第24話 味噌汁は絶対必要だからね


「うううっ、息苦しい……」


 花はひどい悪夢を見ていた。妖怪のぬりかべが花の顔の上に乗って、息を止めようと押さえつけている。


〈マスター、起きてください〉


 今日に限って鰹出汁の香りはまったくしない。どちらかというと獣っぽい匂いがする。換気不足か。


〈マスター、アラームを鳴らしますよ〉


「いやだ……」


 花はようやく目を覚まして、顔の上の大きな毛玉に気が付いた。クネーが、それも妙に成長したクネーが花の顔の上に鎮座していたのだ。どうりで息苦しいはずである。


「はぁっ、クネー、おっきくなってない!? ドッグフードそんなに食べさせてないわよね?」


 クネーは今や、成犬のパピヨン※ほどの大きさになっていた。柔らかな長毛が花の鼻先をくすぐる。


「はっくしょん!」


 ずび、猫じゃらしで鼻先をくすぐられたようでむずむずする。


〈およそ2.5kg大きくなっています。おっしゃるとおり、ドッグフードは体重の3.5%程度を目安に与えていましたので、適切です〉


「こういう犬種なの? 一日に2.5Kg大きくなるっていう。食べたエサは70gなのに」


〈特徴はレトリバーに似ていますが、この世界の動植物のデータが不十分のため同定が困難です〉


「魔法がある世界だし、受け入れるしかないわ。とりあえずエサはその時の体重に合わせてあげましょ」


 花はやっと鰹出汁の香りを吸い込んで、階下に降りた。

 今日はさっそくコリンナの食パンを焼いた。台所が片付いたので、いくつかの家電——ではなく、魔道具を階下に持ち込んでいる。トースターもその一つ。


 バターと砂糖をたっぷり乗せた分厚いトースト。あまじょっぱい匂いにつられてアデルモはメニューの内容を聞く前にかぶりついていた。


「最高だ」

「毎日食べたい」


〈パンに味噌汁はちぐはぐですが〉


「味噌汁は絶対必要だからね」


〈そうおっしゃる確率が98%でした〉


 アデルモが魔界と化した研究室を片付けている間、花はまたスクロールの作成に明け暮れていた。早く富豪になって買い物を楽しみたい、その一心である。


 結論から言うと、その苦労は功を奏したした。アデルモが出勤する頃には、安定してどのくらいの間効果が持続するか測ることが出来るようになっていた。


 ただ一つ問題があった。


「これを持てばいいのか?」


 アデルモにスクロールをモニターしてもらう事にした時。幸か不幸かアデルモは魔力がそれなりにある方だったので。


「そう、で、私に続いて真似して言って。大体15分で効果が切れると思う。空、祈り」

「空、祈り」


 飛び交うもの。打ち落とされた鳥の羽を授かる第十三の呪文 浮遊スパアナト


 ドーン!


「うわああああ!!」


 アデルモが雄叫びを上げながら空に打ち上げられた。


「や、ヤバい……」


 花は慌てて他のスクロールを取り出してアデルモの後を追った。空の上でプカプカ浮く二人。不幸中の幸いは、アデルモがこの上なく楽観的だったこと。


「ハンナ、これは本当に……すごい」


 ギャア! と鳴きながら掠めるように飛んでいくカラスの隣で、アデルモはそう言った。


「ごめん、アデルモにモノを浮かして貰う方が良かったわ。すごいけど、15分もここに居るのはちょっと危険かも」


 そういう花の頭も鳥につつかれそうになる。

 アデルモは屈託なく笑った。


「ははは、いや、スクロールなんて使ったことがなかったからいい経験になった。空を飛ぶのも悪くない」


「オーケー、悪くないけど、危ないから一緒に降りましょ」


 アデルモは肩を竦めて、少し残念そうに言う。


「仕方ない」


 シラーの通信機マイクロカム越しの指示どおり、二人で解呪の呪文を唱えた。


「打つもの、鳥、羽。空と共に授る祈りは飛び交うものへと返そう。解呪 浮遊スパアナト


 二人の体はゆっくりと地面に降り立った。それから、今度は大人しくモノを飛ばしてもらう。同じくらい飛んだ。


「まあいい感じに浮いてくれないけどそういうものだと思えば悪くないかも」


「高価な物が次々使い捨てられて俺は目が回りそうだ」


〈特に意識せず使用すれば地上およそ35m地点に浮遊するようです。使用者が魔力保持者であればさらに上方修正が可能でしょう〉


 アデルモはシラーの報告に顔で驚いてみせると、上着を羽織って玄関へ向かった。彼は出勤の時間だ。


 これでスクロールは何とかなりそうだ。いくらで売れるかは分からないが、少なくとも足しにはなるだろう。

 あとは、ハウプトバーンホフの二人の商売も上手くいくといいのだが……。


 そう思って寛いでいた花の元へ、意外なニュースが飛び込んだ。


〈マスター、ヘルガが玄関先に来ています〉


「あっ、パンの感想かな?」


 花は軽い足取りで玄関へと向かう。そして、透明自動ドアから出て外門を開いた花に、感極まった様子のヘルガが駆け寄った。


「最高の偶然をありがとう!」



────

パピヨン:体長25cm程度、体重2-4kgの超小型犬

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る