第39話 なんだか夢を見ているみたいです

「なんだか夢を見ているみたいです」


 以前と違い、質素ながら整ったドレスに身を包んだコリンナが言った。

 今、彼女は艶やかな黒に塗り上げられた馬車に揺られている。向かい合って花は緊張ぎみにコリンナの様子を眺めていた。


「こうしたお客様のお出迎えは侍女がするものなんです。お嬢様が、私とハンナ様の知り合った経緯を考慮して私に任せて下さいました」


 コリンナは丁寧な言葉遣いを心がけながらも思わず口元を緩めていた。オレンジ色の口紅が彼女の溌溂な印象を際立たせながらも、よそ行きの雰囲気を醸し出している。


「私はコリンナが来てくれてうれしいわ。顔見知りだし、安心できるもの」


 コリンナが頬の、そばかすのあるあたりを染めていっそう表情を緩めた。

 花が魔術師であること、学院に入学予定であることを彼女の主人に話したからか、コリンナの花に対する態度は目上の人にするようになった。けれど、こうして話していると彼女の仕草や話し方に、初めて会った時のような砕けた雰囲気を時折感じ取ることができる。


「光栄です」


 コリンナはしとやかに会釈をして花の言葉に答えた。だが、しばらくうずうずしてから、やはり彼女は話を続けるのを止めることができなかった。


「このドレスも、特別にお嬢様のお古をいただいたんです。ちょうど季節の服を買い替えるからとおっしゃって。私は高貴な身分ではないですし、邸宅でもそれほど長くお勤めしていないので、本当は身に余ることなんですが」


 コリンナは大切そうに古着のドレスの生地を掌で撫でた。


「お嬢様は本当に素晴らしい方です」


 カタカタ。車輪の転がる音が変わって、花はハウプトバーンホフ通りに差し掛かったことを察した。


「コリンナのお嬢様は、どうして私を呼んだのかしら」


 花はずっと疑問に思っていたことを口にした。シラーになんとなしに同じことを尋ねたが、思うような返事は帰ってこなかった。


 その時シラーは、珍しく暫く考え込んだ後、判を押したようないかにもAIらしい声で、〈計算に予想以上の時間がかかりそうです。続けますか?〉と言った。

 花は、シラーのその声がいつもより無機質に思えて不気味で、すぐに質問を撤回してしまったのだ。


「実は、私もお嬢様から聞かされていないんです」


 コリンナは肩を落として少し俯き、あれこれと主人の考えに想像を巡らせ始めた。


「また、パンを食べてほしいとか。それとお嬢様は、アカヴィディアに通っています。今年は休暇インタラッセンでお屋敷にいらっしゃいますが……魔術師にお会いになりたかった、とか」


「じゃあ、私が入学したらセンパイになるのね」


 コリンナは首を傾げた。


「センパイ?」


「そう、センパイ」


 ピンと来ていないコリンナはじっと花を見つめている。


〈マスター、この国では、魔力により見た目年齢と実年齢の乖離がよくあるためか、年功序列による上下関係の構築が日本に比べて希薄です。したがって、先輩・後輩に該当する言葉はありません〉


 花はシラーの解説に小さくうなずいた。


「えっと、まあ、同じ学院に通うのね、ってこと」


 コリンナは、なんだそのことか、と納得して相槌を打った。

 花は少し気まずいような気がして話を逸らす。


「コリンナは今のところに勤め始めて長いと思ってたんだけど、お嬢様のところには最近お仕えするようになったの?」


 コリンナは苦い顔をした。花は、しまった、話題を間違えたかと焦ったが、コリンナはすぐに話をつなげた。


「このお屋敷には、12歳のころから勤め始めてもう5年になります。前は違うところを担当してたんですが、あまり馴染めなくて。お嬢様が私を助けて下さったんです」


 コリンナは馴染めなかったころのことについては深く話そうとしなかった。ただ、暗い部屋で寂しく虐げられた自分を、いかにお嬢様が見出し、労り、救い出したかという点については、伯爵家につくまで話し続けたのだった。


「お嬢様が私を見つけて下さらなかったら、きっと私はこのお屋敷を出て行っていたと思うんです」


 御者にはばかるようにコリンナは声のトーンを落とした。仔細は語られなくともその話し方や表情から、花には十分、過去のコリンナの寂しさや孤独を感じ取ることが出来た。

 使用人同士の関係が悪いようには聞こえなかった。だから花は、一体何がコリンナをそれほどまでに孤独にしたのか、彼女の話を聞きながら静かに考えを巡らせていた。


「12歳から働いていたのね」


 花はぽつりと感想をつぶやいた。この国の慣習や常識について、いまだに分かっていないことがたくさんあった。

 コリンナは苦笑して横に落ちた髪をひと房、耳に引っ掛けた。


「ちょっと、早いですよね。まあ、私にもお屋敷にもいろいろ事情があって。大したことじゃないですよ」

「そう」


 花は自分の感覚がこの国のものと合っていたことに安堵して、馬車の窓に目を向けた。

 ハウプトバーンホフとは、また雰囲気の違った景色が見える。

 所狭しと店が並んでいた通りと違い、いい意味で”無駄な空間”が多いように感じられた。所謂、高級住宅街の佇まいだ。


 つられて外をみたコリンナが姿勢を正した。


「そろそろ到着ですね。お嬢様から、お茶の用意を済ませたあとは、部屋では二人きりにって言われてるんです。周りのことは気にせず、ゆっくりしていってください」


 ぎいぃ。

 重い門の音が聞こえた。




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