第64話 回答不可

 送別会の日から一週間ほどの間、花は悶々もんもんと悩んでいた。はじめの頃はバルバラの見舞いの最中に上の空になって、バルバラから心配されたほどだ。


 幸い、バルバラは送別会の日の事故では、命に別状はなかった。しかし骨折で当分は歩けそうになく、食も細くなっていた。

 皆が心配して、送別会の日に居合わせた人達は代わる代わる見舞いに行った。それどころか、どこから聞きつけたのか市内外から毎日違う人たちが顔を見せた。


 一方、クライン卿はあれ以来すっかり姿を見せなくなってしまった。その代わり、どこで雇ったのか使用人の女が幾人かバルバラの家を出入りするようになった。


「ハンナ様、スクロールですか?」


 年若い女の使用人が玄関先で長細い巾着袋を花から受け取った。


「はい、水の魔法陣だけですけど。昨日きてた方が明日は入浴をするって言ってたので使うかなと」

「ありがとうございます。実は夕方までに買いに行くつもりでした」

「最近バルバラの調子はどうですか?」


 使用人はちらとバルバラの寝室の方を確認した。それから神妙そうな表情をして内緒話をするように話し始める。


「骨折がなかなか治らなくて、相変わらず食事が喉を通らないんです」

「早くご飯食べられるようになるといいな」

「はい。どんどん痩せていくので私も心配で。最近物忘れもひどくなっていますし」

「そっかあ……」


 花は、バルバラがひとまず生きていることにはほっとした。あの日倒れこんだバルバラの姿が目に焼き付いてどうにも不安になることがある。そのたびにこうして訪れては、食べやすいおやつかスクロールを私に来ていた。


 ちょうどその時、また新たな見舞客がやってきた。花は使用人の手を煩わせないように、家に帰ることにした。


 アデルモのいなくなった家はずいぶん静かになった。クネーがいなければ、部屋の中で一人の花はここがリューデストルフ帝国だと分からなくなりそうなぐらいだった。

 花はクネーの傍に寝転んでそのふかふかの長毛に片腕を埋めた。クネーの呼吸があたたかな動物の体をとおして感じられる。


「最近はバルバラ、見舞いをできるだけやめてほしいって言ってるみたいだね」


 花は自宅で唯一の話し相手に声をかけた。


〈はい、マスターが出かけている最中にアデルモがバルバラの家に行きましたが、中には入らず帰っていったようです〉

「何かあるのかな、私たちに言えないこと」

〈データが不足しています。回答不可〉

「逆にデータがあれば分かるの? 何のデータ?」

〈バルバラの体調に関するデータ、面会を断る際の声音の変化などの生体情報です〉

「せいたいじょうほう?」

〈心拍や声色の変化、言葉のタメ、わずかな表情の変化に、気持ちが現れます〉

「なんかそこまでするのはなあ、違う気がする」


 シラーは黙った。違う気が何かは聞かなかった。


 次の週になると、見舞客は徐々に減っていった。ヘルガによるとクライン卿はまだ顔を見せていないらしい。

 使用人たちに話を聞こうとしても、クライン卿についてはごまかされていた。


 そうしてクライン卿へのもやもやとした気持ちがたまったころ、突然彼は現れた。


「ハンナ、時間を縫ってきたんだ。この手紙をアデルモに渡してもらってもいいかな。それと、この剣、玄関先に失礼……重いからここに置いておくよ。アデルモは剣を持っていないようだったから」

「クライン卿、びっくりした。手紙は確かにもらいました。忙しいんですか?」

「まあな。色々、バルバラの面倒を見てもらう代わりに俺が色々働かないと、稼いで雇えないだろ?」

「なるほど」


 花はクライン卿を家にあげようとしたが、彼は頑なに断った。あらためてクライン卿を見ると、ずいぶん疲労がたまっているように見えた。目の下にクマが色濃く見える。

 髪も整っていなかったし、服はところどころ汚れていた。いつもより少し手の込んだ刺繍の施された服なのに、もったいないことだと花は思った。


 クライン卿は用事だけを言い残すとバルバラの家に行ってしまった。案の定、雇い主のことはすんなりと使用人が通した。バルバラが嫌だというから花は出来るだけ遠慮しているのに、不公平だと思った。


 思ったところで、無理やり入るほどではなかった。バルバラのことは心配だが、クライン卿の方が明らかにバルバラと長い付き合いだ。それに、花にはクライン卿がバルバラにおかしなことをするようには見えなかった。


 ただ、自分の知らない所で何かが進んでいる。そういう気持ち良いとは言えない感覚を持っていた。


 花はクライン卿の背中が見えなくなるまで見送ってから自室に戻った。ここ最近は出かける気分になれない。日がな一日、売れそうな基礎魔法陣の練習と制作に明け暮れていた。


 この現状に変化が訪れたのは、さらに三週間がたってからだった。

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