第56話 ウワーーッ! しゃべった!
「ウワーーーッ!」
野太い叫び声を上げてそれなりの身なりの男が思い切り尻餅をついた。
曲がり角で出会ったのは学園のアイドル……ではなく下町に繰り出した貴族っぽい男、それもオーバーリアクション、である。
男はクネーに視線を釘付けにして一瞬、動画の一時停止ボタンを押したみたいに動くのを辞めた。しかし、クネーはそんな彼の警戒をお構いなしに瞳を輝かせて、じゃれるようにのしかかっていった。
「あ、こら、クネー、だめだめ」
これにはさすがに花もこの大きな犬を引き留めた。顔じゅうをべろんべろんになめられて縮みあがった男は、花に助け起こされてよろよろと起き上がる。
そしてポケットからハンカチを取り出すと、丁寧に顔を拭いた。
「は、はあ ――! こんなに大きい犬が実在するなんて、まさか幽霊が出たかと思った」
鬼気迫る表情でそう言うとあらためて花の方を向き直って、しかしクネーの方を警戒しながらぎこちなく一礼した。
「すみません、お嬢さん。あなたの犬に驚いてしまって、その、あまりに大きかったものだから。失礼なことをしてしまいました」
こほん、と咳ばらいをした彼は、クライン、と名乗った。
なるほど彼が身分を明かさないクライン卿かと花は納得した。確信は、なかったが、おそらく。
「大丈夫です、こちらこそすみません、なにかお詫びを……あ、顔、洗いますか? うちの家はここからそんな遠くないですし。ついでに持って帰れるお菓子でも用意しますよ」
もてなすにはちょっと過剰か、と思ったが、バルバラたちの知り合いであるし、身なりもきちっとしている。お互い身元が半分われているようなものだから、なんとなく花は親しみを覚えたのだ。
それにいまや花は魔術師だ。いざとなればまだ売っていないスクロールを使ってどうにかなるだろう。
「さすがにそこまでしていただくには……老女を探しているところなんです、買い物に連れて行ってあげないといけなくて」
「老女?」
「はい、あなたとそう変わらない身長で、杖をついていて、このあたりに住んでいる、バルバラ様とおっしゃる方です」
「バルバラ様」
花は彼女のことを様付けで呼んでいる人を初めて見た。しかし彼のような綺麗でお金持ちそうな帝国語で言われると、さほど違和感はなかった。
「バルバラなら、今朝、ヘルガという女性につれられて市場の方へ向かいましたよ」
「あれっ? それは昨日じゃ?」
「うん……? ほんとについさっきですよ」
クライン卿は自分の額を掌でぱちん! と叩いた。
「やっちまった! あ~あ、またやっちゃった、最近忙しいから、ああ~」
そう言って身をよじったり天を仰いだりして苦しむ男を見て、花は失礼かもしれないと思いながらも笑い声をこらえきれなかった。
「あはは!」
(この女の子、今、俺のことを笑った!?)
それから、おかしな様子のクライン卿に、花は今朝のバルバラとヘルガの様子を話した。クライン卿は、時折バルバラに会いに来るついでに買い物を手伝っているらしい。
いないのを待っていても仕方ないので、花は散歩を終わらせるにも丁度良いころあいだと言って、彼を家に招いた。
***
お邪魔するからと散歩帰りに振り売りからマフィンを籠ごと買った。普段から彼は金には困っていないのだろう。
クライン卿は1階の台所で顔を洗うと、短い茶髪を雑にタオルで拭き上げ、ずいぶんすっきりした様子で席についた。
シラーの腕が二つのマフィンを取り上げたところだった。
「ぎゃ!」
今度はかろうじてしりもちをつかなかった。十分に鍛えられた両腕で、研究所の重厚なダイニングテーブルをしっかり掴んだからだ。
花はまたしても「あっはっは!」とおおきな笑い声をあげた。外ではないからか、さっきよりも遠慮がない。
そこへシラーが追い打ちをかけた。
〈申し訳ございません。驚かせるつもりはなかったのですが〉
「ウワーーッ! しゃべった!」
我慢できなくなった花はとうとう腹を抱えて大笑いしていたが、シラーの自律ムキムキ腕がしゃべことについては、普通の人も驚くだろうと思えたので、情状酌量の余地があった。
むしろ、わ、しゃべった。程度の薄い反応でするりとこの変な家になじんだアデルモの方が、おかしいと言えるかもしれない。
「そんなに笑わないでくれ、恥ずかしいだろ!」
〈大変失礼いたしました。わたしはスマートライフコーディネーター・ラグジュアリーコンシェルジュ、AIシラーです。あなたの快適で華やかな生活をお手伝いいたします〉
「ご、め、ん」
花は息も絶え絶えに謝った。
一方クライン卿は、相変わらずものすごい形相でシラーのハンド型外部ツールを凝視している。驚きはしたが、彼も少しずつ状況が分かってきた。
(なるほど、ここは魔術師の屋敷なんだ……)
ムキムキの腕を警戒しながらゆっくりとマフィンを一口食べるクライン卿を見て、花はシラーについて説明することにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます