第66話 本当に運に恵まれない人なんだ


「バルバラ大伯母様は、本当に運に恵まれない人なんだ」

「大伯母ってことは、前の侯爵様の、伯母か?」

「そう。姉妹は他にいなかったし、目に入れても痛くない子だったそうだ。だからデビュタントの時も鳴り物入りで嫁ぎ先を探したらしい」


 ザシャはくるくると表情の変わる緑色の瞳をあちらこちらへやって考え込んだ。


「俺はもう一世代前の人たちはさっぱりわかんねえあ。ご存命なんだろ? もう息子が爵位を継いで表には出てないとか」

「いいや」


 クラインはゆったりと背もたれに預けていた体を起こして両腕を組んだ。


「子供はできなかった。”大伯母さんの”子はな」

「ご落胤らくいんってやつか」


 ザシャはクラインのこげ茶色の瞳をじっと覗き込んだ。バルバラは言わば、彼女の嫁ぎ先ではクラインと反対の立場だったわけだ。夫に婚外子を作られた妻、一方は婚外子。

 目の前の見た目からして生真面目そうな男には、少し複雑すぎる人間関係だと思った。


「色々あったんだがね、子供はどうしても必要だったから、その子を大伯母様の子ってことに本当はしたかったんだ。だがあまりにも見た目が違った」

「あ~、ほんと、ひと昔、ふた昔前って感じだわ。俺たちの親世代でそういうのよく聞くね。で、適当な理由つけて離婚して再婚だろ?」

「まあそう、そういうことだ」

「でもさ、一応侯爵家の娘なわけじゃん、確か3等身以内なら実家から手当が出るし、部屋も有り余ってるだろ。お前の実家無駄にでかいんだから。噂と名誉はどーしようもねえけど、好きじゃないやつと結婚してるより案外その方が幸せかもよ」


 すぐに返事は返ってこなかった。クラインは言葉を選んでいるようだ。

 3割ほどが残っているグラスにトートのワインを注ぎなおして、一口飲んでから続きを口にした。


「離婚の理由がな……」


 クラインは言いよどんだ。事実無根だと分かっているが、バルバラの名誉にかかわることだった。

 ザシャはあえてその続きを問いただしはしなかった。わざわざ聞かなくても、口にするのもはばかられる※ような理由は簡単に思い浮かんだ。貴族の間では下世話な噂は矢のように駆け巡る。そして、一度たった噂をなくするのは、とても大変なことだった。

 バルバラの現状について話し始めると、クラインはさらに少し表情が暗くなるのだった。曰く、もう年だから人の助けがないと生活がままならないのに、金だけ送ってほっぽらかし。死ぬときまで気が付かないかもしれないと。


「父はバルバラ大伯母様は不治の病を患ったってことにして郊外の家に閉じ込めたんだ。苗字を名乗るのも禁止、家族の接触も禁止」

「それで家族は”療養中なのでよくわからないです”って言えば済むわけだ。あれ、でもお前ちょくちょく郊外に行ってない?」

「俺は例外。家族のようで家族じゃないっていうか、嫌われてるわけじゃないけどな。まあやっぱ壁はあるから、優先度が低い代わりに自由にやらせてもらってるんだよ」


 ザシャはここまで聞いてようやく酒を一口飲んだ。彼は自分の薄い茶髪を雑にぐちゃっとかき回すようにしてから、行儀悪くテーブルに膝をつく。

 細く繊細な髪が台無しだ。


「ま~こういう言い方するのもあれだけどよ、お前は案外そういう立場の方が幸せそうだよな」

「そうだろ? 俺もそう思う。バルバラ大伯母様はさあ、実家で唯一家族って感じがするんだ。母はすぐに他界したし、兄弟は俺に申し訳なさそうだし。父さんは……よくわかんないし。

 とにかく人懐っこくて優しいんだよ。屋敷の使用人たちにも大人気で」


 思い出しながら話をするクラインは本当に自分の母を語るかのような穏やかな表情をしていた。

 ザシャは思いがけず彼の内面に踏み込むことができた気がしてにんまりと笑う。


「じゃあまあ、いろいろ教えてもらったことだし? 俺の昔話もしちゃおっかな~」

「え、それってまさか。また、あの、剣術修業の話じゃないよな?」

「そのまさかだ」

「いや、まて、もう4,5回は聞いた。下手したら覚えてしまいそう」

「いーじゃんいーじゃん、俺の優秀な弟子っぷりを脳に刻み込んでくれよな」

「嫌だ」


 クラインは、ザシャのこういうところを気に入っていた。真剣な話をすると、同じくらいの真剣さで聞いてくれる。だが、暗い話を引きずりはしない。

 決して明るい気持ちで話し始めたわけではないのに、別れたあとはすっきりと明るい気持ちになる。

 一方、ザシャにとってもこういった深い話をできるクラインは貴重な友人だった。持ち前の明るさから、人と仲良くなるのは不得手ではない。けれど、例えば困りごとを誰かに相談しようというとき、ザシャはいつも二番手、三番手になるのだった。

 ザシャにとっては、こうやって頼られるのは格別の喜びだった。


 クラインは、このときザシャに話した予感を、現実にはしたくなかった。

 バルバラはケッシンガー侯爵家の家族と、かかわる人々と、屋敷と、故郷、そのすべてを愛していた。クラインはいままで生きてきて彼女ほど愛の深い人に出会ったことがなかった。


 死んでからでは取り返しがつかない。だから今、クラインは実家の門を叩かねばならなかったのである。



――――

※口にするのもはばかられる:とても恥ずかしいこと

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