コレクション7 取るに足らぬ貴重な品

第53話 こんなの難しすぎるよお


「ああ~、クネー、本当におっきくなったねえ。ご飯は食べなくなっちゃったけど……」


 花はふかふかの長毛に頬ずりをしながら大きな犬に話しかけた。イステル伯爵家から帰ってきた日からというもの、クネーは本当に食事を全くとらなくなってしまった。

 しかし、花たちの心配もよそにクネーはおどろくほどピンピンとしている。


「ハンナ、俺はもう仕事行くからな~! 今日は査定の日だから遅くなるかも、夕食は先に食べといてくれ」


 廊下のど真ん中でクネーとじゃれ合う花に向かって、アデルモが大きな声で呼びかけながら玄関扉を開いていった。


「はあい、いってらっしゃい。査定頑張ってね~」


 花は、もじゃもじゃと手元の温かくて大きな毛玉を弄りながら声だけで返事をした。


 査定、というのは、アデルモが働いている倉庫で行われるらしい。

 もうすぐ、半年に一度の大きな貨物船が運河にやってくる。荷物の積み下ろしと管理のため、普段は現場に来ない倉庫の所有者が、直接査定に来て作業にあたる人員を見繕うというわけだ。


 詳しい話までは聞いていないが、俸給や待遇で優遇されるらしいから、大会までに少しお金を返せるかも、とアデルモが喜色満面だった。


〈マスター、今日はスクロールを書く予定です〉


 めくるめくふかふかとの逢瀬を遮られて、花は不満そうな唸り声を出したが、背に腹は代えられない。市場で食材を買うときに「高いから、やめておこう……」と思う回数が増えてしまったので、さすがにもう後ろ倒しにはできないのだ。


 前は、食べよう、食べたいと思って迷わず買っていたものを買わなくなると、なんだかすごくひもじい気持ちになる。


「今日はきれいな水を出す魔法陣だっけ?」

〈そのとおりです。浮遊の魔法陣は製作がとても簡単ですが、あまり需要がありません。それに対して、水を出す魔法陣は製作が難しくて供給が少ない割に需要が高く、たくさん買い取ってもらえるでしょう〉


「なるほど、きれいな水を出す魔法陣、使いどころが多そうだもんね。移動には馬車を使ってるみたいだから、旅行ともなると時間もかかりそうだし、そういうときにも飲み水の確保に便利かも。自販機じゃ買えないもん」


 それから花は、大きくなったクネーのために作られた特別長くて頑丈なリードを玄関先に括り付けて狭い前庭の人目につかなさそうなところで外の空気を楽しませることにした。

 魔法陣は広く場所を取って1階のダイニングでするつもりだったので、できるだけ集中したかったのだ。


 残ったなけなしのお金でそろえた紙を並べ、シラーには2階の自室から持って降りたテレビにお手本を写してもらった。


「なにこれ!」


 複雑すぎる。”難しい方ですが”程度では片付けられないランダムな幾何学模様とその間をぬうように伸びる水流を模したような野性的な曲線の連続。


「こんなの難しすぎるよお。もう少し簡単なのないの?」


〈ありますが、変えますか? 買い取り金額の予測値は半額ほどになってしまいます。例えば小さな火をつける魔法陣はこちら〉


 今度は燃え上がる炎を記したような激しいうねりの魔法陣が現れた。しかし、よく見るとその一本一本が一筆書きで複雑な文字になっているようだ。半額というと、浮遊の魔法陣よりは高いが……。


「わりに合わない。火をつけるってそれこそ需要がありそうなのに水の半額なんて」


 花はがっくりと肩を落とした。


〈火については、およそ36年前に大きな転換期がありました。特別な組み合わせでこすり合わせることで小さな火がつく鉱石が見つかりました。火力が小さいのでほとんど日常的な用途に限られていますが、この鉱石は「ランプ石」と名付けられ、一般流通しています〉


 どこで技術を手に入れたのか、シラーはいかにもニュース番組の解説映像のような画面をテレビに表示した。ご丁寧に火のつくアニメーションまで入っている。


〈マスターには、石でできたマッチと言った方が分かりやすいでしょうか。魔術に金銭を使う余裕のある家では発行の魔法陣を施されたランプが使われることが多いですが、多くの庶民はこの「ランプ石」を使ってランプに火を入れています〉


「はー、なるほどねえ。そりゃあ使う機会は減りそうなのも分かるかな」


〈はい、それと、この火炎の魔法陣をはじめとした人に直接的に危害を加えうる魔法陣は、スクロール店が国に報告してからお金を受け取ることになりますから、時間がかかりますよ。すぐにお金を受け取れるものは、発光の魔法陣、快適な風の魔法陣、加熱の魔法陣でしょうか〉


「うーん、確かに全部殺傷能力は低そう」


〈ただし〉

「ただし?」

〈浮遊の魔法陣の効果を思い出すに、マスターは魔法陣の効果を著しく増大させる何かがあるようですので、これらの細かな調整を求められる魔法陣は、想定される使い方ができるかどうか〉

「ぐ……。否定できない……」


 花は観念して水の魔法陣を練習することにした。

 そうして夕方まで集中していたのだが、やっと正確にかけたのが5枚に満たない。実践は明日にすることにした。


 夕食をたべてしばらくすると、クネーの嬉しそうに鳴く声が聞こえてくる。アデルモが帰ってきたのだ。

 査定の結果を教えてもらおうと、花はワクワクして出迎えに行った。


 玄関から彼に似つかわしくない高笑いが聞こえてくる。いったいどんな好条件だったのやら。

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