第26話 それじゃあそっちの紐を持って
「わたしのお嬢様は本当に素晴らしい方なんです!」
コリンナは胸を張って言った。
お嬢様は昔からパンが大好き。ハウプトバーンホフのパンというパンを食べつくした。
そして、魔術学院アカヴィディアに通い始めた彼女は、とうとうパンを作るための魔法陣の開発を始めたのだ。
「どうしてわざわざ魔法陣を作るんですか?」
「だって私の特技ですもの。せっかくなら作ってみんなに食べていただきたいですわ」
コリンナはお嬢様の作ったパンを絶賛した。この上なくフワフワ! 最高に美味!
これならだれでも好きになるはず、という自信をもって街へ出た、なのに。
「魔法陣で作ったパンかあ、材料はちゃんといいの集めてるといってもね。ウチは作る過程も含めて本格指向だからさ」
「伯爵令嬢のお手製? 勘弁してくれよ、いちゃもん付けられたらたまったもんじゃないぜ」
「物はいいですけど、出所がね。きっと、他の店が置いてくれますよ」
扉は無情に閉められた。
お嬢様はとうとう断られ慣れてしまい、コリンナが報告しても、「そう、じゃあパンはいつも通りみなさんへ分けてあげて」と言うばかり。
けれど、昨日は違った。
「お嬢様、今日、パンを買ってくれた人がいます」
コリンナは、ハウプトバーンホフいちの仕立て屋に作らせた、お嬢様の室内着を整えながら報告した。まん丸になったお嬢様の瞳は、真夏のひまわりのようだった。
「そう、じゃあ、残りは明日、屋敷のみんなに引き取ってもらいましょう」
いつもと同じ台詞に色彩が宿った。
外したばかりの髪飾りの代わりに、お嬢様の手に大銅貨が落とされる。それからお嬢様は銅貨をずっと握りしめ、パンを買った二人のことを何度も聞いた。
コリンナは、お嬢様が眠りにつくまで同じ話をくりかえした。
次の日、コリンナは屋敷の使用人にパンを配る準備をしていた。お嬢様の支度を終えた昼前のことだった。
「おーい、コリンナ、外に魔術師からの使いが来てるけど、お嬢様から何も聞いてないよな?」
「魔術師?」
「そう、ハンナって魔術師のうちの、ジョアンヌが、パンを買いに来たってよ」
コリンナは慌てて裏庭へ飛び出した。
「今行きます!」
コリンナが屋敷の裏へ向かうと、見知らぬ女とジョアンヌが荷馬車に座って待っていた。一通りの事情を聞いたコリンナは母屋に飛んで帰ってこう言った。
「お嬢様! レミトロフの食堂からパンの注文が入ります!」
お嬢様は興奮した面持ちでコリンナとこそこそ話し合った。
「そんなにたくさん? いいわ、ちょっとおまけをつけてあげましょう」
ヘルガはほっと胸をなでおろし、コリンナについてきた見習いメイドに代金を渡した。
窓からこちらを覗くお嬢様に深々とお辞儀をして、22斤の食パンを荷馬車に積み込む。
三人の女と食パンを積んだその馬車は、ガタゴト南へ走っていた。
食堂につくまで三人は、口々に今日の奇跡をたたえ合った。
最後に、すまし顔でカーヤがこう言った。
「みんなでサンドイッチをつくったの」
愛しいものを見るように、ジョアンヌはこげ茶の目を細めて見つめる。
「わたしはママにつくってあげた。ワンちゃんにはあげちゃだめっていわれたから」
ヘルガは娘をぎゅっと抱き締めた。
「定期的に買ってもらえることになったので、余ったお金でドッグフードを買うことになりました」
ジョアンヌは照れ隠しに肩を竦めた。
「食堂の番犬が短命だって聞いたから」
カーヤは二人の腕をぺしぺしと叩いて注目を求める。
「おうちにかえってきたらね、コリンナちゃんのママがきて」
コリンナは慌てて小声で訂正した。
「ママじゃない! 先輩!」
カーヤは気にも留めていない。
「みんなにプレゼントをもってきてくれたの」
コリンナは机の上の大きなプレゼントボックスを、そっと花の方へ押し出した。
「お嬢様から感謝の印に」
ジョアンヌがもったいぶって言葉を続ける。
「ハンナがいなくちゃ、こうはならなかったから」
ヘルガも頷いて促した。
「ええ、どうぞ開けてください」
花は頷いて立ち上がると、おいでおいでとアデルモに。アデルモは、まさか、自分が? という表情を浮かべた。
「俺は話を聞いてただけだ」
花は一人でプレゼントを開けるのが恥ずかしくて、こう言った。
「私、昨日何を買いに行ったと思う?」
「クネーのご飯」
「クネーを助けたのは?」
アデルモは、思わず笑みをこぼすと、観念して立ち上がった。
「分かったよ」
「それじゃあそっちの紐を持って」
花とアデルモはプレゼントボックスのリボンの結び目、その両端を摘まむ。
「——せーの」
紐をほどくとプレゼントボックスの箱が開いた。その中に入っていたのは。
とってもおおきくて、ふかふかの、出来立ての食パン。
やわらかく膨らんだパン生地の香りが一同の鼻をくすぐった。
「あーっ、ストップストップ」
花は飛び掛かろうとするクネーを抱きとめて、2、3歩テーブルから後ずさった。
〈4等分しないとトースターには入りませんね。フレンチトーストがおすすめです〉
と、
(そうね、スクロールを売りに行く前に、ご褒美も悪くないかも)
花は頷いて、シラー監修・巨大食パンのフレンチトーストを客人に振舞うことにした。
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