第46話 分かるわね、コリンナ

「あの方は……奥様とは似ても似つきません」


 と、コリンナは口火を切った。彼女の形容するカタリーナはと言えば、暗い表情、冷たい視線に丸まった背中……とても貴族の令嬢のイメージとは思えないものだった。


 そうしているうちに、花は、ドーレスの同情的な視線に気が付いた。その視線のわけは、コリンナの語った体験からも明らかだった。


 コリンナが12歳でメイドの仕事を始めたのは、年の近いカタリーナの面倒を見るためだった。


「分かるわね、コリンナ」


 とは、コリンナの生みの親を一番よく知る老齢のメイドの言葉だ。生前の母にコリンナを託されて以降、伯爵家のメイドとして恥ずかしくないようにとみっちり教育された。


「はい、おばあ様」


 奥様のご命令は絶対だ。物心ついたころから体と心に刻まれたメイドの教えが、自然とコリンナを奮い立たせた。


 幼いころのカタリーナは、それはそれは上品な娘だった。貴族らしく洗練された所作は大人びていて、厳しい教育を受けたと自負のあるコリンナも思わず感じ入るほどであった。


「コリンナ、見てて」


 とカタリーナはよく言った。大人は忙しいから、一生懸命学んだ成果を見せる相手がいないのだ。


「素晴らしいです、お嬢様」


 部屋の片隅で行われた、ワルツのシャドー※をひき込まれるように見ていたコリンナは、心の底からカタリーナを称賛した。


 カタリーナの側仕えを始めたコリンナだったが、まだ子供だったこともあり、給仕と身支度以外の仕事はほとんどなかった。

 しかし、コリンナが付くようになってからカタリーナが一生懸命学んで家庭教師がそれを報告するので、奥様からはたびたびお褒めの言葉が届いた。

 何もしていないコリンナは、それにいつも釈然としなかった。


 カタリーナとコリンナの関係が変わったのは、それから一年足らずの、ある冬の日の事だった。


「ドーレスともうします、よろしくお願いいたします。お義姉さま」


 ひまわりのような明るい瞳に、美しい髪、聡明そうな凛とした声音。人見知りで内気なカタリーナは、着飾った新しい妹に、一目で圧倒された。


「そう、よろしく。まあ頑張って」


 それがカタリーナが、ドーレスに言えたすべての事だった。


「もちろん、このようなすばらしい機会をいただいたので、私の持てるすべてを伯爵家にささげるつもりです。いたらないところもありますけど、どうぞごきょうじくださいませね」


 この妹は、どこでそんな言葉遣いを覚えたのだろう、お母様は孤児を一人拾ってくるだけだとおっしゃっていたのに。


「そう」


 友好的なドーレスに対して、カタリーナは自分の興味を覆い隠すようにそっけなく返事をした。


 コリンナは、顔から火が出るほどの思いだった。


 お嬢様の傍仕えの自分は、お嬢様と一体。お嬢様のすばらしさに預かる代わり、お嬢様の恥は己の恥でもある。より素晴らしい、完璧な”お嬢様”であるために、お支えするのが自分の役割だ、と、思っていた。


 この日から、コリンナはカタリーナに冷たく当たるようになった。

 冷たく、といってもあくまで使用人の立場なので、慇懃な態度が変わったわけではない。

 ただ、


「コリンナ、見て、みて」


 と、もっとも身近で唯一の理解者を呼ばうカタリーナに対して、


「素晴らしいです、お嬢様」


 というその声が、以前より固くなったのだった。


 それからのカタリーナの変化を、コリンナには理解できなかった。コリンナにとっては、至らぬお嬢様を自分の態度で戒めているつもりだったからだ。


 カタリーナもまた、コリンナに冷たく当たるようになった。不幸であったのは、カタリーナがコリンナの主人であり、本人がどう感じていようとも、屋敷の主人の愛娘であったことだ。


「お嬢様の命令はすべてちゃんと聞きました、どれだけ理不尽でも、仕事だから。……、寒くても、痛くても、苦しくても」


 コリンナはくしゃっと顔を歪めた。花には、まるで彼女の幼い心だけが、その時代にタイムスリップしているかのように思われた。


「あの方がこれほどまでに苦しいことを、私にさせていたとドーレスさまにお話しました。優しく育てられたあの方には、その苦しみの程度が想像できないのだと分かっています、でも、納得なんてできません。これからもずっと」


 コリンナのこわばった声が、彼女とかつてのお嬢様の間にできた深い溝を物語っているかのようだった。


「コリンナ」


 ドーレスが柔らかな声で名を呼んだ。コリンナの苦しみを思い出して歪んだ顔はたちまち弛緩して、穏やかで従順なメイドの顔に戻っていた。


「申し訳ありません、お嬢様。取り乱してしまいました」


 花は、あれこれと想像を巡らせながらも、圧倒されるような彼女たちの雰囲気に、口を挟めないでいた。コリンナとカタリーナを穏やかに会話させることなど、到底できないように思われた。


「かまわなくてよ、コリンナ。誰だって、つらくて余裕がない時は、いつものようにふるまえないものなのから。そういう時にお互い支え合えたら素敵よね」


 コリンナは殆ど無表情のままだった。だが、花ははっとさせられて、思わずドーレスの目をじっと見つめた。


「どうしてわたくしが、あの子のことを気に掛けるのか、不思議に思ってかしら、ハンナ」


 花は少しの間黙ってから、静かに頷いた。


「カタリーナ様が悪い人だって言えるほど、私は詳しく知らないけど。……気になる、聞かせてもらってもいいの?」


 ドーレスは、ワゴンからポットを取って二人の聴衆のカップへ注ぎ、堂々とした態度で話し始めた。



 ______

 ※シャドー:本来二人で踊る社交ダンスを一人で練習すること




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