第13話 まだ諦めたくないんだ

 花のアデルモに対する第一印象はと言えば、おとぼけ大型犬だった。


「騎士になるのが小さいころからの夢で」


 アデルモは気恥しそうにそう言った。


「俺は帝国民の札を持っていない。だから年に一度の武闘大会で成績を残して、白塔騎士団の入団試験への切符を手に入れたいんだ」


 いまいちピンときてない花に、バルバラが横から口を挟んだ。


「武闘大会に出るには小金貨を4枚納めなきゃいけないんだ」


「へえ……」


 花は自宅に置いている茶封筒を思い出した。銀行の口座残高から変換された硬貨が入っている。残りは小金貨5枚と銀貨が15枚。


〈小金貨が1枚あれば3人家族で1か月暮らせます〉


 なるほど、なかなかの金額だ。払おうと思ったら払えなくはない。ただそれだけ払えば素敵なものを見つけた時に買う余裕がなくなってしまうな、と花は思った。


「本当は二人でリューバッハ市に入ったんだ。だが少し前に一緒に来たトーマンが俺たちの金貨をもって行方をくらまして」


 アデルモはがっくりと肩を落とした。それで、武闘大会のことを考えると、これ以上、路銀ろぎん※を減らすわけにもいかない。

 節約を考えるあまり宿を出て食事を切り詰め、行き倒れたところをバルバラに拾われたらしい。


(ご飯は食べなきゃ、大会で負けるでしょ……)


 と花は思ったが、アデルモは目の前のことでいっぱいいっぱいだった。


「用心棒の仕事を昨日見つけたんだ。なんとか武闘大会までにお金を貯めようと思って」


「今はうちのソファに寝てるの。大会に間に合わせるにはなんでもやるって。野宿でもしかねないわ……。

 だけどずっとソファに寝かせるわけにはいかないでしょ。うちのソファは次の困ったさんにとっておかなくちゃね」


 アデルモはごほごほ、とわざとらしく咳をした。

 花は納得して頷く。


「それで、うちの掃除に困ってないかって聞いたんですね」


「そういうこと、できたら掃除を手伝う代わりに暫く置いてやってくれないかと思ってね」


 花は少し考えて、アデルモを観察した。彼のグリーンの瞳からそこはかとない期待が読み取れる。

 少したじろぐ。

 まあ、お金を持っていかれたところから考えても、今の態度を考えても、大がかりな詐欺のようには思えない。


「部屋ならあります。ベッドは……」


〈古いですが、魔術師グリューネヴァルトの置いていたベッドが二つ。ほとんど使った形跡のない主寝室のものと、研究室の仮眠用ベッドです〉


「洗えば使えるかも」


 笑顔にこそならなかったが、アデルモは途端にぱっと明るい雰囲気を纏った。


〈同居人が2人になるわけですね〉


「全部でね」


「3人」


〈私は人ではありません。物体を基準にするなら正確にはです〉


 花は聞き流した。


「後で説明するわ。よろしくね」


 二人は立ち上がって握手した。バルバラは両手を合わせて満足そうにうなずくと、引っ越し祝いよ、と言って焼き菓子の籠を持ってきた。


「ええっと今日からってことなの?」

「荷物は少ないから」


 そう言うアデルモの視線の先には木刀と、手回り品をまとめたズタ袋がぽつんと置かれていた。


 ***



〈屋敷の使用人が出入りする、ハウスキーパー用の品を取り扱った店があります。基本的な掃除用具はありますが、重曹や洗剤などはそこでそろえた方がいいでしょう〉


 花はシラーのアドバイスに従って、南市に買い物をしに行くことにした。


「食事はまかないが出るし、俺は何もいらない」


 と、アデルモは言ったが、花の冷蔵庫の食材も減ってきたし、掃除用の石鹸や洗剤も必要だ。


〈午後からの仕事ではまかないは昼以降になりますね。朝食の欠食はよくありません。一日に必要な栄養が摂取できませんよ〉


 花はシラーの言葉をアデルモに言いはしなかった。屋敷に帰ったら直接伝えてもらおう……。


〈栄養が足りないと筋肉が分解されます。一般的にこの現象をカタボリックと呼びます。慢性的な栄養不足は——〉


「そういえば、家族はどこにいるの?」


 花はシラーの言葉をさえぎって聞いてみた。

 自分は帝国では天涯孤独の身だ。この国の家庭事情が気になったのだ。

 だが、アデルモは気乗りしなさそうな様子でこう言った。


「育ててくれた人がいたけど、先月、病で死んだんだ」

「あっごめん」

「いや、気にするな。何時かはこうなると思ってた。ここに来たのもその人が理由で」


 通り道の屋台から漂う香りにすん、と鼻を鳴らしながら話を続けた。


「最期にお前の夢を叶えろって、こっそり貯めてたお金をくれたんだ」


「その武闘大会って……」


「2か月後」


「行けそうなの?」


 アデルモは返事をしなかった。

 彼は肉のたっぷり入ったラーィズの店をじっと目で追う。だがふるふると邪念を振り払うように頭を振って、両手で自分の頬をぺしん! と挟んだ。


「まだ諦めたくないんだ」


〈ああ、賃金の相場が変わっていなければ計算するのですが……。少なくとも余裕ではないと言っておきましょう〉


 花は思わず小さな笑い声を零した。


「仕事、午後からなんでしょ? 出会ったお祝いにおごるわ」


 ごほごほ。アデルモはまたわざとらしい咳ばらいをした。


「夕方に賄いが出るから、それに世話をかけるわけには」


 彼の言葉を裏切るように、お腹からグゥ、という音が聞こえた。


「行きましょ!」


 花はラーィズ店を指さした。


〈昼食も欠食状態と確認。栄養のバランスと適性摂取量を考慮して野菜と豆を中心とした献立を提案します。本当にラーィズを食べるのですか?〉


「人にはこういう時も必要なのよ!」


 _____


 ※路銀ろぎん:旅費のこと

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