第3話 端的にお伝えするなら、異世界です


〈マスター、重要なことをまだお伝えできていません〉


 脱衣場で服を脱ぎ始めていた花はスマホから話しかけるシラーに驚いて、思わずスマホを洗濯カゴに投げ入れた。ぼふ、と鈍い音と共にスマホがスウェットにめり込む。


〈ご安心ください、調査監視サーベイランス機能はオフになっています〉


 心の機微まで読み取るとは、ずいぶん人間っぽい人工知能だと花は思った。


「上がってからでいいよ、シャワーだからすぐ終わるって」


 そう言いながら残りの服を脱いでスマホの上に投げ入れた花は、自分の体に違和感を覚えた。


(胸が、でかい? あとなんか肌が若いような)


 胸はあとでブラジャーを付けてみれば分かるだろうと、花は着替えの下着を当ててみた。……かなり窮屈そうだ。


 なぜ?


 答えはシラーが知っていた。


〈ローカライズ機能により、マスターの体は同年代の魔術師同様に最適化されました。魔術師の多くは、人生の大半の時間を10代後半から30代前半の姿で過ごします。マスターは魔術師としてはかなり若いので、見た目年齢は10代後半頃です〉


 花は聞き流した。急に魔術師とか魔道具と言い始めるから、花にとっては寝ている間にヘンなのと接続して壊れたのかとも思えた。


(まあ若返るのは悪くないな)


 と思って花が鏡を覗き込むと、そこにはまさに女子高校生くらいの顔があった。しかも、自分の面影を残しながらも、外国人風の顔になっている。

 はっきり何人風、とは言えない。ただ、異国の人と自分が結婚して子供を産んだら、こんな娘が生まれるのだろうか。


「やっぱり目が変になってる」


〈視力に異常はありませんでした。また、現地への転送、ローカライズは正常に終了しています〉


 シラーの矢継ぎ早の報告に花はほんの一瞬こう考えた。

(異世界召喚? アニメみたいな)

 けれど、それにしては自宅もあるし、使命もないし、知らない記憶も蘇らない。最後に靴下を洗濯カゴに落とした花に、シラーが淡々と告げた。


〈あと1分でお風呂が焚きあがります〉


 浴室の扉を開けると室内は暖かい湯気があふれている。

 適当にシャワーですまそうと思っていた花はにっこり笑った。


「そういうとこはいかにも有能なAIって感じね」


〈お褒めにあずかり光栄です〉


 花はいつも通り髪や体を洗って、ゆっくりと湯船に体を沈めた。驚くほどちょうどいい湯加減である。

 洗っている最中、脱衣所にあるスマホからシラーがなにやらアドバイスをしてきた。花には扉を隔てていてよく聞こえないのでほったらかしにしておいた。


 風呂には給湯器と給湯器用のパネルがある。いつものお風呂が焚けたメロディの流れるあれだ。

 風呂場の電子機器と言えばあれくらいだから、次はそこから話しかけてくるだろう。


〈マスター、お湯加減はいかがですか? 体温により適切な温度が異なります。ご希望があればいつでもお知らせください〉


 ほら、やっぱりね、と花はほくそ笑んだ。

 まだ付き合い始めて一日目だが、なぜかシラーの声には安心感を覚えた。


「うん、大丈夫、ありがとう。……ねえ、お昼外に食べに行こうと思うんだけど、お店調べたりもできるの?」


 シラーは少しの間黙りこくった。給湯器パネルからは分からないが、きっとあのリングをクルクル回して考えているんだろう。


〈リューデストルフ帝国の情報が不足しています。最適な提案の構築が困難です〉


「りゅー? いや、架空の国じゃなくて、日本。家の周りのお店でいいんだけど」


 花は湯船の中で伸びをしてから、肩までとっぷりと浸かりなおした。人工知能は賢くなると妄想もするものだろうか、さっきから会話がかみ合わないことがある。


〈いいえ、ここは日本ではありません。位置情報を有効にして現在地を確認しますか?〉


承認アプローブ


〈位置情報の利用を有効にしました〉


〈現在地はリューデストルフ帝国の首都、リューバッハ市郊外。レミトロフ通り沿いに所在する、魔術師グリューネヴァルトの研究所の2階部分です〉


「ええ?」


 あんなに高い買い物をしたっていうのに、このAIはもう壊れてしまったのだろうか。花はざぷんと湯船の中で立って窓を開け、隙間から外を見た。

 そこには、世界遺産もかくやと言わんばかりの美しい石畳と異国風の大きな家が並んでいる。


(いやいや、まさかね。そんな、嘘でしょ?)


 花はまた湯船の中に体を収め、給湯器パネルをじっと見つめた。


 シラーが疑問に答えるように言う。


〈端的にお伝えするなら、異世界です〉



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