第17話 十五日目 - 5


「僕は絶対に倒れないし、ここは一歩も通さない。守るものがある勇者は、魔王如きじゃ越えられない」

 

 ここに立つ僕が、前世の僕と同じだと思うな。

 今の僕には、死ねない理由があるんだよ。


 僕は全身の痛みを堪えながら、魔王に向けてナイフを構える。かつてないほどにナイフを重く感じた。


 空は一層荒れ始め、豪雨が激しく音を鳴らす。

 僕と魔王が、その他を全てと遮断されるような感覚を覚えていた。


「……ユーリシュ――いや、勇者。貴様に、余がこれから使う魔法を教えてやろう」


「……?」


 唐突に告げられたセリフに、目を細める。

 この男が下らない嘘を吐くとは考えにくいが、はて何の意味があっての発言か。


 なんにせよ時間を稼いで損は無いと、僕は耳を澄ませて続きを待つ。


「……『終焉魔法』。名の通り、世界を終わらせる魔法である」


「……。巫山戯てるの?」


「……そう思いたければ好きにしろ」


 聞いたことも無い魔法に、眉をひそめる。

 まるで子供の妄想だ、と僕は思った。


「……この世界は過去に何度も滅んでいるが、その原因の大半は『終焉魔法』だ。この魔法を手にした赤子が生まれる度に、世界は滅ぶ。発動と同時に世界中が闇に呑まれ、全ての生物が死滅するのだ」


「……」


「……余は、それを発動させる」


 そして魔王は黒衣を揺らしながら、流石に僕を指差した。


「……世界を守ってみせろ、勇者。余に大口を叩いた代償は大きいぞ」


 そう話した直後、魔王は空に右手を上げる。

 同時に魔王の体内の魔力が渦巻き、そして先までとは比較にならない魔素が集まり始めた。


――本気だ。こいつ、本気で世界を滅ぼすつもりだ。


 幾らなんでも冗談だろう、と微かに思っていた自分を追い払う。奴の手に集まる魔素は、十分に世界を破滅させるに足る量だった。


 様子見もクソもない、開幕からの本気の魔法。

 変身後の魔王の実力を測る機会すらなく、僕は窮地に立たされた。


「お前、流石にいきなり過ぎるだろ……!?」


「……余に何を期待している?この姿になった今、貴様との戦いなど退屈なだけだ。せめて足掻いて、余を楽しめてみせよ」


 理不尽が過ぎる。

 コイツは僕と戦うことすらせずに、世界を滅ぼそうというのか。


「……一分。それが魔法が完成するまでの時間だ」


「一分……ッ!」


 僕は速攻で斬りかかった。

 魔王が無防備であることに一切の躊躇もなく、全力でナイフを振り抜く。


 容易に防がれると予想しながらも、示された制限時間を無為に過ごす訳にはいかない。

 何か打開策を探すべく、初手として選んだシンプルな一撃だった。


 しかし。


――コイツ、躱す気がない……!?


 魔王は空に手を向けたまま、僕の攻撃に対して、何のリアクションも見せなかったのだ。

 完全に僕の動きを目で追っている癖に、防御も回避も行わない。


 謎の無反応に、一抹の不安が過ぎる。

 何かの罠なのか、もしくは僕の知らない魔法で対処して来るのか、と。


「……ッ」


 だが僕は迷いを振り切り、魔王の首に刃を当てた。

 例え何をされようが、殺せば勝ちだと己に言い聞かせて。


――パキン


 瞬間に聞こえたのは、金属の砕ける音だった。

 同時に、手に持つナイフが軽くなるのを感じる。


「え?」


 見ると、そこには。

 刃を失った、柄だけのナイフがあった。


 混乱が走る。

 僕のナイフは、間違いなく魔王の首に触れた。

 防がれた気配もない。

 なのに、ナイフが砕けたのだ。

 

 答えは一瞬で導かれた。


「防ぐ必要も無いってことか……ッ!!」


 つまり魔王の首は、僕の斬撃じゃ斬り落とせない。

 この白色の首は、僕のナイフよりも遥かに硬いらしい。


「くそ……っ。『創造魔法』――【顕現クリエイト】!!」


 即座に発動させたのは、『創造魔法』の最も基本になる、「一度見たものを顕現させる」という能力。

 そして約一秒を消費して生み出したのは、以前にデロイアで見た『舞百合のナイフ』だった。


 それは僕がノータイムで生み出す、普段用いる単純なナイフよりは、遥かに頑丈で切れ味も鋭い。

 もしかしたらとそのナイフでも挑んでみるが、しかし、


「ダメか……ッ!」


 その『舞百合のナイフ』もまた、同じように砕け散った。


 不味い。攻め手が足りない。

 一切の抵抗をしない魔王にすら、僕は傷をつけられないのだ。


――どうする?どうする!?


 僕は普段から、火力に頼る戦闘スタイルを取らずに、素早く最小限の力で敵の首を落とす。

 だからこそ刃が通らないという単純な強さに対して、僕は完全に無力になってしまうのだ。


 硬さを強みにする魔物にも、必ず何処かに軟らかい部位がある。動くためには関節や首など、固める訳にはいかない場所が存在するから。

 故に倒せない魔物など、今まで居なかった。


 なのに、魔王は。

 

「何処にも、傷が入らない……っ」


 魔王の言っていた、僕との戦いが退屈とはそういうことか、と理解する。

 何をどうしようとも攻撃を喰らわないのであれば、それは確かに退屈だろう。

 

「……舐めやがって」


 諦めない。

 僕は決して諦めたりなどしないが、しかし現時点で詰んでいる事実は変わらない。


 打開策が必要だった。


「……十秒経ったぞ」


「黙ってろ」


 考える。魔王に届き得る攻撃を。


 まず僕が使える武器は、ナイフを含む「短剣」と、「剣」、それに「槍」の三つ。

 そしてこの中で威力を求める選択をするのなら、「剣」か「槍」のどちらかになるだろう。


――【顕現クリエイト】で作れる、最強の武器はなんだ?


 見たことさえあれば、僕はどんな武器でも作り出せる。

 時間制限こそあるものの、その性能は本物となんら変わらない。


 過去に出会った数多の武器たちを、片っ端から思い出す。


「……『魔龍剣』、『龍威の剣』、『グングニール』、『聖槍ガルラ』、『エクスカリバー』、『魔剣グラム』、『ケリュオン』、『星切』――」


 思い出せ。


「『王選の薙』、『スレイブスピア』、『偃月』、『星龍斬』、『如来の刃』、『空穿ち』、『魔槍ミラ』、『ミストルティン』、『乖離槍』――」


 思い出せ。


「『セラフィム』、『トライデント』、『銀牙の槍』、『デ・ソラス』、『シャムシルト』、『彗星の剣』、『破邪薙』、『白楼剣』、『インフェルノ』……」


 思い出す、が。

 どれ一つとして、魔王に届くと思える物は存在しなかった。


 途端に思考が空白になる。


「……どう、する?」


 時間が無い。

 手段が無い。

 武器が無い。


 どんな無茶でもやりきる覚悟はある。

 どんな無謀も、意地で押し通してみせるつもりだ。


 でも。

 そもそも何処に向かって進めばいいのか、僕には全く分からなかった。


 出来る限り性能の良い武器を持って、時間いっぱい挑んでみるか?何度も何度も斬りつけてみるか?


 いや、それは諦めと変わらないだろ。

 脳死することを、全力を尽くすとは言わない。


「魔王に通用する武器なんて、この世に存在するのか?」


 有り得るとしたら、なんだろう。

 魔王に傷をつけられる武器。


 魔王に集まる魔素を見つめながら、僕は必死に考えて、そして――


「――『神剣ユグレシア』」


 その名を、口にした。


 それはおよそ二週間前、ルネスの管理権限を得るためアーシェルと相談していたとき、ほんの少しだけ話題に上がった、最強の剣の名前である。

 僕自身も見たことはなく、本当に実在するのかも怪しい伝説の剣。


 ただ僕は可能性の話として、自分に問うてみる。


「……もしユグレシアがあれば、僕は魔王を倒せるか?」


 答えは「分からない」。

 どんな剣かも知らないのだから、当然の答えではある。


 そう。「無理」ではなく、「分からない」。

 僕の知る全ての武器では「無理」だったが、『神剣ユグレシア』は「分からない」であった。


「――なら、挑む価値はある」


 僅かな希望を、僕は見た。

 針の穴より遥かに小さな、実現不可能とほぼ同義な希望ではあるが、確かにそこに存在した。


 僕の『創造魔法』は、見るか触れるかした物体にしか発動させられない。

 だから現物を知らないものなんて、まして『神剣ユグレシア』など、生み出せるはずもないのだ。


 つまり僕には、不可能だ。

 僕に、見たことも無い剣を生み出す魔法なんて使えない。


「やって、やるよ」


 魔王の『終焉魔法』が発動するまで、およそ三十秒。

 

「……『神剣ユグレシア』を、作れば良いんだろ」


 その間に僕は限界を超えて、新たな魔法を完成させる。

 この世に一度でも実在したものであれば、どんな物でも生み出せる『創造魔法』を、今この場で編み出してやる。


 出来るのか、なんて疑問はいらない。

 やるしかないのたから。


「ふー……」


 僕は深く息を吐くと共に、膝を軽く曲げて、腰に剣を携えるように構えた。そこに剣など存在しないが、まるで透明な剣があるかの如く振る舞う。


 それはイメージを固めるため。そして創造すると同時に、魔王に斬り込むためだった。


 僕は真っ白にした頭に、『神剣ユグレシア』に関する情報だけを集める。


「――――。」


 意識を外から完全に遮断した。


 何も見ない。何も聞かない。

 果てなく己と向き合うためだけの空間として、僕だけの世界を切り取った。


――『神剣ユグレシア』。


 それは何処にでも生える、『ドレシア』という名の花から作られた剣である。

 『ドレシア』はあらゆる生物に寄生する可能性を持ち、世界を滅ぼす寸前まで生長した『神樹ユグドラシル』の養分を吸い尽くした『ドレシア』が、『神剣ユグレシア』の素材となった。


 星そのものとほぼ同じサイズの『神樹ユグドラシル』が持つ力全てを、岩石大の『ドレシア』に圧縮したと考えれば、その異常さも伝わるか。


「…………」


 そして問題なのは、それ以外の情報を僕はほとんど知らないということ。


――見た目は?


 知らない。


――切れ味は?


 知らない。


――硬度は?


 知らない。


――作ったのは誰だ?


 知らない。


――保存場所は?


 知らない。


――現存するのか?


 知らない。


――まず実在したことはあるのか?


 ……してくれなきゃ、困る。


「……」


 時間の無駄だ。

 このまま考えても、絶対に完成には至らない。


「……アプローチを、変えよう」


 ならば考え方を、根元から曲げるべきだ。


 『創造魔法』は、二つの要素の合計が一定ラインを越えると発動する。


 一つは「対象への知識」。

 作ろうとする物を、どれだけ深く知っているかによって、完成までの難易度は大きく変わる。

 見たり触れたりすることによりこの要素は大きく強まっていき、また単純な物体であれば相対的に深く知れるため、創造も容易になる。


 そして二つ目は「世界への要求」。

 例え僕が現物を知らなくても、世界はそれを知っている。

 一度でも実在したのであれば、例えこの世の人間が誰一人として知らない物体であったとしても、他ならぬ世界だけは絶対に記憶しているのだ。

 故に世界に要求することで、知識の不足を補ってくれる。


 例を挙げるなら「この星の中心に何があるか」なんて、この世の誰も知らないが、星そのものであれば知っているだろ、という理屈。


「……僕の『神剣ユグレシア』の知識は、ほぼゼロ」


 基本的に『創造魔法』は、「対象への知識」と「世界への要求」の比率を9:1として完成する。

 つまり世界から与えられる要素など、ほんの補助程度でしかないのだ。


 言ってしまえば、「世界への要求」だけでは単純なナイフですら作れない。

 そんな状態から『神剣ユグレシア』を生み出そうなど、無茶で無謀も甚だしいし、世界だって僕を嘲笑うだろう。


 でも。

 

――そんなの、知るか。


 それしか無いなら、やるしかないだろ。


 目を閉じて、腰に架空の剣を構えた姿勢のまま、全力で魔力を込めた。

 今、この場で、常識を壊す。


「――世界の記憶よ」


 体内の魔力を練り上げる。

 空中に漂う魔素を掻き集める。

 魔王の集めるそれを奪い取るように、僕は僕自身を中心にする白色の渦を作り出した。


「全部、教えろ」


 理論上は可能だ。

 『創造魔法』の根源に至れば、決して不可能な魔法じゃない。


「全部、見せろ」


 強く地面を踏み締める。

 大地に根を張り、何もかもを吸い上げるように。


「見たことあんだろ、世界お前なら」


 『神剣ユグレシア』が作り出された瞬間も、それが振るわれた瞬間も。

 他ならぬお前なら、何もかもを記憶しているはずだ。


「――成れ」


 両手で構える架空の剣に、集まる全てを流し込む。

 分からない物を、分からないままに、分からない形へと作り変えた。


 頼るのは感覚。

 世界が伝えてくる、ぼんやりとした完成系だ。

 ただひたすらに全力で、槌を叩きつけるように力を込めた。


「ッ!」


 瞬間、両手の中に僅かな光が灯った。


 これは【顕現クリエイト】で、あまりにも複雑な物体の創造を行ったときに起こる現象であり、つまりは創造困難の合図。


 それはほぼ間違いなく失敗に終わる、という意味だが、しかし重要なのはそこではなく、


――発動自体は、出来た……っ!!!


 『神剣ユグレシア』の創造が、魔法として成立したということだ。


 この光が灯った後に魔法が成功する確率は1%以下で、僕が創造困難の光を覆したのは、人生でたったの一度だけ。


 だが可能性は残った。


「超えてやる……」


 運じゃない。問われるのは「集中力」と「意思」だ。


 ぐちゃぐちゃに乱れる魔素と魔力を、正確に調整し続ける「集中力」。

 命に変えても顕現しろと願う、心の底から溢れ出る「意思」。

 

「………っ」


 魔素が見えるようになった今、前者に関してはそう難しくはない。問題なのは後者の「意思」だった。


 生半可な意思じゃ決して足りない。

 餓死する直前の人間が食料を求める渇望よりも、遥かに深く濃い貪欲さが必要になる。


「……寄越せ」


 歯を剥き出しにしながら、静かに吼えた。


 祈るのでなく、奪い取る。

 『神剣ユグレシア』という伝説を、この場で見せろと世界に指図するのだ。


「寄越せ……」


 唸るように、獣の如く。

 

「寄越せ……っ」


 潰れた左眼すらを見開きながら。


「寄越せ……ッ」


 眼球を血走らせて。


 脳裏に描くのは、ルネスとアーシェルの殺された姿。

 もしも『神剣ユグレシア』を手に入れられなければ、二人は死ぬことになるぞと、己に強く言い聞かせる。


――嫌だ。


 守るって決めたんだろ。

 勝つって約束したんだろ。

 勇者なら、死に物狂いで抗ってみせろ。


「……ぐ、が……ぁ………」


 耳鳴りが酷い。

 身体が悲鳴を上げている。


「……うるっ、せぇよ」


 無視した。

 死んでも良いと割り切った。


 魔力を篭める。

 魔素を固める。

 命を削って、進み続けた。


 









「いいから黙って――」


 彼女たちを、救う力を。


「――寄越せッ!!!!!」






☆彡 ☆彡 ☆彡






 あと数秒で『終焉魔法』が完成するというタイミングで、とある少女の声を魔王は聞いた。

 完全に集中しているユリムは気づかないが、魔王とその少女は確かに目を合わせる。


「……ユーリシュさんにはあのとき、冷静って言われちゃったんスけどね」


 それは当代勇者――ティクルの声。

 彼女はユリムと魔王の、中央に当たる場所に立っていた。


 ティクルが語っているのは、地下牢の前でユーリシュに命を救われた直後の話。仲間が殺されたにも関わらず、冷静だと評価されたあの日のことだ。

 

「冷静……?ウチ、ホントに冷静に見えました?やっぱウチって表情分かりにくいんスかね。もしかして今も、平常心って顔してるんスか?」


 ティクルは普段通りの軽い調子の声色であるが、その表情はやや歪んでおり、


「――これでも仲間殺されて、ブチ切れてるつもりなんスけども」


 魔王に、純然たる殺意を向けていた。


「……誰だ?」


「……」


 たった数日前に殺した相手すら覚えてないのか、とティクルは一層苛立ちながら、ずかずかと魔王に歩み寄る。

 遥か格上である魔王に対して、ティクルは物怖じすることもなく近づいていった。


「アンタら二人が話してんの、隠れて見てましたよ。……その『終焉魔法』っていうの、一分で完成するんでしたっけ?」


 そのままティクルは魔王の目の前に立ち、魔王の顔を見上げる。

 そして、流れる動作で腰にてのひらを構えた。


「……十秒、稼いでやりますよ」


 宣言。

 

 一連を見ていたティクルは、今の魔王が攻撃を躱すつもりが無いことを知っていた。

 加えて、己が魔王に舐められていることも知っていた。


 ならばこの渾身の一撃を、魔王は素直に喰らうだろうとティクルは考える。


「……ほう。やってみろ」


「言われなくても」


 ティクルは構えたままに、魔王を睨んだ。


 遥か東の村落に、武器も魔法も持たずに魔物を狩る一族が存在する。武器を使ってはならない、なんてルールは無いが、しかし無手こそが彼らにとっては最強だった。


 武器の代わりに彼らが手にするのは、古来より受け継がれた独自の武術。敵の体内を破壊することに特化した、衝撃を操る戦闘術である。


 ティクルはかつて、その村の「巫女」と呼ばれる存在だった。

 村で最も強い人間を、女なら「巫女」、男から「神子」と呼び、村の長として扱う風習があったのだ。


「……ウチを舐めたこと、後悔させてやる」


 ティクルの構えるそれは、武術と魔法の融合によって生まれた攻撃手段。


 武術が先で、魔法が後だ。

 武術で得た技を、ティクルは魔法で増強した。

 

 元になったのは、敵の体内に衝撃を送り込み、内部だけを破壊する掌底だった。

 それは外側には一切の影響を与えず、ただ内臓だけに深刻なダメージを与える、ティクルの最速にして最強の一撃。


 元から大抵の魔物を倒すことの出来た掌底を、ティクルは魔法によって数十倍の威力に高める。


「スゥ……」


 ティクルが勇者に選ばれたのは、魔法を覚える前のこと。

 魔法無しで勇者に至った少女が、己の武術に合致する魔法を得た結果、果たして何が起こるのか。


「『震動魔法』――」


 防御力無視の破壊力。

 幾ら頑丈だろうが、内側を壊すティクルには関係ない。


 ティクルの吐く息が鋭く響き、そして、


「――――【発勁】」


 魔王の腹部に、ティクルの掌が触れた。


 空気の鼓動が魔王を貫き、鐘の震えるような音が響く。

 その一撃は魔王の体内で反響し、重なり、強まり、壊す。

 こと一撃の威力で言えば、ユリムの力を大きく超えていた。


「……」


 魔王は結局、僅かも姿勢を変えることすらなかったが、しかし他ならぬ魔王本人だけは、体内に蓄積するダメージに気づく。


 空を見ると、『終焉魔法』のために魔王が掻き集めた魔素は若干散っており、確実に発動が遠のいたことが分かった。

 

「さ。無抵抗でもう一発喰らってけよ」


「……遠慮する。貴様の攻撃は脅威足りえたと認めよう」


 そう言った魔王は一瞬魔法の構築を中断すると、羽虫を払うが如くティクルを吹き飛ばす。


 ティクルは、魔王の攻撃を回避する術を持ち合わせていなかった。

 彼女は大量の血を吐き、そのまま戦闘不能に至ってしまうが、しかし。


「……十秒。確かに稼がれたな」


 ティクルは完璧に、成し遂げてみせた。

 




☆彡 ☆彡 ☆彡





「ルネス、そろそろです。『支援魔法』の準備を」

 

「分かったわ」


 ティクルが魔王に挑んだ瞬間と、時を同じくしてルネスとアーシェル。

 彼女らもまた、精神を削り取る行為に挑んでいた。


 ルネスの『支援魔法』は、強化時間と強化量が反比例する。つまり強化時間を短くすればするほど、対象の能力を大きく高めることが出来るのだ。


 基本的には五分程度の時間で発動させるルネスだが、しかし今回ばかりはそれが許されないことを理解している。

 出来る限り強化時間を短くする必要がある、と考えた。


 そして彼女たちの選んだ強化時間は――


「……頑張って、アーシェル」


「はい」


――僅か、一秒だった。


 アーシェルは『鑑定魔法』で、ただひたすらにユリムを見つめる。微妙な筋肉の動きすら見逃さないよう、瞬きすらせず一心不乱に視線を送った。


 ユリムが一撃に懸けているのは明白だった。

 だからその一撃に合わせようと二人は決めた。


「……ぐっ」


 本来『鑑定魔法』は、継続して発動させるものではない。

 一瞬の発動ですら、脳に掛かる負担は莫大だからだ。


 それを常時発動し続けるなど、狂気の所業以外の何物でもなかった。

 

 見開かれ充血しきったアーシェルの瞳から、血涙が流れる。

 限界を超えた情報量に、鼻血が垂れた。


――耐えなさい、私。もう少しです。


 ユリムの苦痛を思えばこの程度、と、地面に爪を突き刺しながら必死に耐えていた。


 そして、その瞬間は訪れる。


「――ッ!ルネス、今です!!」


 アーシェルの声に、ルネスは一瞬で反応した。


 予め限界まで高めていた魔力を、地面に触れて解き放つ。

 その輝きはルネスの持つ、全ての魔力が含まれていた。


 全魔力を一度に解放する行為は、確実に身体に悪影響を及ぼすため、現在はどの国でも禁止にされている。

 それは体内で一度に流せる魔力の限界を、容易に超えてしまうからだ。


「……ッ」


 ルネス一切、気にしなかった。


「『支援魔法』――【片想う処女神ヘスティア・ブラインド】!!!!」


 力の奔流は地を這う龍のようにユリムに迫る。

 そして地面から突き上げるようにユリムに命中した魔法は、ユリムの身体能力を尋常になく跳ね上げた。



――――。


 

 ユリムの意図することなく、全ての準備は整った。

 

 ティクルの作り出した十秒は、奇跡的にユリムの魔法を間に合わせ、ルネスのアーシェルの支援は、『神剣ユグレシア』を扱うだけの身体能力をユリムに与えた。






 満を持して、勇者ユリムは顔を上げる。

 鬼のような形相で、紅色の隻眼を、爛々と輝かせながら。

 




☆彡 ☆彡 ☆彡





 時間を気にする余裕は、僕にはなかった。

 だから間に合ったのかどうかも分からない。


 ただ僕が顔を上げた瞬間、僕はまだ生きていて、そして魔王は魔法の名を呟こうとしていた。


――斬れ。


 思考も何もかもを飛び越えて、ただ本能だけが駆け抜ける。

 

 理由は無いが、斬り掛かるべきだと身体が叫んだ。

 手に武器は無いが、全力で踏み込めと背中を叩かれた。


――行け。


 考えるよりも早く、僕の身体は動き始める。

 

 地面の感触を確かめた。

 斬るべき相手を視界に収めた。

 そして『神剣ユグレシア』は、剣技の最中さなかに完成するだろうと理解した。


「『創造魔法』――」


 空っぽの両手に、力を篭める。

 見たこともない癖に、まるで使い古した愛剣を握るような感覚があった。


 鞘を左手に、柄を右手に。

 低く腰を落として、大きく前傾に構える。

 構えた後に、これが『神剣ユグレシア』を最速で振るう姿勢だと知った。

 

 そして、一歩踏み込むと同時。


「――――【幻想開花ラフィーネ・フィクション】」


 否、一歩で全ては事足りた。


 その一閃は光を超えて、僕の視界から色を消す。

 輪郭だけの、黒の世界を駆け抜けた。


 『神剣ユグレシア』の完成と、腰の鞘から刃を抜くのは全くの同時。

 踏み込み、腕に力を込め、そして剣を振るう寸前に、僕の魔法は完成に至る。


 剣技の型の半分は、架空の剣で辿った。

 だからこそ、その踏み込みは、より軽かった。


 世界で唯一の「花の剣」――『神剣ユグレシア』。

 細く華やかで、可憐にも関わらず伝説と化した剣である。


 その剣に重さは無い。

 重さなどなくとも、全てを斬り裂くから。

 その剣に装飾は無い。

 装飾などなくとも、素材そのものが華麗であるから。


――キンッ、と甲高い音が響いた。


 それは魔王を斬った音。

 腰から肩口までを、斜めに斬り上げる一閃。

 抵抗なく、滑らかにすり抜けた。


 僕の背後で、何かがどさりと崩れ落ちる。

 一瞬遅れてそれが魔王だと気づいた。


「……勝っ、た?」


 我武者羅の境地に居た僕は、ぼんやりと魔王の死体を見下ろしながら、状況を理解していく。


 魔王はピクリとも動かない。

 今度こそ、間違いなく死んでいる。


「……勝ったんだ」


 僅かに残る疑心は徐々に消え失せ、そして代わりに安堵が満ちていく。

 しかし勝利の余韻に浸るだけの余裕は無くて――


「……僕は、魔王に……勝った」


――晴れていく空を見ながら、僕は気を失った。

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