第19話 贅沢昼ランチ9回分ね


 異世界のペットショップには、摩訶不思議な生き物がたくさんいた。


 羽の生えたサラマンダーが檻の中でごうっと炎を吐き、勢いあまって黒い煙にせき込んでいたり。桃色の小鳥(それも、親指の先ほどの小さな鳥)がピピピピピ、と泣きながら羽を透明にしては戻したり。


「これが異世界のペットショップ……」


 花がつぶやくと近くの籠の中の猫が低い声で威嚇してきた。それどことか、花が歩くとその周りの動物たちは妙に花を意識してじっと見たり、あるいは騒いだりしてる。


〈素晴らしい、データにない生き物ばかりです。あ、マスター、もうちょっと右を向いてください。具体的には23度。箱の陰に隠れたものをスキャンします〉


「23度!? 細かすぎる!」


 花は小声で抗議する。


「ちょっと!」


 凛とした女の声が響いた。

 がっしりとした体躯にメリハリのある体つき。上半身は薄着でチョコレート色の肌を晒している。


「うちの子たちが怖がってるじゃない」


 女はシッシ! と手を振って花を動物たちのいるエリアから追い出した。

 そして人差し指で指さす。


「あなた、魔術師ね。実験に使おうったってそうはいかないわよ。うちの子たちはみんないい飼い主さんのところに行くんだから」


 花は眉をひそめた。魔術師ってペットショップに入っただけで実験のいけにえを探していると思われるくらい、残虐非道なイメージなの?


(シラーのスキャンはちょっと変態的かもしれないけど、動物に危害は加えないわよ!)


 そして、努めて明るい声で言う。


「あ~、いえ、うちで飼ってる犬にドッグフードを買って帰りたくて」


 ドッグフード、と聞いて女はたちまち表情がやさしくなった。ドッグフードで? 何か特別な暗号なのだろうか。


「いいわ、そういうのは2階に置いてるの。あなたがいると動物たちが落ち着かないから、2階へ行きましょ」


 女はカウンターに「二階にいます」の札を掛けると、花の背を押して階段を上った。


「ドッグフードを買うなら、うちが一番。まさかうちが選んでもらえるなんて」


 そんなに大層なことなのか、入る場所を間違えたんじゃないかと不安になりながら、花は椅子に座った。


「ドッグフードって中途半端に高いから、下町じゃみんな残飯をやるでしょ?」


 花は頷いた。これは”そうね”ではなく”知らなかったけど、そうなのね”の頷き。


「でもね、健康を考えると、やっぱり犬に必要な栄養をきちんと摂れるのが一番なの。うちはハウプトバーンホフの端っこにあるけど、中央のペットショップは妙に高い食材を使ったドッグフードを売ってるわ。それって本当に犬のための食事って言える?」


 花はゆっくり首を振った。すごい熱の入りように感嘆して、さっきのレストラン前の女の子を思い出した。

 女は咳払いする。


「ともかく、うちのはできるだけ安く買えて、健康にいいドッグフードなの。まだ、あまり売れてないけど……」


 女は次第に声を小さくして、寂しそうにため息を吐いた。

 だが、むしろ花は笑顔になった。高級店のドッグフードなんてもとより求めていたわけではないし、安くて健康にいいなら最高だ。


「多分、まだ幼犬で、2か月か3か月くらいなの。持った時の重さが……2kgくらい。とりあえず半月分、900gもらえますか?」


 女は嬉しそうに身を乗り出した。


「100gあたり、大銅貨1枚よ」


 相場感が分からない。花がうーんと考えていると、シラーが口を出してきた。目の前の彼女が今か今かと返事を待っているので、居心地が悪い。


〈検索結果から分かりやすくお伝えすると、大銅貨1枚は会社員の贅沢平日昼ランチといったところですね〉


 それならなんとかなりそうだ。


「贅沢昼ランチ9回分ね。これで、お願いします」


 女は感極まって深呼吸をすると、大銅貨9枚を受け取った。花は彼女がドッグフードを持ってくるのを待っていた。しかし、しばらくじっと手元を見つめていた彼女の眼尻に涙が光って驚いた。


「しんじられない」


 彼女はぽつりとつぶやいた。

 花はこの世界のドッグフード事情なんて全く知らなかった。けれど、この偶然の入店が、この女にとってはよほど重みのある者になったということだけは、よく理解した。


 ずず、と鼻をすすって赤らんだ眼を明後日の方向へ向ける彼女。

 花はしばらく声を掛けられずにいた。


「急にごめんなさい、まさかこんなことが起こるなんて、思っていなくて。ああ、お金を受け取ったら急に実感がわいちゃった」


 彼女は涙の後を拭いて、後ろの棚からドッグフードの小袋を9つ取ってきた。

 袋の中には、きれいに丸く成形されたビスケットのようなものが入っている。


「これは私が作ってるの。実はあなたが二人目のお客さん、……もうこのまま、作るの辞めようかってところだったのよ」


 花はドッグフードを覗き込んだ。そんなに悪いもののようには見えない。どうして売れなかったんだろう?


「いえ、安くて健康って、すごくいいと思います。また買いに来ますね」


 女はにっこり笑って、頷いた。

 花はシラーに解説を求めようとしたが、シラーは


〈申し訳ございません、貴族文化やペット文化についての情報は著しく不足しています〉


 と言うばかりであった。


 それから少し雑談をした。どうしてドッグフードを? とか、もしかしてキャットフードもつくってる? とか。あるいは、どうしてうちに来てくれたの? 買おうと思った決め手は? とか。

 ただ、残念ながら花は彼女の求める答えを持っていなかった。


 女は少し落胆した様子だったが、この「安くて健康なドッグフード」が売れないわけを語り始めた。


「このドッグフードはね、ある人と一緒に作り始めたの」


「ある人?」


「ああ、もしかしたらあなたも知ってるかも。有名な人だから。名前は——」

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