コレクション4 とってもおおきくてふかふか

第16話 それは、最高、ということですね


 掛布団は風通しがよく、さらさらとした手触りでありながら、柔らかく体を包んでいる。もう、今日は一日、ここから出たくない。


〈マスター、もうアラームが最初に鳴ってから43分52秒経過しています。そろそろ起きてください、朝食が出来ていますよ〉


 花はすんすん、と鼻を鳴らした。鰹出汁の効いた味噌汁の出来上がったにおいが、扉の向こうのキッチンから漂ってくる。

 そのままシラーの策略にまんまと乗せられて、花は目を擦りながら朝の支度をした。


〈今日は二人分ご用意しています。昨日、丸白魚ラヤラヤウオを買ってきていただいたので、焼き魚定食です〉


 シラーはトレイの上にワンプレートの和定食を用意していた。


〈この部屋で食べますか? それとも下のダイニングに行きますか?〉


 花はリビングのテレビを見てから、階下を指さした。


「ダイニングに行こう、運んでくれる?」


〈もちろんです〉



 ***



「アデルモ、起きて、朝だよ」


「う……」


〈アラームを鳴らしましょうか? 目が覚めやすいので〉


「流石に可哀想だよ」


 アデルモは起き抜けの回らない頭でぼんやりと花とシラーの会話を聞いていた。


「……?」


 ハンナともう一人? この家に他に住人が居たのだろうか。そう思って起き上がったアデルモの目の前には、スピーカーモードで話すシラーの腕があった。


〈レム睡眠に差し掛かっていましたからすぐに。ほら、目を覚ましました〉


 アデルモは目の前の物体に目を奪われ、片手で自分の頬を覆って驚いている。ぽかんと間抜けに口を開いているので、その衝撃は花にも容易に想像できた。


 アデルモは、花と腕を交互に指さす。


「腹話術?」


「違う」


〈まさか。……誰も後ろに隠れていませんよ〉


 人影を探すアデルモにシラーが付け加えた。


「これは、シラーって言って、なんていうか」


 花は組んだ指をくるくると回して言葉を探した。


「機械なんだけど人間みたいで……賢い……」


 シラーの腕は握手の体制に入った。アデルモは危険なものに触れるかのように恐る恐る手を伸ばし、指先でシラーの手を摘んで優しく握手した。


「まあ、喋る腕だと思ってもらえれば」


「すごいな……」


 アデルモは心底感心しているようだった。素直でなにより。


〈自己紹介をします。はじめまして、AIシラーです。私の名前は、Smart&LuxaryのSとY、上流階級を意味するrahを合わせて作られました〉


「すま?」


 アデルモはすっかり困惑している。

 デフォルトの自己紹介を始めてしまったシラーに、花は片手をくるくると回してみせた。”巻いて!”

 シラーの台詞が5倍速になる。


〈また、Syrahはフランスのワイン御三家の一つ、コート・デュ・ローヌ地方の赤ワイン用ブドウ品種の名前でもあります。シラーをブレンドした赤ワインのように華やかな毎日をお約束します〉


 花ですら半分も聞き取れなかった。


〈ダイニングテーブルに朝食をご用意しています。冷めないうちにどうぞ〉


 二人は嬉々として席に着いた。


〈お味は如何ですか? 感想に応じて次回から味を調整することができます〉


 花はほどよく塩のきいた魚を解して大根おろしと共に口にほうり込む。青みのある大根のピリリとした辛味が僅かに感じられた。


「いつもどおりね」


〈それは、最高、ということですね。お褒めにあずかり光栄です〉


 花は澄ました顔で食べ進めるが、アデルモは頬を紅潮させて物凄い勢いでかき込んでいる。


「初めて食べる味」


 和食だからね、と花は頷く。

 アデルモは残った味噌汁をずずっと飲み干して満足そうに深く長い息を吐いた。


「知らない味ばかりでさっぱりわからない」


 アデルモはぼーっと天井の方を眺める。


「でも最高だ」


〈ありがとうございます〉


「この白身魚、毎日でも食べたい。もうないなんて信じられない」


 アデルモは皿に残った白身魚の欠片を箸でつまみ上げてしみじみと言った。


〈明日も魚にしましょうか〉


「いいのか?」


〈マスター〉


「私はなんでも。鰹出汁の味噌汁だけあれば満足なの」


 花はゆっくりと朝食を食べ進めている。


〈味噌汁だけでは極めて栄養バランスが良くないため、私が献立を立てています〉


「明日も楽しみだ……」


 花もひと通り食べ終えて、食後の暖かい烏龍茶を嗜んでいる。

 席を立とうとしたアデルモは一緒に烏龍茶を飲もうと留めておいた。烏龍茶を置いた花は、徐に茶封筒を取り出してすっとアデルモに差し出す。


「これは?」


 花は空中に視線を投げて程よい言葉を探した。


「そうね、義援金? お布施……違うな、頑張ったで賞?」


 アデルモは怪訝そうにその様子を見て封筒の中身を机の上に開ける。


 小金貨2枚と、銀貨が15枚。


 アデルモは頭を抱えた。


「だめだ、受け取れない」


 花は、はっ、と息を吐いて異論を唱えた。


「そんな、あなたが二ヶ月働いたお金にこれを足せば、大会に参加できるじゃない。どうして?」


「何もしてないのに、こんな大金は受け取れないよ」


 花はむす、と唇を引き結ぶ。


「あなたは頑張ってるんだし、たまにはこういう幸運があったっていいじゃない。宝くじにあたったと思ってよ」


 アデルモは苦しそうに眉根を寄せた。


「違うんだ、俺の我儘なんだ。分かってる、でも、ただで施しを受けて夢を叶えたい訳じゃない」


 アデルモは唐突に、花の手を両手でぎゅっと握った。


「いいか、白塔の騎士は高潔で、優しく、弱き者を助けるんだ。施しを受けず、ただ与えることに悦びを見つける。ハンナのこれを受け取るのは、育て親の遺産を受け取るのとは訳がちがう。そうやって騎士になっても、俺は胸を張れないんだよ」


 花は心の中で頑固者め、とアデルモを呼んだ。何もしていない訳じゃない、彼の行いが花を動かしたのに……。


「分かったわ」


 ひとまず封筒は花が引き下げた。


〈いいのですか? それなら収入計画の見直しは不要ですね〉


「まさか、またちょっと考えるわ。もう決めちゃったもん、ここまで来たら根比べね。また作戦会議しましょ」


〈作戦会議……〉


 こそこそと小声で話す花たちをアデルモはじっと観察する。いくら見ても聞こえないが。


 その時、少し固くなったダイニングの空気を塗り替えるかのように、高い鳴き声が部屋に響いた。


「わん!」


 全員の注目が集まった。


「くぅん」


 クネーだ。すっかり元気になっている。


「ねえ、仕事まで時間あるの?」


「ああ」


 花はクネーを抱えて玄関に向かった。シラーの二本の腕は、どこから見つけたのか小さのリード付きの首輪と、アデルモを摘んで追いかけてくる。


 一時休戦。


 カーヤにも会わせてあげよう。

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