第54話 緑のトマト
いつもよりぼんやりとして間の抜けたアデルモがクネーに半ばもたれかかりながら現れた。
珍しい。
「これは」
酒くさい。出迎えてそうそうに花は気付いた。顔をまじまじと見てみるが赤くはなっていないようだ。だが、相当酒を飲んだのは間違いないだろう。
「シラー、アデルモが水いるって」
「え? 水? いらないが」
〈お持ちします〉
屈強な腕が水のたっぷり入ったグラスを持ってきた。何事も柔軟に受け入れるアデルモらしくなく「酔ってないのに」とか「もう飲んできた」とか文句を言いながらも、おとなしく水を飲みながらダイニングへ向かった。
花は少し心配そうにその様子を眺めながらついていく。
「もう、査定の結果がきになるから待ってたのになんでそんなにぐでんぐでんになってるの」
不便なことにこの世界にSNSはないので、査定を終えたアデルモからの速報を即座に聞くことはできない。
ただ、現代より娯楽の少ないこの世界での久しぶりのニュースが気になっていたのだ。
「祝い酒だよ祝い酒。上長のおごり! 俺と、その……前に喧嘩したって言ってたやついたろ。そいつと、入れて全員で5人、貴重な荷物の担当になったんだ。
どうもいつもより特殊らしくて、金払いもいいんだって。少し待ってもらえたらかりたぶんの半額は返せそうだ」
「すご!」
倉庫の人夫の賃金は恵まれているとはいいがたい。アデルモが大会用の資金をためることができるのも、ひとえに花やバルバラが家に住まわせたりして手助けしているからという側面が大きい。
アデルモはそれに大きな恩を感じていたし、申し訳なくも思っていた。
だから、もう一ついい知らせがあった。
「それから、船がついている間、倉庫のすぐそばの寮に寝泊まりすることになったんだ。船の持ち主が手配したらしい」
「そーなんだ……」
花は生返事をした。寮に入るというのはまったくの予想外だったので、じゃあ「寮に入るってことはどうなるんだ?」というところまでとっさに頭が回らなかったのである。
「おめでとう! 職場近いと楽だよね」
花はきちんと自分が祝福できているか気を付けながらそう言った。もちろん本心だ、めでたい。ただ、倉庫は近いところにあるとは言えないから、いなくなると思うと寂しい気持ちになった。
「そうだな、倉庫から歩いてすぐの長屋で、ちょっと余裕ができそうだ。寮に入ったらまた休みの日に一緒にご飯でも行こう。魚が旨いとこがあるんだ」
アデルモは新たな旅立ちが待っているとでも言いたげな晴れ晴れとした表情だった。それから予定についてもあえてポジティブなことしか言わなかったが、倉庫のあたりの治安についてだけは声を落として忠告した。
「あまりいいところじゃないから、食事に行くときは市場の方まで俺が出るよ。
昼間ならそんなに危なくはないと思うけど、急に寮に訪ねてきたりしちゃだめだからな」
「ええ、そんなに? なんかお小言みたいだね。さすがに事前に言わずに訪問することはしないけどさ」
「でっかい船がくるからな、知らない人間が沢山出入りするんだよ。危ないだろ? そういうのを狙ってくる輩もいるし」
「そうかなあ、まあ、とにかく査定がうまく行ったみたいでよかった」
返事はなかった。煌々と輝く照明の下、1階のグリューネヴァルトが用意していたと思しき古いソファの上に倒れこむようにアデルモは眠っていた。
〈すっかりおやすみのようですね。明日に響かなければいいのですが〉
「そうだね、二日酔いしないといいけど」
〈起こさないようにベッドに運んでおきます〉
シラーの屈強な腕×2が集まってきてそっとアデルモを抱き上げた。
花もあくびをして2階の自室に戻り、魔法陣製作で疲れ果てたのか、泥のように眠った。
***
翌朝、アデルモは絵にかいたのような二日酔いに苦しんでいた。
「頭がガンガンする、歩きたくない」
「飲みまくるからだよ。少なくとも急性アルコール中毒で大変なことにならなくてよかったけど」
「なに、中毒?酒だぞ、眠るくらい飲んだだけで、倒れるほどは飲んでない」
屁理屈だ。
〈アデルモ、コーヒーが残っています、飲み干してください〉
「わかったから待ってくれ、まだ時間があるから」
朝食はアデルモの二日酔いを気遣う柑橘類にコーヒー、花が「緑のトマト」と呼んでいる酸味の強いトマト風味の野菜、サニトを使ったピザパンだった。
遅れて起きてきた花はようやくコーヒーを飲み干していつもより足取り重く玄関へ向かうアデルモを見送りながら、新鮮な食材で作られたピザパンをほおばった。
「やっぱりおいしいね、緑のトマト。生だとすっぱすぎて苦手だから火を入れた方が好きだなあ」
〈マスター、サニトを生で食べる人はそういませんよ。病人くらいのものです。生でも無毒ですが、火を入れて食べるのが常です〉
そうだよねえ、と同意しながら花はあっという間にピザパンを食べ、今日の朝食……ではなく朝の水分補給を済ませたクネーを迎えに行った。
はじめは近所の人に不気味がられないか心配で散歩に連れていくことに消極的だったのだが、玄関に出しているうちに周りの人には知れ渡ってしまったので、もう開き直って散歩につれて行くことにしたのだ。
犬の散歩にいくといつも会うお散歩仲間ができることがあるという。
このリューバッハ市郊外はどんな人と出会えるだろう。
花は胸を躍らせながら玄関扉をくぐった。
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