コレクション6 思い出のテディ・ベア
第38話 手紙が届いています
《マスター、手紙が届いています》
それは招待状だった。なにより驚いたのは、その招待状には魔法陣が描かれていたことだ。
それに施された魔法陣はおおよそ透明のインクで描かれていた。花ははじめ、魔法陣に全く気付かなかったが、それも招待状を読み始めるまでのことだった。
招待状は素朴な手書きのもので、丁寧な字で自宅に招待する旨が記されている。花が最も驚いたのは差出人だった。
「えっと、伯爵家から?」
《そのとおり。コリンナの勤め先ですよ。彼女の”お嬢様”からの招待状です》
花は招待状を喜ぶというよりは、少し不安そうに紙の折り目を伸ばした。
《浮かない顔ですね。何か不安なことでも?》
「まあね、作法が不安なんだもの。例えば、コース料理で外から食器を使うのは分かるけど、茶道の席に呼ばれて急にお茶をたてるのは難しいでしょ? でもこの世界の人たちにとっては教養だったりするから」
”教養”は当然AIのシラーは必要なことは知識として蓄えている。もちろんそれは現代の地球の文化に限ったことで、この世界のことはグリューネヴァルトの知識に依存したままだった。
《お茶席の基本的な作法についてはサポートします。情報が最新とは言えませんが、貴族の作法として可とされる程度にはお手伝いができますよ》
「シラー、ほんとうに? グリューネヴァルトはあんまり社交的じゃなさそうに見えたわ」
《一応、彼は貴族の後援を受けて学校に通っていました。作法が古くて怒られることはそうそうないので心配無用です》
「じゃあ、わかったわ」
花は魚の味噌漬けを仕込むシラーの腕を眺めながら、肩をすくめた。手袋を味噌だらけにしながら味噌だれに魚を漬け込む様子が、貴族の作法に精通した先生よりは、田舎のおばあちゃんのように見えたからだ。
「おはよう、ハンナ」
「おはよう、アデルモ」
「ワン!」
アデルモがクネーを伴って裏庭から戻ってきた。花にとっては信じられないくらい早起きだが、この一人と一匹はそれを難なくこなしている。そのうえ、朝から走り回っているのだから驚きだ。
《おはようございます、アデルモ。我慢できないマスターが先に朝食を食べてしまいました》
「ああ、気にしなくていい、今日は少し長くやりすぎた」
研究所の掃除がほとんど終わって、アデルモの練習時間は徐々に増えて行った。それに合わせるように、朝の練習時間も伸びたのだ。近ごろはクネーを伴って、早朝から走り込みをしているらしい。
「アデルモ、私、伯爵家に呼ばれちゃって」
花はおもむろにそう報告した。
「ごほ、けほ、なんだって?」
練習上がりの水分補給に余念のないアデルモは、予想外の言葉に口から水を零し、慌ててタオルで拭き取った。
「コリンナって子がこの前家に来てたでしょ。あの子、伯爵家のメイドなの。それでかな……お茶席によばれたのだけれど」
「伯爵家? メイドの知り合いだからって茶席に呼ぶことはないだろ」
アデルモの声は裏返っていた。けれど、改めて彼は花の顔を見つめ三泊ほど置き、こんどは納得したようにひとつ、頷いた。
「そうか、花は魔術師だから、そういうこともあるか」
今度は花が怪訝に思う番だった。
「ええ、それ、どういうこと? 私はほとんど魔法が使えないし、まだ認定魔術師じゃないわよ」
アデルモは朝食を運んできたシラーのアームに会釈をして、席に着きながらこう言った。
「それでも、十二分に適性はあるってわかってるんだろう? 普通だったら子供の時に協会か貴族向けの魔術師の卵のあっせん組織に拾われてるぜ。まだどこの色もついてないって言うなら、つながりを持ちたいって思われるのもうなずけるだろ」
”つながり” それはコリンナと花の間にあるようなつながりには思えなかった。彼女との”つながり”で手紙が届いたと思っていた花は、どこか残念な気持ちになっている自分に気が付いた。
「まあね、そうね。魔術師って貴重らしいものね、たしかにそうかも。私はここに来たばかりだけど、力が強いって言われるし……」
けれど、花はいまだに、そんな風に力を買ってくれるその筋の人たちに期待されるほどの力を出せていない気がしていた。浮遊の魔法陣は目を見張る力があったようだが、それだって、もっとも簡単な公開された魔法陣のうちの1つに過ぎない。
花は自分が魔法陣の開発をする未来なんて想像がつかなかったし、素晴らしい力で称賛される権威ある魔術師の自分像も思い浮かばなかった。ただ、自分の生き方にしっくりくるとは言えなかったのだ。
ただ、強いと言われるもの事実であり、そんな評価を下す人々の視線の中に、期待を感じ取らざるを得ないことも事実だった。
「まあ、とりあえず行ってみるわ。そういうことで、明日は朝から出るから、よろしくね」
「わかったよ、クネーの散歩はいっておくから心配しなくていい、気を付けて」
「ありがとう」
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