第12話 空、祈り、飛び交うもの


 集中を持続するには限界がある。


「ああ、もう5時間くらいこれやってる気がするわ」


 花はA4のコピー用紙に奇妙な模様を書き込んでいた。


〈現在、作業開始から36分27秒経過しました。

 マスター、テレビに近づきすぎです。もっと拡大して投影しますから、離れてください。視力に悪影響を及ぼします〉


「わかったわかった。筆順間違えそうだから静かにして」


〈あっ〉


「なに!?」


〈右の四角は左の丸の後です〉


「ありがと……」


 花が書いているのはごく簡単な浮遊の魔法陣だ。この世界では熟達していない魔術師や、魔力が魔術師ほどに及ばない人々は魔法陣をつかって魔法をかける。

 花にはグリューネヴァルトの魔術に関する記憶がない。だからとりあえず魔法を使うにはこの方法しかなかった。


〈普通の人が魔法陣を書いても成功率は低いです。これは魔術師のみに許されたいわば特権。マスターは魔術師ですから、間違わずに書けばまず成功するでしょう〉


「できた……2枚目」


 花はぱたぱたと手でインクに風を送った。1枚目は筆順を間違えていたのに気が付かず失敗した。そのあと何枚か書いたが、全部微妙に書き損じたのだ。それからはシラーに間違えそうなときに止めてもらうことにした。


〈呪文をテレビに表示します。魔法陣に魔力を流し込むようにイメージし、呪文を唱えてください〉


「空、祈り、飛び交うもの。打ち落とされた鳥の羽を授かる第十三の呪文 浮遊スパアナト


 花の体がゆっくりと持ち上がった。なれない感覚に両腕を伸ばしてバランスを取る。

 イマイチ制御できずに天井に体を押し付けられている。しかし、花の瞳はきらきら輝いていた。


〈魔法陣には使用者・作成者の技量や力に応じた使用時間制限があります。マスターは未知数……〉


「やった! 魔法使えた!」


 と、いう喜びもつかの間、突然支えを失って、花はソファの上にどすん! と落ちた。


〈ああ……〉

「いったあ」


 花はソファであおむけに伸びた。


「しぬかとおもったわ」


〈マスターの姿勢と落下速度から計算したところ、捻挫や骨折に至る負荷が体に掛かった可能性は0.1%未満です〉


「こういうのは気持ちの問題なのよ、シラー」


 シラーはそれには返事をしなかった。

 花は書き散らかした失敗作の魔法陣を丸めてゴミ袋に詰め込む。綺麗にできた魔法陣は置いておくことにした。十分な魔力があるなら繰り返し使えるからだ。


「疲れたからねようかなあ」


 花はぺたっと机に頬をくっつけてつぶやいた。


〈では、お休み前にひとつ〉


「なに?」


〈収入源の確保についてです。専用の紙に魔力をたっぷり込めた魔法陣は、「スクロール」と呼ばれてそれなりの値段で取引されます。魔法陣の生成に成功しましたから、無理な目標ではないかと〉


「一本いくら?」


〈鑑定を受けなければなんとも…安いものは銀貨1枚から、高値が付けば金貨5枚など〉


「さっぱり想像つかないわ」


〈銀貨が1枚あればおいしいディナーが食べられますよ。それもコースで〉


「苦労のわりにしょっぱいなあ。まあでも一応やってみるわ。明日以降ね」


〈おやすみなさい、マスター。明日はバルバラがいらっしゃるでしょうから、アラーム機能をオンにします〉


「うう」


 花は嫌そうな寝言を言った。



 ***



 次の日、シラーの予告どおり、バルバラが訪ねてきた。花はシラーが洗濯してくれたマキシ丈のスカートを身に着けて玄関に出る。


「おはよう、バルバラ」


「おはよう、ハンナ。いい朝ね」


 バルバラはきれいな帝国語を話す。


「このあたりは長屋が多いから、家を追われたり宿が見つからない人がたまに道に行き倒れているのだけれど」


 バルバラは花の腕を引いて道路を横断しながら言った。


「わたしはそういうのを放っておけないのね」


 ガチャ、バルバラの家の軽い扉が開かれた。中は生活感にあふれていて、天井の低いリビングにはこれでもかというほどモノで溢れている。


 案内されたダイニングテーブルには、一人の男が座っていた。一見ほっそりとしたシルエット。そのグリーンの瞳に見覚えがある。


「あ」


 男は驚いた様子だった。


「この間の子犬の……」


「あのときは、どうも」


「あら、二人とも知り合い?」


「いえ、家の前でたまたま顔を合わせたの」


「あらそう、それってもう知り合いじゃない? まあいいわ、座って座って」


 バルバラは三人分のコーヒーを淹れてからダイニングの椅子に座り、話始めた。


「彼を……引き取ってくれないかと思って」


「引き取る?」


〈引き受けて世話をするという意味です〉


 花は小声で反論した。


「知ってるわよ!」


「知ってる?」


「あ、いえ……」


 バルバラはちらっと男に目配せをした。

 男は意図を理解できないようで、とぼけた顔で視線を返す。バルバラはたまりかねてバシッと彼の肩を叩いた。


「アデルモ! 説明してあげて」


 ようやく理解した男、アデルモは咳ばらいをし、かしこまって花に向かい合った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る