第60話 渋いね

「ただいま、ハンナ。クッキー貰ってきたぞ」


 ちょうどシラーが夕食の準備を終えるころ、アデルモが帰ってきた。花は二階で金策、もといスクロール製作に没頭していたので、シラーに声をかけられてやっと気が付いた。


「アデルモ、おかえり~」


 花は最後の一枚を書き終えてクリアファイルに仕舞う。クネーが大喜びで玄関で飛び跳ねるのを見下ろしながら、花は階段を下りた。


「今日もいい匂いだな。寮に行くとシラーのご飯が食べられないと思うと寂しいよ」


 アデルモが大はしゃぎのクネーをこれでもかと撫でまわしている。いささか乱暴な手付きにも見えたが、普通の犬ではありえない巨体のクネーにはなんでもないようだった。


〈本日のメニューはビーフシチューと丸白魚ラヤラヤウオのサラダです。今日の買い物はどれだけ効率的につめても冷凍庫に入りきりませんでした。そこで、追加のメニューとして丸白魚ラヤラヤウオの身をほぐして味付けし、サラダに使いました〉


 シラーの腕がなれた手つきでビーフシチューをよそっている。アデルモは足元にクネーを纏わりつかせながら手を洗い、上着を脱いでいそいそと食卓についた。


「そういえば、引っ越しはいつなの?」

「ああ、それなら、あと3,4日以内くらいって言われた」

「ええ、結構急なんだね」

「発表からは5、6日後だから、そうだな」


 花は久々の牛肉料理に目を輝かせてシチューを頬張った。大きくカットされた根菜たちよりなにより先に牛肉を迎えに行っている。


「じゃあさ、引っ越し前に一回お別れ会しようよ、超豪華な夕食食べるの。外食でもいいけど、いろいろ買ってきたからうちでさ」

「いいのか? ここの食事は毎日豪華だけどな~。荷造りがあるから、しあさってくらいだと助かるんだが」

「オーケーオーケー、私とシラーに任せてよ」

〈送別会を予定に登録しました〉


 アデルモはとてもゆっくり、そして貴重そうにビーフシチューを食べていた。ビーフシチュー自体がこの国に存在する料理かはわからない。ただ、煮込み料理はどこに行ったってあるだろうし、少なくとも和食ほどの驚きはないようだ。

 ただ、ものすごく味わって食べているから、気に入ったのは確かだろう。


「ハンナ、送別会をするなら、バルバラとクライン卿も呼んでいいかな」

「あれ、クライン卿と会ったの?」

「ああ、帰りにバルバラに窓越しに呼ばれて行ったら、家にいた。気さくな人だな、大会のことをいろいろ教えてもらえて助かったよ」

「そういえば、武闘大会にかかわってるって言ってたね、あの人」


 ハンナはビーフシチューを食べ終えると、丸白魚ラヤラヤウオの身とドレッシングが均等になるように手元のサラダを混ぜた。


「そうなんだ、また話したいって言われたし、豪華な夕食にするならみんなと食べるのも悪くないかと思って」

「ううん、いいアイデアだと思う。せっかくだし、ヘルガも呼ぼうか?」

「ああ、いいんじゃないか。カーヤも呼べば喜ぶだろう。俺は出る時間が違うから、ヘルガとはハンナほど話したことがないんだ」

「そうなの? ヘルガは南の方で食堂やってるらしいから、引っ越したらお世話になるかもね」

「そういえば夕食はいつも家だから食堂はあまり使わなかったな」


〈では、大人5名と子供1名の予定で献立を考えます。アデルモ、あなたの送別会なので、食べたいものがあったら優先的に作りますよ〉

丸白魚ラヤラヤウオの煮付け」

「う~ん、渋いね、アデルモ」


 アデルモと朝食を食べるのもあと数日か、と思うとなんだか花はさみしくなってきた。はじめに話を聞いた時にはなんとなく受け止めていたことが、ようやく実感できてきたのだ。


 そして、二人は食べ終えた皿を片付け、クネーの柔らかい毛並みでひととおり遊んだ。クネーはアデルモがもうすぐ家からいなくなることも知らず、嬉しそうに床を転げまわっている。


 二階に上がる前、花はアデルモのリクエストを耳ざとく聞きつけた。


「やっぱり今日のビーフシチュー、もう一回食べたい……」

〈わかりました、献立に入れておきます〉



 ***



 翌日、アデルモはいつもどおり仕事に向かった。朝ごはんの味噌汁を飲み干して、「あ~これもあと数日か」と感極まった様子で言うのが花はおかしくて仕方なかった。


 アデルモが出かけてからは、シラーと花でどうやって味噌をアデルモに分けてやるか相談までした。


 送別会が予定より大人数になったので、花はもう少し買い物をしたいと思っていた。しかし、シラーに促されて、中身が残り少ない小銭入れに手を突っ込み、ため息。うーん確かに、昨日少し買い込みすぎたかもしれないと反省した。

 肩が凝るのに耐えながらスクロールを作り続けたのはなぜか? 金のためである。花は今日の買い物をあきらめて、久しぶりにハウプト・スクロールに向かうことにした。


「今回のスクロールはなんて言われるかな?」

〈鑑定の結果次第ですが、少なくとも30分は水が出続けました。それでも半分の魔力も使っていないように見えましたので、悪くない結果になるでしょう〉

「普通はどれくらいなの?」

〈魔術師の実力次第ですが、15~20分程度です〉

「ふうん……、バケツにためたりしたらだいたい日常のことは済むくらいなのね」

〈そのとおりです〉


 花はひととおりクネーを撫でちらかして満足し、家を後にした。まだ数回しか訪れていないから、シラーに道案内をしてもらいながら行く。

 今回のスクロールの鑑定結果が楽しみで、不思議と足取りは軽かった。

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