第6話 掃除に困ってる?

 初めての異世界、首都リューバッハの街並みは夢のようにキラキラしていた。


 道行く女性が身に着けているのは、素朴なデザインだがやわらかそうできれいなワンピース。ほんの少し腰で広がるシルエットは御伽噺の挿絵のようだ。

 ひとつ特徴的なところは、地面を擦りそうなほど長いスカートの裾にたいてい色違いの布が当てられていることだろうか。


 話の邪魔にならないよう、シラーが時折アナウンスを挟んだ。


〈女性の被服に関する情報は極端に乏しく変換もできていませんでした。スキャンしたデータをライブラリに保存します〉


 長屋の軒先で掃除をしている女性がエプロンで手をはたき、バルバラに挨拶をした。それ以外にも通りすがりの人が次々と彼女に声をかけていく。

 バルバラの人望もさることながら、近所の人どうしも「どうも、いい天気だね」とあいさつをしあっている。街の明るい空気に花は胸が躍るようだった。


 レミトロフ通りに敷き詰められた石畳の灰色に交じって所々に白や黄土色の石が敷かれている。歩いている道を見るだけで華やかな気持ちになることができた。


 アスファルトと違って凹凸があるから、バルバラの杖が引っ掛かりやしないかと花は心配になった。しかし、バルバラにとっては慣れたもので、その足取りは軽かった。


「それで、ハンナ。あの偏屈魔術師の弟子なのかい?」


 ”ハンナ”

 バルバラは帝国風の滑らかな抑揚のある訛りで花のことをそう呼んだ。


(偏屈魔術師? きっとグリューネヴァルトのことだよね)


「弟子ではないんだけど」


「でも、あの家から出てきただろう」


「あ~、その、家が研究所の二階にハマっちゃった、みたいで……」


 花は冷や汗をかきながらしどろもどろに説明をした。正直、花自身にもよくわかっていない。ここに飛ばされた原因が魔術師グリューネヴァルトだということはなんとなく想像がつく。

 しかし、何しろ本人はこの世を去ったというのだ。魔術師の知識のない花には家が研究所の二階にやってきた理由など分かるはずもなかった。


「へえ、あの男の変な魔術に巻き込まれたのかねえ。なにしろ奇妙な研究ばっかりして弟子も妻も一人もいなかったそうだから。もともとはどこに住んでたんだい?」


「すごく遠いところで、海の向こうというか。帰れるか分からないのよね。もしかしたらこの国の方がいいかも」


 バルバラは花の話を聞いてあっはっはっ! と大きな声で笑った。


「海の向こうって、雲に包まれた天の大陸のことかい? そりゃあ戻れないねえ。この国の方がいいかは分からないが、帝国は、ここいらじゃ一番いい場所だよ」


 雲に包まれた天の大陸。民話か伝承であることは明らかだが、花にその知識はなかった。耳元をトントン、と叩いてシラーに解説を促す。


〈リューデストルフ帝国では、大陸がいくつか集まってこの世界ができているという説話が有名です。大陸の周りは広大な海に囲われ、そのさらに向こうには雲に覆われた天の大陸がある。

 そこはすばらしい桃源郷のような場所で、魔術師の祖先である天子たちが住んでいる。だが、定命じょうみょう※の者はたどり着くことができないと言われています〉


 花は苦い顔をした。そんな粋なたとえ話をするようなたちではないからだ。しかし、この世界での”異世界人”がどういう存在なのかわからないままに出身を素直に言うわけにもいかないので、訂正はしないでおいた。


「帰らないなら、しばらくはあの家にいるのかい?」


「まあ、他にないので。お金の用意ができたらいい家を探そうかな」


「あそこは20年くらい空き家だったから住めるようにするのも大変だろうねえ。大きな空き家があるのは寂しいから、できるだけ長くいておくれ」


 自分を歓迎するバルバラの言葉に花は嬉しくなって頷いた。


 歩けば歩くほど街には活気があふれていった。背の高い無骨な木の標識に、「ここから南通り」と書かれている。なるほど、南通りにある南市がこの先にあるわけだ。


「わあ、すごい……」


 それは映画の中に飛び込んだような感覚だった。「果物、果物はいかが!」と叫ぶ振り売り※や、店先で欲しい布の尺を伝えようと声を張る客。このリューバッハ郊外で生きる人々の声は晴天に届くほどの活力にあふれていた。


「ここでそろわないものはないよ」


「ほんとうに、あらゆるお店が集まってるみたい」


 ひととおりあたりをスキャンしたシラーが結果を簡潔に報告してきた。


〈下町ならではの店もあるようですね。生活用品はここで買い揃えられるでしょう〉


 バルバラはそっと組んでいた腕を外すと、ぽんぽん、と花の腕をやさしく叩いた。花も腕を楽にすると少し会釈をする。


「ここまでありがとう、バルバラ」


「いいのよ、お礼なんて。あ、でも」


 一瞬言いよどんだバルバラだが、元気のいい彼女らしくすぐに花と視線を合わせた。


「あの家には一人かい?」

「うん」

「ずいぶん広いだろう」

「まあ……」


〈ロボット掃除機でひととおり確認しましたが、床面積はおよそ400平米、マスターの部屋全体の5倍程度です〉


 シラーの報告を受けたうえで花は深く頷いた。すごく、ひろい。


「掃除に困ってる?」

「そうですね」


 バルバラはにっこりと笑った。


「紹介したい人がいるから、また朝に、私の家でお茶はいかが」

「わかった。紹介したい人って?」

「ふふふ、それはその時にね。それじゃあ、リューバッハを楽しんで!」


 そう言うとバルバラは自分の腰に手を添えてゆっくりと歩き去っていった。


 花は昼食を食べるところがないかと左右を見回す。


「シラー、どこにどんなお店があるか分かる?」


〈この20年で更新すべき情報が沢山あるようです。気になる方へ歩いていただければご案内します〉



 ________


 ※定命じょうみょう:ここでは命に限りのある者、寿命のある者という意味で使っています


 ※振り売り:棒の両端に木桶や籠をぶら下げ、担いでモノやサービスを売る商人

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