第17話 なんだか想像できるわ


 アデルモがクネーを捕まえて離さない。


 これまで花が少しでもなにかしてやろうとしたら、一度必ず断ってきたアデルモ。だが、クネーと遊ぶことについては断りはなくむしろ自ら「ありがとう」と子犬を連れ去った。


(どうぞ、とすら言ってないけど……)


 無言で嬉しそうに撫でまわすアデルモから逃れようと、クネーも楽しそうに大暴れしている。


「クネー!」


 カーヤの声が聞こえた。母親の手を振り切ってこちらに駆け寄ってくる。


「おはよう、カーヤ」


「おはよーおねーちゃん! クネー、元気になった!」


 カーヤは花を一瞥いちべつもせず、声だけで返事をしてクネーに駆け寄った。


「元気すぎて困るくらいだな」


 アデルモはカーヤとクネーをいっぺんに撫でまわした。

 カーヤの母親が小走りで彼女を追ってくる。


「カーヤ!」


 息を切らして駆け寄る彼女は、視界に子犬を見つけると、途端に表情を曇らせた。

 花は、あわてて体を彼女の前に割り込ませる。


「すみません、犬が。カーヤに懐いてるみたいで」


 表情がふっと和らいだ。


「お宅の、犬」


「たまに一緒に遊ばせてあげてもいいかしら?」


 彼女はゆっくりとほほ笑んで肩を竦めた。


「少し、勘違いしてたみたいで。ええ、もちろん大丈夫です。私はなかなかあの子に買ってあげられるものがなくて。……ヘルガと言います。ここから少し南に住んでるんです」


 そう言うと、昨日の剣幕からは想像もつかないほど穏やかな表情で、カーヤたちを見つめた。


〈大抵の長屋では動物を飼育することを禁じられています。また、母子家庭の稼ぎでは人形を買うのも難しいでしょう〉


 花は首を傾げた。母子家庭?


〈スキャンデータによると、玄関に男性用の靴はありませんでした。また、彼女の手の荒れ方から、日常的に長時間、炊事あるいは洗濯等、水を使う仕事に従事している可能性は98%です〉


「あの」


 返事をしない花をヘルガが心配そうにのぞき込んできた。

 花はシラーの分析をあたまから振り払った。


「ハンナです。このあたりは住宅街だけど、お友達の家にでも?」


「いいえ、バルバラにパンの籠を返しに」


 ヘルガは手元の籠を持ち上げた。布で覆われているが、中には何かがこんもりと盛られている。


「沢山買ったからって分けていただいたんです。まあ、方便でしょうけど」


 花はくすくすと笑った。


「なんだか想像できるわ」


「あの人は世話焼きですから」


〈妥当な評価です〉


 シラーが口を挟んだ。


「本当に。今、犬と遊んでいる彼がいるでしょ?」


 花はアデルモの方を見た。ヘルガはそうね、と頷いて続きを促す。


「バルバラが行き倒れてるのを拾ったみたいなの。しばらく住み込みで手伝いをしてもらうことになったわ」


「あのおばあさんったら本当に」


ヘルガは呆れ半分のため息を吐いて、それからしみじみとこう言った。


「助けられてばかりだわ」


 花はその意見に同意して、ふと疑問を覚えた。


「でも、クネーには気付かなかったのかな」


「私も不思議に思ってたんですよ、このあたりのはなんでもバルバラが拾っちゃうから」


 でもね、とヘルガは声を小さくして続ける。


「クネーは路地の暗いところに捨てられてたでしょう。バルバラは最近かなり、目が悪いみたいなんです」


「ほんとに?」


 花は不安そうに耳の後ろをトン、と指で一度叩いた。


〈確認当時、建物の隙間の照度40ルクス程度の場所に隠すように捨てられていました。視力が低下した状態で汚れた子犬を発見するのは難しいでしょう〉


 そんなところに捨てるのは、犬を捨てるのが後ろめたいからか……。


「歩くときは誰かにつかまってれば大分安心みたい。本人は隠してますけど」


「視力検査……」


「検査?」


〈バルバラに視力検査ですか? 年齢を考慮すると白内障を考慮したチェック項目をピックアップすることを提案します。現在までの記録中、23回の行動に視力の低下に伴う障害が確認されています。

 また、最終的な診断は必ず医師によって行うものとし、私が確認できるのはあくまでチェックリストに応じた要受診程度の推論であることを確認してください〉


 花はデフォルトの注意事項に辟易してため息を吐いた。


「いえ、気にしないで」


「私はバルバラに籠を返したらあの子を連れてうちに戻しておきます。ハンナ、あなたは今日の予定は?」


 花はアデルモとカーヤを見た。クネーはすっかり二人に独占されてしまってる。


「後で、ドックフードを買いに行かないと」


 ヘルガは柔らかく笑った。


「そうですね、あなたの犬、昨日より結構大きいみたいですから。……気のせいかしら」


「結構、大きい?」


〈体長が5.2cm伸び、それに伴って体重もおよそ860g増加しています〉


「そんなに?」


〈体重計で成長を記録しますか?〉


「ええ、そんなに。ドックフードがたくさん必要みたいですね」


「そうね、ちょっと、体重を記録してみるわ」


「あら、愛情たっぷり。……それじゃあ私はそろそろ失礼します。カーヤ! 行くわよ」


 カーヤは犬とじゃれ合うのをやめて不満そうに母親を見た。


「えーー」


「おいで、ママ、仕事に遅刻しちゃうから」


 アデルモが何事かカーヤに囁く。カーヤは急にきりっと立ち上がってこちらにやってきた。


「カーヤ、クネーとまた遊んでね」


「いいよ、遊んであげる」


 カーヤのいいように彼女を囲む大人三人は笑いを堪えられなかった。

二人を見送った花に、ようやくクネーが帰ってくる。


〈ペットショップを目的地に設定しました。所要時間は、乗合馬車で約25分です。案内を開始しますか?〉

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