第21話 やっちゃった!


 思いのままに感情をぶちまけるというのは、それはそれで勇気のいることだ。


「また泣いてる、最近頻繁ね。馬車に乗って何か売り込みに来ているようだけど……」


 このペットショップの店主の女、ジョアンヌは気の毒そうにそう言って、首を振った。

 上手くいっていないのだろう。


「あの子が来るたびに昔を思い出すのよ。でも外野から首を突っ込むわけにもいかないし、うまくいかなかった私がアドバイスをするのもね」


 ジョアンヌは窓に鍵を閉めた。


「引き留めてごめんなさい。それから、下であなたを追い返そうとしたのも」


 急こう配の階段を慎重に降りつつ、ジョアンヌはすこしうつむきながらそう言った。


「いえ」


 花は短く答えた。

 階下へ到着すると、また近くの動物、特に花が見たこともない不思議な生き物は毛を逆立てた。

 ジョアンヌはそれをじっと見つめてなだめる。


「うーん、おかしいわね。いつもはもっとおとなしいのに、どうしてこんなに敏感になってるのか」


 花は苦笑いした。そういえば、エッポの骨董店でも似たようなことを言われたと思ったからだ。


「今日はどうもありがとう」


 ジョアンヌは扉を開けた。


「こちらこそ、また来ますね」


「まってるわ」


 カランカラン。

 扉を閉めるときに鳴る軽やかな鐘の音。花は深呼吸して、自分の問題を思い出した。


 上手くいかないスクロールに、アデルモの武闘大会。

 相手のためを思っても、受け入れられなければ意味がない——

 シラーには根競べ、と言ったものの、いったいどうすればアデルモに受け入れてもらえるのか、さっぱりわからないでいた。

 その時。


〈BeeeeeeP〉


 シラーらしくないビープ音。やさしいが不安を煽る。驚いたのもつかの間、花は左から突進してきた少女の陰にすっぽりと収まっていた。


「え」

「どわあああああああ!」


 どすん! 花はきれいにの女の子の下敷きになった。彼女は大きな籠を両手を伸ばして支えている。石畳に思い切り頭を打ち付けて、花は少しクラクラした。


(パンに負けた気分だわ)


〈マスター、転倒速度と力の加減から、脳震盪になった可能性が0より大きいです。頭痛、めまい、耳鳴りや目のかすみなど、不調はありませんか? また、私の声は聞こえますか?〉


「聞こえてるわ……」


「ごめんなさああああい!!」


 女の子は慌てて花の上から体を離し、大事そうにパンの籠を両腕で掲げながら土下座した。

 シラーの淡々とした分析が続く。


〈映像解析の結果、意識障害は見られませんでした。念のため、しばらくは激しい運動を行わず、違和感があればすぐにお知らせください〉


 花はゆっくり立ち上がって、服についた土埃を叩き落とした。


〈自宅のことでご報告があります。アデルモが出勤前に置手紙を残したため、マスターが置手紙を確認した後、報告します〉


「ありがと、シラー」


(いったい何があったのよ)


 花は落とした鞄を肩に引っ掛けなおして、目の前の女の子を見た。


「あの、大丈夫だからそんなに謝らないで」


 女の子はもぞもぞと芋虫のような怪しい動きで立ち上がり、籠を抱えて頭を下げた。


「すみません、いっぱい泣いて、周りが見えなくて」


「本当に大丈夫、頭をあげて。怒ってないから」


「ほん、ほんとうですかああ!?」


 女の子はずびっと鼻水をすすって、たっぷりの涙で潤んだ眼を花に向けた。


「本当、本当」


 花は少したじろいだが、そんな花の手を女の子は逃がすまいとがっしり掴んだ。


「お腹、すいてませんか!?」


「まあ、空いてるけど」


 ペットショップで話し込んでいるうちに、お昼の時間は過ぎていた。

 花の答えを聞いた女の子は、ふん! と鼻息荒く迫ってくる。


「お代はいりません、お詫びにパン! パンを食べてくれませんか!?」


 それは、お願いなのか、お詫びなのか……。ともかく、花はその提案に頷いたのだった。


 花にぶつかってきた女の子、コリンナが案内したのは、通りの一角にある休憩スペースだった。馬子や付き人が、大きな屋根だけのテントの下で談笑している。

 使用人風の服を着た花は、驚くほど違和感なくその空間に馴染んでいた。


「どう? どうですか? おいしいですか? ふわふわですか?」


 花はしっとりした白パンをもちもちと食べてみる。ほど良く塩味がきいていて、小さな丸っこいパンはたちまち胃袋に収められた。


「すごくおいしいわ!」


 コリンナは嬉しそうに眦を染め、猫目をきゅっと細めて笑った。


「ですよね! 美味しいですよね! うれしいなあ、やっぱりお嬢様のパンはとってもとっても美味しいですよね。私も、大好きなんです」


 抑えきれない喜びに、コリンナの口元はふわふわ緩んでいる。


「お嬢様?」


 とてもパンを作った人に似つかわしくない称号に花が首をかしげると、コリンナははっと青ざめ、両手で口を抑えた。


「やっちゃった!」


 全部声に出ている。

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