第48話 きっと大人になったんだね

「カタリーナお姉様は、隣国のグラヴィナウに留学されるの」



 ドーレスの口から告げられたことを理解するのに、ハンナも、コリンナも、しばらくかかった。ハンナが助けを求めたものの、シラーは、


〈検証のためのデータが不足しています。グラヴィナウおよびリューデストルフ帝国における留学に関する制度、および貴族子女のライフプランの情報を追加してください〉


 とそっけない返事をした。


「お嬢様、留学と、ドレスのつくり方になんの関係があるんですか? それに、カタリーナ様は自室に引きこもってもう何年もたちます。今更外に出て留学なんてできそうにありませんけど」


 コリンナがおそるおそるといった様子でドーレスに尋ねた。


「そうね、コリンナ。まずはこの本の作者の欄を見てくれるかしら?」


 二人は揃って覗き込んだ。先に花があっ!と声を上げる。


「このイニシャル……」


 まさか、という花の思いに応えるようにドーレスがじっと花の方を見た。花とドーレスの視線が合うと思いが通じたことにドーレスは思わず笑みをこぼし、花もつられて微笑んだ。

 まだ釈然としていないコリンナにドーレスはまた先ほどのドレスのページを開く。


「コリンナ、あなたの一張羅を思い出してみて。わたしがはじめてあなたにあげた、あのドレス」


 考えを巡らせているコリンナを、花とドーレスは固唾をのんで見守った。

 しばらくしてコリンナは渋々認めざるを得なさそうな口調で、


「たしかに、よく、似ていますが……」


 と言った。


 そして畳みかけるようにこう続けた。


「似てますし、似てますけど。でも……私があのドレスをいただいたのは1年くらい前のことで。

 この図案が発表されたのは半年前で、だから、見て作ったわけでは、ないですよね? それより前にいただいたものだから。


 だから、お嬢様がたまたま選んだ服の様式が、この本に採用されたのですわ。だって大人気のスタイルだったじゃないですか。

 オーダーメイドで、唯一無二だっておっしゃってたから、だから、衣装店も他に出せなくて、こうやって書籍で公開して」


 なにかから目をそらしているようでもある、絶妙な早口言葉で、花はその半分も聞き取ることができなかった。

 その代わり、我慢できなくて次のように口を挟んだ。


「K.IとA.Ⅰ……、カタリーナ様とアリアーネ夫人の苗字はなんでしたっけ」


 言葉を失ったコリンナが、問いを投げた花の方をじっと見る。穏やかな口調で問いかけた花はドーレスの方を見る。

 ドーレスは姿勢を正した。


「イステル。わたしはドーレス・イステル。ここに書かれてあるK.IとA.Ⅰは、カタリーナ・イステルとアリアーネ・イステルよ」


 コリンナは一瞬、自分の立場を忘れて本を手元に引き寄せ、まじまじと問題のページを眺めた。


「これをカタリーナお嬢様が……?」


 本当に信じられないという顔をしているのが傍目にも分かると花は思った。


 コリンナにとって、カタリーナはずっと昔、部屋に閉じこもってしまう前の小さな女の子のままだった。新たに現れた自分以外の”娘”に嫉妬をあらわにして、コリンナを陰湿にいじめる、主人に不適格な子供。


 勉強も作法も音楽もやることはすべて一定水準以上でありながら、ただ唯一、魔術の才能だけが欠けていた完璧なお嬢様。


 ぬいぐるみはただの手慰みで、お金持ちで何もしなくても食べていける貴族家にのっかっただけの趣味、そう思っていた。

 むしろ、ぬいぐるみでアリアーネ夫人や自分のお嬢様の歓心を買おうとするさまが、コリンナにはみじめで、みっともなく見えていた。


 ドレスも、そんなもののうちのひとつなのだろうか。


 だけど、どうしてアリアーネ夫人の名前もあるのだろう。


 それに、ここからどうやって留学に話が飛んだんだろう。

 部屋からほとんど出ていないのは事実なのに、いまさら異国に旅立つなんてできるのだろうか。


 コリンナ《わたし》を置いて。

 何事もなかったみたいに。


 コリンナ《わたし》の知らない間に。

 まるで立派な淑女のような業績を手に。


「ずるい」


 ぽろりと口から出た言葉に、花は言葉を失った。

 ドーレスは何も考える間もなく「えっ」と言った。


 ドーレスの声を聞いてコリンナは自分の失言に気が付いた。救っていただいた伯爵家の令嬢にメイドの分際でずるいとは。


 まるでコリンナはしばしの間自分だけが切り離された世界の中に生きていたように感じた。カタリーナの話をするときだけ、自分はずっと昔のまま。

 孤独と失言とでコリンナは耳を真っ赤にして俯いた。そしてソファから立ち上がり、身の程をわきまえて深く膝を折り、こう言った。


「申し訳ございません、お嬢様。カタリーナ様のことが、知らないことばかりで、私にはない才能をお持ちで、つい嫉妬じみたことを言ってしまいました。

 ずっと部屋で、なにも、していないのかと思って……」


 コリンナの言葉はどんどん尻すぼみになっていった。これ以上話せば話すほど墓穴ぼけつを掘ってしまいそうだったからだ。


 目の前の分厚い本が、アリアーネ夫人とカタリーナによるものであることは、もうコリンナは十分理解していた。そして、この本の主要な部分の執筆を担ったのがカタリーナであることも、ドーレスの服にカタリーナがデザインしたか作ったものがあることも。


 そして自分がそれを持てる言葉を尽くして褒めちぎっていたことも。

 嫌いになった、ひどいことをされた、もう褒めないと決めていた、あの人を、そうと知らずに心から褒め称えていた。


 屈辱だった。

 なにより、それを恥ずかしいと感じている自分があまりにもちっぽけで、ドーレスに申し訳なくて、コリンナはすっかり縮こまってしまった。


 そんなコリンナをドーレスたちの世界に連れ戻したのは、花の何気ない一言だった。


「すごいね、コリンナもカタリーナ様も、きっと大人になったんだね」


 そのとき、立派な淑女に育ったコリンナにしがみついて離さなかった、傷ついた小さな頃の彼女が、ぱっと手を離したようだった。

 コリンナは今でも自分のままでありながら、かつての辛さや悔しさと一歩離れ、確かに今お仕えしているお嬢様の部屋の中にいることを感じた。


「そうかもしれません」


 俯いたまま返事をしたコリンナは、ようやくカタリーナの本を、そしてもしかしたら、かつての彼女の過ちも受け入れたように見えた。


 姿勢を戻したコリンナを見届けると、ドーレスは少し安堵した様子で後ろを振り返り、声をかけた。


「そろそろ出ていらしてもいいのではなくて?」

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