない。日に日に弱っていくんだ。ちゃんと話せるうちに、いちど会いに来ないか」
「……そんな、急に。大叔母様のことなら定期的に報告を受けています。足は弱ってはいましたが、おおむね健康だと、聞きましたよ」
「急だよ、ルーカス。
ルーカスは決めあぐねていた。死に目にくらいは会いに行った方がいい。当然のことだ。それとは別に、バルバラが首都にほどちかい場所にいるのは社交界にひた隠しにしている。それは侯爵家と、バルバラ自身のためでもある。
一人では決められない。
「ヨゼフ兄さんに聞いてみます。僕自身は、こっそり僕らが会いに行くことは賛成です」
クラインは翌日また侯爵家に来ることを約束し、その日は帰宅した。兄弟3人で会う場が設けられたのは、それから数日後のことだった。
クラインが思うほどことは困難をきたさなかった。バルバラは始めは誰にも会いたがらなかったが、ルーカスが来ると言うと不思議なほどおとなしく受け入れた。ヨゼフもおおむねルーカスに賛成していた。ただ、産まれたばかりの幼い娘の将来への影響を気にしているようだった。
バルバラの身の回りの世話をするのは、当時の事を知る使用人たちに限定することにした。そしてしばらくバルバラへの面会は謝絶となった。
ルーカスが面会に行くのはそう難しくなかった。彼は適当にかつらを被って身軽に向かい、2回ほどバルバラに会った。
困難をきたしたのはヨゼフの方であった。そもそもヨゼフ自身、会うためだけに多大な労力をかけることには否定的だった。それをルーカスとクラインがなだめすかして準備をおぜん立てしたのだ。
そもそも年度末の貴族議会シーズンで大わらわの時期である。予定の合間を縫って会いに行かせるのに2週間以上かかった。
ここまできてようやく、クラインはバルバラの友人たちに再び面会を許すことができたのである。
クラインはこの3週間の間のバルバラの変化を一度も見ていない、郊外の知人たちのことを思った。扉の前にやってくる顔はどれも再開の喜びに満ちていた。寝室に通してその笑顔が曇るのが心苦しくてたまらなかった。
その日寝室を訪れたのはアデルモ、ジョアンヌ、花の3人だった。示し合わせたのか、ほとんど同じ時間にやってきた。
クラインは暗い空気に飲まれそうだった。ここ3週間ずっと緊張していたのだ。自分の侯爵家へのつながりを必要以上に重く、重く感じていた。
そんなクラインに再びみずみずしい人生を思い出させたのは、花が何気なく差し出した一枚のポストカードだった。
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