第47話 ぬいぐるみの縫い目を見て頂戴

「お義姉様は、お義母様にそっくりなのよ」


 ドーレスは愛おしいものを思い出すような口調でそう言った。

 一方コリンナは、表情をあまり動かさないまでも、浅くソファに腰かけたまま、緊張したように強くポットを握りしめた。


「ねえ、ハンナ、お義母様と会ったでしょう。どんな方だったか覚えていて?」


 ハンナは、ドーレスの言葉を聞くコリンナの居心地がよさそうと言えない仕草に気が付きながらも、あえて気にしていないようなそぶりで返事をした。

 ドーレスがコリンナの様子に気付いていないわけがない。それに、気付いた上で聞いてきたなら、その質問に意味がないはずがないと思ったのだ。


「アリアーネ夫人は、なんというか、ぴりっとした雰囲気だと思ったかな。規律を重んじていらっしゃると聞いていて」


 そして、自分にも他人にも厳しく、自分の周りの出来事についてよく気を配っているようだった。悪く言えば、使用人にとってはあまり休まらない職場かもしれない。けれど屋敷の中は特に気を配られていて、働く人々はそんな整然とした屋敷の体系に誇りを持っているようだった。


 考えながら失礼のないように少しずつ話す花の言葉に耳を傾けているうち、コリンナの手の緊張はすこしほぐれていた。一方、ドーリスは先ほどより少し背筋を伸ばして、ハンナの返答に満足そうに頷いた。


「そうね、お義母様はたいへん周りに気を配っていて、自分にも他人にも厳しい方だわ」


 これにはコリンナは使用人としての立場を逸脱しない程度に頷いた。

 その様子を視界の端に収めたドーリスはゆっくりとお茶を一口飲んで続ける。


「カタリーナお義姉様も、まわりのことによく気付く方だわ。そして、自分にもとても厳しくていらっしゃる。

 ハンナ、そのぬいぐるみの縫い目を見て頂戴」


 花はぬいぐるみの耳を片手でつまんで、その縫い目がコリンナにも見えやすいようにした。小さく等間隔に、そしてまっすぐな縫い目だ。まるで、ミシンを使ったかのような正確無比な手業。


「きれいでしょう? まるで魔法陣を使ったかのような縫い目。小さいころにいただいたものはさすがにここまでではなかったけれど、ここまできれいなものは、自分の心を律してなにかに邁進する心のないひとには、できないことだわ」


 コリンナはしかめっ面をした。それとこれとは話が違う。自分が受けてきた仕打ちは、その苦しみは、安易な同情心でなかったことにされるのか?と言いたげな顔。

 ドーレスは素知らぬ顔で今度は革の表紙に綴られた分厚い書籍を取り出した。


「さあこれを見て。先月、お母さまがもう使わないけど、そのうち社交界に出るならいい本だから読むならどうぞってくださったものよ」


 ドーレスは本の裏表紙をめくって見せた。そこには革に刻まれた文字があり、出版されたのがちょうど半年と少し前であることが分かる。それにしては紙の部分はすり切れていて、ところどころ本文に開きグセがある。

 タイトルは『妙齢女性の衣装便覧』。年代別の流行りのスタイルから定番のドレスのつくりがどのようになっているか、着こなしはどうするべきかなど細かい指南も含まれている。


〈これは素晴らしい資料です〉


 シラーは囁きかけるように小さな音で花に伝えた。一方、花は昨日聞いたシラーによる録音ぬすみぎきの音を思い出す。やっぱり、あのこそこそ相談していた声はドレスのこと、それもただ着るだけではない話。


 隣に座るコリンナは好奇心を抑えきれず、先ほどまでの仏頂面の面影を残したまま少し身を乗り出して本を読もうとしていた。


「コリンナ、あなたの好きなドレスはどんなだったかしら?」


 コリンナは唐突な質問に面食らったような顔をした。


「ウエストリボンがついているものです。ですが私のような立場ではなかなか……休みのお出かけの日に着るもの以外は大きな装飾は取ることになっているので」


 ドーレスはにこにこと嬉しそうな表情で、本の開きグセのページのうちひとつを片手でぱたんと開いて見せた。


 腰のサイズに横幅をそろえた大きいけれど上品なウエストリボンのドレス、の、作り方である。本によると5年ほど前の流行りのメインスタイルのようだった。ほかのいくつかの開きグセも、すべて「作り方」のページだった。

 この本は妙に使い古されている、社交界に出る妙齢女性のための衣装図鑑。夫人は妙齢とは言い難いから、この本をこんなに開きグセが付くほど読む理由なんてないはずだ。

 しかし、この屋敷で社交界に縁のある、ドーレス以外の妙齢女性と言ったら……。


「まさか、そんなはずは」


 コリンナの独り言。しかしそれは花の心の声と全く一緒だった。ぬいぐるみの縫い目からたしかに彼女の技術の高さは垣間見える。だが、ドレスを作ろうとしているわけではないはずだ。仮にも貴族の令嬢、それも、お金にだって困っていない。そうだ、まさか、わざわざ昔の使用人のドレスを作るなんてことは、ないはずだ。


 そんな二人の様子を見ているドーレスはやってやったわ! と言わんばかりの満足気な顔をしていた。何かから解放されたような表情でもあった。


 ただ、ドーレスの表情の発露は、コリンナと花が予想していたものとは違っていた。そのもう一つの驚きのため、ドーレスは意識して冷静そうな声音を作った。


「いい、これはお義母様に口止めされているから、決して他言しないで頂戴ね。いつ発表するかは、お義母様がお決めになっていることなのだわ」

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