第62話 お酒持ってきたわよ

 数日後、少ない荷物をまとめ終えたアデルモの送別会が行われた。


 グリューネヴァルトの研究所は広い。普段は書き物に使うようなテーブルをダイニングテーブルに並べればゆうに10人は同席できそうなサイズになった。

 ただ、椅子は足りなくて2階から持って降りてくる必要があった。


 アデルモが家具を移動させている間も、花とシラーは晩餐の準備を進める。アデルモの好物とグリューネヴァルト的家庭料理、それから少しの日本食のメニューだ。

 花はまだ覚えがあってとっつきやすい日本食を中心に手伝った。


 メニューはアデルモの好きな丸白魚ラヤラヤウオと緑のトマトの冷菜料理と、豚肉に葉物野菜の炒め物、トートと牛肉の煮込み料理、みそ汁、ドーレス製の食パンで作ったトーストだ。


 チン、という音とともに焼きあがったトーストを花が籠に盛り付けていたところ、玄関からノックが聞こえてきた。

 花が返事をする前にペットショップで聞いた凛々しい女性の声が聞こえてくる。


「ハンナ、お酒持ってきたわよ。開けて頂戴、うちのドッグフードで大きくなったワンちゃんを見せてよ」


 ジョアンヌだ。

 花はトーストを適当に机の上に置くと玄関を開けに飛んで行った。まだ準備が完全に終わったわけではないのだが、かまわないだろう。


「ジョアンヌさん、こんばんは」

「こんばんは、ハンナ。クネーもこんばんは」


 クネーはハンナが遊びに出ると思ったのかウキウキした表情で一緒に玄関にやってきていた。その鼻面はなづらを、ジョアンヌは遠慮なく撫でる。


「いいにおいねえ」


 そういうと、ジョアンヌは客にも関わらずハンナの準備に手を差し伸べた。そろそろ皆が来る時間が迫っている。ハンナもこれ幸いと手伝いを受け入れた。


 今日の来客は、ジョアンヌ、バルバラ、クライン卿、ヘルガ、そしてコリンナが最後に加わった。花とアデルモを入れたら全部で7人になる。なかなかの大所帯だ。

 ジョアンヌの持ってきた酒をくるくる回してラベルを読むアデルモ。思いなしか表情がほころんだ。


 ジョアンヌが到着してからしばらくして、コリンナ、それからヘルガ。最後にクライン卿に支えられながらバルバラがやってきた。


 ヘルガは娘のカーヤのことは隣人に預けているらしい。カーヤはカーヤである意味楽しんでいるという。

 席順は決めていたわけではないのだが、なんとなくバルバラを中心にみんなが席についた。


〈準備は万端です。マスター、音頭おんどをどうぞ〉


 花はそんなたいそうな挨拶をするつもりではなかった。よたよたと慌てて椅子から立ち上がる。


「えっと、アデルモは明日を最後にこのうちから出て、運河の近くの寮にお引越しになります! 会う機会は減るかもしれないけど、これからもよろしくね。それじゃあアデルモの引っ越しを記念して~」


 花に合わせてみんながグラスを上げた。


「かんぱ~い!」


 酒とジュース、半々に別れたグラスが思い思いに掲げられた。

 クライン卿はアデルモの向かいに座っている。彼は自分の大きな体を利用して机越しにアデルモの頭を撫でくりまわした。


 それからアデルモは、久しぶりに自分の夢と旅路を語った。白塔騎士団に憧れていて、ずっと目指していたこと。故郷のひとたちに助けられてここまで来たこと。

 旅での出会い、つらかったこと、うれしかったこと。

 ようやく帝都にたどりついたこと。

 最後に、バルバラと花に出会ったこと。


 アデルモにとっては今回の配置換えは大きなことだった。花にお金を返すめどもたったようなものだし、やっと自分で自分の面倒を見られるくらいになって自信がついた。


 一見ちっぽけな、数ある運河沿いの倉庫群のひとつの配置換えだ。貴族家に住むコリンナやあきらかに上流階級の身なりをしたクライン卿。かれらはきっともっと大きな仕事をしている人をたくさん知っているだろう。

 けれど、アデルモに対して「このくらい」とか「しょせん」とか不躾な声掛けをする人は、ここにはいなかった。


 安心感からか、または酒のせいか、アデルモも同席しているみんなもどんどん会話が軽快になっていく。


 クライン卿は大きな手でみそ汁の椀を掴んだ。


「それにしてもこのスープ初めて飲むな。アデルモが作ったのか?」

「ああ、それはハンナとシラーが……。願いを叶えるジャム瓶で作った」

「ウーン、ウン? ジャム瓶? まあコクがあっておいしいからいいか」


 クライン卿はあいかわらず魔術的な物事へのアンテナが鈍いらしい。


 コリンナは最近のイステル伯爵家の様子をあれこれと語って聞かせてくれた。ジョアンヌとバルバラはそれを優し気な表情で相槌を打ちながら聞いている。

 ただ、ヘルガにとっては雲の上の世界のような話で、百面相をするのが面白い。


 すっかり日も落ちたころ、一番初めに時間に気付いたのは、コリンナだった。


「そろそろ帰らなくては。買い出しを理由にお嬢様がバーンホフ通りまで馬車をだしてくださる予定なんです」


 たしかに、コリンナの荷物は多かった。ドーレスに付き従うメイドだからといって、そう簡単に馬車を遣えるわけがない。直々の言いつけを言い訳に、送別会へ出ることを許されていたようだ。


「それなら私もそろそろ帰ろうかね……」

「バルバラ様、気を付けてくださいね」


 クライン卿に見守られ、バルバラが節々の痛みを抑えながらなんとか椅子から腰を上げる。花が初めて会ったときよりも一回り小さく見えた。


 ヘルガは食堂で働いているだけあって、手際よく机の上を片付け始める。


「私はここ、すこし手伝ってから帰りますね」

「それなら私も」


 ジョアンヌも立ち上がった。アデルモも残念そうな顔をしながら簡単な〆の挨拶にかかる。

 最後に穏やかな拍手が挙がって、宴はお開きとなった。


 ヘルガとジョアンヌは挨拶をして、食器を台所に運ぶ。アデルモはコリンナの大荷物を玄関まで運ぶのを手伝いに行った。ジョアンヌが食器を積みすぎてこけそうになる。危ない。クライン卿が半分の食器をとっさに取り上げて事なきを得た。それを見て安心した花がコリンナを玄関まで送りに踵を返した時だった。


 ガタン!


 花の背後から嫌な音がした。人が倒れた音だ。

 気付いた全員が動きを止めて振り返った。手に何かを持っているものはみんなそばの机の上に置いた。

 クライン卿の顔が青ざめる。



 バルバラが倒れていた。

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