第8話 まったくこれだから魔術師ってやつは
「ああ、だめだめ。木札は10年前に廃止になったんだよ、魔術師のお嬢さん。役所で再発行してもらわないと」
エッポの骨董店の入り口で、そうやって花は追い返された。
楽しみに胸を躍らせて横道に入ってすぐのことだった。
「そうですか……。一番近い役所はどこですか」
「ああ、右に曲がって、突き当たった広い通りを西に行くといい。すぐそこだよ」
〈役所の位置は変わっていないようです。目的地に設定しますか?〉
「じゃあ、役所に行くわ。ありがとうごさいました」
〈リューバッハ市役所南支所を目的地に設定しました。徒歩での経路案内を開始します。到着まであと約16分20秒です〉
「はいよ、またな」
下町らしい接客をする男は店番に「まったくこれだから魔術師ってやつは。10年がどれだけの長さだと思ってるのかね」と苦笑交じりに愚痴を言ったが、それは花には聞こえなかった。
「まあまあ歩くのね」
現代社会に生きてきた花にとって、16分はすぐそこ、ではなかった。歩けない距離ではないから、シラーの案内に従って最短の経路をたどっていく。
「あの骨董店、シラーの知っているとおりなら20年以上あそこにあるのよね?」
〈はい、エッポの骨董店はエッポ・リーパーにより、帝国歴142年3月にオープンしました。天体の位置及び人々の会話から推察したところ、本日は帝国歴216年3月17日~20日の間であると思われます。
エッポは魔力の少ない一般市民で、オープン当時30代でした。現在は二代目か三代目により運営されていると予想されます〉
「ずいぶん詳しいのね」
〈「エッポの骨董店」は魔術師グリューネヴァルトの通った数少ない場所のひとつですから〉
花は適当に相槌を打った。木札がなくても入れる骨董店をシラーに聞いてみたが、ああいうちょっと高いものを扱う店には身分証がないと入れないらしい。つまり、この帝国民としての札か、入国者用の札。
役所に行くにあたって花には少し心配があった。自分の郵便受けに入っていたとはいえ、そもそもこの木札はグリューネヴァルトのものだったからだ。
(物は試しよね。ダメって言われたらそれでいいし。シラーが私のこと魔術師って言うんだから、魔術師としての身分証がもらえるならそれはそれでラッキーってところかな)
支所の受付には痩せ気味の男がにこにこと人好きそうな笑顔を浮かべて座っていた。
「こんにちは、ご要件は?」
「木札の更新がしたくて」
花はグリューネヴァルトの札を出した。男はまじまじとそれを見て急に腰の低い態度を取ると、「少々お待ちください」と言って奥の事務室に足早に消えていった。
彼に呼ばれた年配の、恰幅のいい男がちょこまかと足を動かして受付にやってきた。
「あなたの木札ですか?」
花は気まずそうに肩を竦めた。
「いえ、自宅にあって」
「ああ、お弟子さん」
「いえ……」
こりゃあダメかもしれない。花はそう思って年配の男を見たが、彼はさほど気にした風てもなかった。
「まあいいですいいです。すぐに調べられますから。ハンスくん、計測器持ってきて」
「わかりました!」
痩せた男——ハンスはきびきびと事務室へ引っ込み、やがて木箱を持ってきた。
「それじゃあ確認しますよ」
木札はたちまち箱の中ににゅるりと取り込まれた。木札にあるまじき動きにぎょっとして花は眉を顰める。
やがて箱の上面に幾何学模様のような文字が浮かび上がり、年配の男はぴょんっと飛び上がって驚いた。
「あっグリューネヴァルト、どうりで……」
こんな時に限ってシラーは沈黙している。さりげなく耳の後ろをトントンと叩いてみるが〈検索結果がありません〉とつれない返事だ。
「お嬢さん、魔術師でいらっしゃいますよね?」
〈そのとおりです〉「まあ、多分……」
花は断言するシラーに構わず話した。年配の男は箱を差し出して、花に持つように促す。花は不安そうにちらちらと二人の男を見ながら、慎重に両手で箱を持ち上げた。
途端、パッと箱に浮かんだ文字が光る。すぐに収まったものの、強い光に暫く視界がチカチカとしていた。
「ヘム様、ヘム様!」
ハンスがぼうっとしている年配の男を揺すると、彼はハッとして花に向き直った。
「お嬢さんは魔術師です。間違いなく」
彼は間をおいて片手で花を示し、感心した様子で言った。
「それもかなり強い」
「あ~」
花は納得したのかしていないのかよくわからない声を出した。帰って魔法を試してみようとあれこれ考え、上の空だったのだ。
それに構わずヘムと呼ばれた男は箱から出てきた分厚い紙にデン! と大きな判を押した。
「では、グリューネヴァルトの遺言によりあなたが彼の遺産の継承者になりますから、一週間以内にこの書類に必要事項を記入して持ってきてください。それと、身分証は作るのに時間がかかりますから、それは明日以降に」
「遺産?」
「彼は貧乏でしたからね、王宮近くの屋敷を買うのに全部使ってしまったとか。まあそれと、この郊外の研究所とそこにおいてあるものはあなたの物ですよ」
「待ってください」
花が慌ててヘムを静止したところで、やっとシラーが解説を入れた。
〈グリューネヴァルトが最後の魔法陣の研究を開始する前、魔術師法に基づく遺言を市役所に提出しました。登録された弟子がいないため、法により木札を持参した魔術師であるマスターが相続人となります〉
「何か?」
しびれをきらしたヘムが怪訝そうな顔をした。花は首を振って考えを整理すると、予定と質問を変えてみる。
「相続税とかは?」
ヘムは変な顔をした。
「なんです、異国の税法ですか? まあ、払っていただけるならいくらでも受け取りますが」
〈この帝国にはそのような税はありません〉
「いえなんでも、また後日……書類を持ってきます」
「よろしくお願いしますよ」
花は大きくため息を吐いて踵を返し市役所を後にした。こうしてグリューネヴァルトの研究所と(まだ見ぬ)屋敷は花のものになった。
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