第58話 いやあ、大漁大漁

 次に売れそうなスクロールもあるし、今日はちょっと奮発しようと思って、花はいつものエコバックの中にもう一つ小さなエコバックを入れてきた。


 どうやら正解だったらしい。


「アデルモが寮に入るなら、うちでご飯食べるのももう少しの間だと思うし、やっぱり最後の晩餐※は豪華にいかないとね」


〈マスター、最後の晩餐ですと、主役ははりつけにされてしまいます〉


「三日後に蘇るじゃん」


〈アデルモは神の子ではありませんよ〉


「はいはい、分かってるって。ただの言葉遊びだよ」



 近くを通った女性に独り言を聞かれた。変な顔をして花の方をじっと見てきたので、花は素知らぬ顔で視線をそらした。

 いかにも今晩の晩御飯の材料について考えていたんです、というすまし顔で通り過ぎる。


 今日は買いこむぞ、という意気込みで見る市場の光景はいつもとは少し違って見えた。

 例えば果物屋では、いつも選ぶ果物は一つか二つ(安くて、おおぶりの種類)だった。だが、今回はいつもの果物に加えて、少し手の届きづらいところにある小さなカゴ入りの赤い実も買ってみた。


 トート、と呼ぶらしい。縦長の細い枝の周囲を覆うように果実がぶら下がっている。カゴに入れて売られているのは、このぶどうのような粒が縦長の紐のように実っているからだった。


「一粒味見していくかい? うちのは最高に甘いんだ」


 景気よく果物を買い込む花に、店番の親父おやじが上機嫌で声をかけた。すでに外から見えないカウンターの下から、いくつかつままれた跡のあるトートを取り出している。


「いいんですか? これ食べるのはじめてなんです」

「えーっ、まさかあ、またまた。トートはどこに行っても売ってるだろ」


 親父おやじはがはは、と気持ちよさそうな笑い声を上げながら太い指でつぶれないようにつまんだトートを花の掌にのせた。


「本当ですよ、食べたことないです。にたようなやつはあるけど」

「へえ、トートは地域でけっこう実り方が違うっていうからなあ、それも名前が違うだけでトートなんじゃないか?」

「……そうかもね」


 そんなに適当に決まっているのか、果物の名前。

 とは言わず、花は渡されたトートの粒を口に放り込んだ。


 ぷちっ。


 薄い皮を破って水分をたっぷり含んだ果肉が舌の上に踊り出た。ぶどうほどの酸味はないが、覚えのあるぶどうよりも味が薄い。かわりに少し渋みを強く感じる。


「うん、おいしい」

「そうだろ? ほらよ、皮はここに捨ててくれ」


 親父の差し出した小さなゴミ箱に花もトートの皮を捨てた。選別されたらしい痛みのある果物と果物の皮が放り込まれてい。


「ありがとう、家で食べるのが楽しみです」

「ヘヘ、照れるね。んじゃあ、試食のおまけによかったらここからチョット歩いた先にある肉屋もいかが? 知り合いがやってるんだ」

「お肉かあ、そういえば最近は丸白魚ラヤラヤウオばっかり食べてたな。久しぶりにお肉食べたいかも」


「そ~おだろ、そうだと思った。ちなみにそのトートで作ったソースは肉にバツグンに合うんだ。あんた文字は読める?」

「読めますよ」

「じゃあこれどうぞ、ソースのレシピだ。今後ともごひいきに!」


 店主は少し水で濡れて渇いた跡のあるよれた紙を、一枚花に押し付けた。あまりの勢いの良さにあれよあれよと受け取ってしまった花は、親父にあいさつをして、肉屋の方に歩き出してからはっと我に返った。


「すごい手腕だった。うっかりもうひと房トートを買っちゃうところだった」


〈すでに買い物リストにない食品を3品購入しています。今更では?〉


「全然違うよ。前から食べたかったものをちょっと財布のひもを緩めて買うのと、食べたいものを際限なく買うのは全然違う。プレミアムランチと食べ放題ランチくらい違うんだから」


〈では、肉類の購入グラム数の予定は変更なしでよろしいですか?〉


「よろしいわよ。なんならちょっと余分に買っちゃう」


〈今日のスクロールの試用が上手くいくといいのですが〉


 お金が足りなくなるって? このAI、皮肉まで言えるようになったのか、と花はシラーに見られないのをいいことにあっかんべ、と舌を出した。


 果物屋に紹介された精肉店はすぐそばだった。一つ違うのは、果物は移動式の荷車で販売していたのに対し、こちらは路面店のようなつくりになっていたことだ。土ぼこりをさけるためか、痛むのを避けるためか、歪んだ硝子のはめられた箱の中に肉が置いてある。


 慣れた様子の客たちは順番にその肉の具合を確認し、1ダシア、2ダシアと店主に数を伝えている。


〈1ダシアは拳程度、肉で言うとおよそ150グラムです。部位を言えば選んでくれるようですね。見る限り牛と鳥、羊、豚があります。概ね地球と同じようなラインナップですね〉


「お肉の質は……」


 少なくとも超霜降りではないようだった。値段の高そうな肉も、よくスーパーの高級コーナーにある薄切り霜降りではなく、赤身の分厚いステーキ向けといった感じだ。


〈マスター、現代の畜産業はさまざまな人の努力の末にあの形になりました。リューデストルフ帝国は現代日本ほど、畜産は発展していません〉


 残念な気持ちがないわけではないが、仕方ない。あと二人ほどで花の順番がくる。


〈柔らかくておいしい赤身肉の選定であればお任せください。マグロ同様、肉もある程度画像から解析可能です〉


 花はシラーに見えやすいようにマイクロカムを装着した片耳の髪を背中の方へ流した。


「はい、お嬢さん、お決まりですか」


 花はごくりと生唾を飲み込んだ。


〈下から2番目、右から3番目のもの、比較的若い牛のハラミです。値が張りますが相応の……〉


「下から2番目、右から3番目を2ダシア」

「ほう、いい買い物ですね」


 店主が感心したようにクイっと片方の眉を上げて、次の花の注文を待った。


「上段、一番左の鳥を一羽」

「小さいが上等な鴨です。見る目があるね」


 合計で1キログラム分くらいは買っただろうか。すぐに食べない分は冷凍すればいいと思ったが、これだけ買うと持って帰るのも一苦労だ。


「いや~お嬢さんは本当に見る目がある。買い付けについてきてほしいくらいですよ。こんなに買って、宴会でもやるんですか?」


 肉を包みながら店主が言った。確かに、冷蔵庫が一般的かもわからないし、大家族で食べるにはいい値段のばかり買っていた。


「まあ、そんな感じです。門出と言うか、お祝いですね」

「いいねえ、お祝いなら果物はどうだい? すぐそこにいい果物屋があって……」


 店主の言葉にピンときた花はエコバッグの中のトートを見せた。


「おっと失礼、もう行ってたのか。こちら、商品です、あっちのみせ共々、今後ともご贔屓にね」

「ありがとう、また来ます」


 精肉店の店主は笑顔で花を見送った。


 これでもう十分買っただろう。野菜もひととおり手に入れたし、緑のトマトも買い足した。

 あとはアデルモがいつ寮に引っ越すかを聞いて、一緒に豪勢な夕食を食べよう。


「いやあ、大漁大漁」

〈かなり買い込みましたね、冷蔵庫に入るか〉

「切って小さくしたら大丈夫でしょ」

〈……試算します〉


 この時の花は、買い込んだものがいっぺんになくなるくらいの大宴会になるとは、まったく想像すらしていなかった。

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