第17話 十五日目 - 5
「僕は絶対に倒れないし、ここは一歩も通さない。守るものがある勇者は、魔王如きじゃ越えられない」
ここに立つ僕が、前世の僕と同じだと思うな。
今の僕には、死ねない理由があるんだよ。
僕は全身の痛みを堪えながら、魔王に向けてナイフを構える。かつてないほどにナイフを重く感じた。
空は一層荒れ始め、豪雨が激しく音を鳴らす。
僕と魔王が、その他を全てと遮断されるような感覚を覚えていた。
「……ユーリシュ――いや、勇者。貴様に、余がこれから使う魔法を教えてやろう」
「……?」
唐突に告げられたセリフに、目を細める。
この男が下らない嘘を吐くとは考えにくいが、はて何の意味があっての発言か。
なんにせよ時間を稼いで損は無いと、僕は耳を澄ませて続きを待つ。
「……『終焉魔法』。名の通り、世界を終わらせる魔法である」
「……。巫山戯てるの?」
「……そう思いたければ好きにしろ」
聞いたことも無い魔法に、眉を
まるで子供の妄想だ、と僕は思った。
「……この世界は過去に何度も滅んでいるが、その原因の大半は『終焉魔法』だ。この魔法を手にした赤子が生まれる度に、世界は滅ぶ。発動と同時に世界中が闇に呑まれ、全ての生物が死滅するのだ」
「……」
「……余は、それを発動させる」
そして魔王は黒衣を揺らしながら、流石に僕を指差した。
「……世界を守ってみせろ、勇者。余に大口を叩いた代償は大きいぞ」
そう話した直後、魔王は空に右手を上げる。
同時に魔王の体内の魔力が渦巻き、そして先までとは比較にならない魔素が集まり始めた。
――本気だ。こいつ、本気で世界を滅ぼすつもりだ。
幾らなんでも冗談だろう、と微かに思っていた自分を追い払う。奴の手に集まる魔素は、十分に世界を破滅させるに足る量だった。
様子見もクソもない、開幕からの本気の魔法。
変身後の魔王の実力を測る機会すらなく、僕は窮地に立たされた。
「お前、流石にいきなり過ぎるだろ……!?」
「……余に何を期待している?この姿になった今、貴様との戦いなど退屈なだけだ。せめて足掻いて、余を楽しめてみせよ」
理不尽が過ぎる。
コイツは僕と戦うことすらせずに、世界を滅ぼそうというのか。
「……一分。それが魔法が完成するまでの時間だ」
「一分……ッ!」
僕は速攻で斬りかかった。
魔王が無防備であることに一切の躊躇もなく、全力でナイフを振り抜く。
容易に防がれると予想しながらも、示された制限時間を無為に過ごす訳にはいかない。
何か打開策を探すべく、初手として選んだシンプルな一撃だった。
しかし。
――コイツ、躱す気がない……!?
魔王は空に手を向けたまま、僕の攻撃に対して、何のリアクションも見せなかったのだ。
完全に僕の動きを目で追っている癖に、防御も回避も行わない。
謎の無反応に、一抹の不安が過ぎる。
何かの罠なのか、もしくは僕の知らない魔法で対処して来るのか、と。
「……ッ」
だが僕は迷いを振り切り、魔王の首に刃を当てた。
例え何をされようが、殺せば勝ちだと己に言い聞かせて。
――パキン
瞬間に聞こえたのは、金属の砕ける音だった。
同時に、手に持つナイフが軽くなるのを感じる。
「え?」
見ると、そこには。
刃を失った、柄だけのナイフがあった。
混乱が走る。
僕のナイフは、間違いなく魔王の首に触れた。
防がれた気配もない。
なのに、ナイフが砕けたのだ。
答えは一瞬で導かれた。
「防ぐ必要も無いってことか……ッ!!」
つまり魔王の首は、僕の斬撃じゃ斬り落とせない。
この白色の首は、僕のナイフよりも遥かに硬いらしい。
「くそ……っ。『創造魔法』――【
即座に発動させたのは、『創造魔法』の最も基本になる、「一度見たものを顕現させる」という能力。
そして約一秒を消費して生み出したのは、以前にデロイアで見た『舞百合のナイフ』だった。
それは僕がノータイムで生み出す、普段用いる単純なナイフよりは、遥かに頑丈で切れ味も鋭い。
もしかしたらとそのナイフでも挑んでみるが、しかし、
「ダメか……ッ!」
その『舞百合のナイフ』もまた、同じように砕け散った。
不味い。攻め手が足りない。
一切の抵抗をしない魔王にすら、僕は傷をつけられないのだ。
――どうする?どうする!?
僕は普段から、火力に頼る戦闘スタイルを取らずに、素早く最小限の力で敵の首を落とす。
だからこそ刃が通らないという単純な強さに対して、僕は完全に無力になってしまうのだ。
硬さを強みにする魔物にも、必ず何処かに軟らかい部位がある。動くためには関節や首など、固める訳にはいかない場所が存在するから。
故に倒せない魔物など、今まで居なかった。
なのに、魔王は。
「何処にも、傷が入らない……っ」
魔王の言っていた、僕との戦いが退屈とはそういうことか、と理解する。
何をどうしようとも攻撃を喰らわないのであれば、それは確かに退屈だろう。
「……舐めやがって」
諦めない。
僕は決して諦めたりなどしないが、しかし現時点で詰んでいる事実は変わらない。
打開策が必要だった。
「……十秒経ったぞ」
「黙ってろ」
考える。魔王に届き得る攻撃を。
まず僕が使える武器は、ナイフを含む「短剣」と、「剣」、それに「槍」の三つ。
そしてこの中で威力を求める選択をするのなら、「剣」か「槍」のどちらかになるだろう。
――【
見たことさえあれば、僕はどんな武器でも作り出せる。
時間制限こそあるものの、その性能は本物となんら変わらない。
過去に出会った数多の武器たちを、片っ端から思い出す。
「……『魔龍剣』、『龍威の剣』、『グングニール』、『聖槍ガルラ』、『エクスカリバー』、『魔剣グラム』、『ケリュオン』、『星切』――」
思い出せ。
「『王選の薙』、『スレイブスピア』、『偃月』、『星龍斬』、『如来の刃』、『空穿ち』、『魔槍ミラ』、『ミストルティン』、『乖離槍』――」
思い出せ。
「『セラフィム』、『トライデント』、『銀牙の槍』、『デ・ソラス』、『シャムシルト』、『彗星の剣』、『破邪薙』、『白楼剣』、『インフェルノ』……」
思い出す、が。
どれ一つとして、魔王に届くと思える物は存在しなかった。
途端に思考が空白になる。
「……どう、する?」
時間が無い。
手段が無い。
武器が無い。
どんな無茶でもやりきる覚悟はある。
どんな無謀も、意地で押し通してみせるつもりだ。
でも。
そもそも何処に向かって進めばいいのか、僕には全く分からなかった。
出来る限り性能の良い武器を持って、時間いっぱい挑んでみるか?何度も何度も斬りつけてみるか?
いや、それは諦めと変わらないだろ。
脳死することを、全力を尽くすとは言わない。
「魔王に通用する武器なんて、この世に存在するのか?」
有り得るとしたら、なんだろう。
魔王に傷をつけられる武器。
魔王に集まる魔素を見つめながら、僕は必死に考えて、そして――
「――『神剣ユグレシア』」
その名を、口にした。
それはおよそ二週間前、ルネスの管理権限を得るためアーシェルと相談していたとき、ほんの少しだけ話題に上がった、最強の剣の名前である。
僕自身も見たことはなく、本当に実在するのかも怪しい伝説の剣。
ただ僕は可能性の話として、自分に問うてみる。
「……もしユグレシアがあれば、僕は魔王を倒せるか?」
答えは「分からない」。
どんな剣かも知らないのだから、当然の答えではある。
そう。「無理」ではなく、「分からない」。
僕の知る全ての武器では「無理」だったが、『神剣ユグレシア』は「分からない」であった。
「――なら、挑む価値はある」
僅かな希望を、僕は見た。
針の穴より遥かに小さな、実現不可能とほぼ同義な希望ではあるが、確かにそこに存在した。
僕の『創造魔法』は、見るか触れるかした物体にしか発動させられない。
だから現物を知らないものなんて、まして『神剣ユグレシア』など、生み出せるはずもないのだ。
つまり
「やって、やるよ」
魔王の『終焉魔法』が発動するまで、およそ三十秒。
「……『神剣ユグレシア』を、作れば良いんだろ」
その間に僕は限界を超えて、新たな魔法を完成させる。
この世に一度でも実在したものであれば、どんな物でも生み出せる『創造魔法』を、今この場で編み出してやる。
出来るのか、なんて疑問はいらない。
やるしかないのたから。
「ふー……」
僕は深く息を吐くと共に、膝を軽く曲げて、腰に剣を携えるように構えた。そこに剣など存在しないが、まるで透明な剣があるかの如く振る舞う。
それはイメージを固めるため。そして創造すると同時に、魔王に斬り込むためだった。
僕は真っ白にした頭に、『神剣ユグレシア』に関する情報だけを集める。
「――――。」
意識を外から完全に遮断した。
何も見ない。何も聞かない。
果てなく己と向き合うためだけの空間として、僕だけの世界を切り取った。
――『神剣ユグレシア』。
それは何処にでも生える、『ドレシア』という名の花から作られた剣である。
『ドレシア』はあらゆる生物に寄生する可能性を持ち、世界を滅ぼす寸前まで生長した『神樹ユグドラシル』の養分を吸い尽くした『ドレシア』が、『神剣ユグレシア』の素材となった。
星そのものとほぼ同じサイズの『神樹ユグドラシル』が持つ力全てを、岩石大の『ドレシア』に圧縮したと考えれば、その異常さも伝わるか。
「…………」
そして問題なのは、それ以外の情報を僕はほとんど知らないということ。
――見た目は?
知らない。
――切れ味は?
知らない。
――硬度は?
知らない。
――作ったのは誰だ?
知らない。
――保存場所は?
知らない。
――現存するのか?
知らない。
――まず実在したことはあるのか?
……してくれなきゃ、困る。
「……」
時間の無駄だ。
このまま考えても、絶対に完成には至らない。
「……アプローチを、変えよう」
ならば考え方を、根元から曲げるべきだ。
『創造魔法』は、二つの要素の合計が一定ラインを越えると発動する。
一つは「対象への知識」。
作ろうとする物を、どれだけ深く知っているかによって、完成までの難易度は大きく変わる。
見たり触れたりすることによりこの要素は大きく強まっていき、また単純な物体であれば相対的に深く知れるため、創造も容易になる。
そして二つ目は「世界への要求」。
例え僕が現物を知らなくても、世界はそれを知っている。
一度でも実在したのであれば、例えこの世の人間が誰一人として知らない物体であったとしても、他ならぬ世界だけは絶対に記憶しているのだ。
故に世界に要求することで、知識の不足を補ってくれる。
例を挙げるなら「この星の中心に何があるか」なんて、この世の誰も知らないが、星そのものであれば知っているだろ、という理屈。
「……僕の『神剣ユグレシア』の知識は、ほぼゼロ」
基本的に『創造魔法』は、「対象への知識」と「世界への要求」の比率を9:1として完成する。
つまり世界から与えられる要素など、ほんの補助程度でしかないのだ。
言ってしまえば、「世界への要求」だけでは単純なナイフですら作れない。
そんな状態から『神剣ユグレシア』を生み出そうなど、無茶で無謀も甚だしいし、世界だって僕を嘲笑うだろう。
でも。
――そんなの、知るか。
それしか無いなら、やるしかないだろ。
目を閉じて、腰に架空の剣を構えた姿勢のまま、全力で魔力を込めた。
今、この場で、常識を壊す。
「――世界の記憶よ」
体内の魔力を練り上げる。
空中に漂う魔素を掻き集める。
魔王の集めるそれを奪い取るように、僕は僕自身を中心にする白色の渦を作り出した。
「全部、教えろ」
理論上は可能だ。
『創造魔法』の根源に至れば、決して不可能な魔法じゃない。
「全部、見せろ」
強く地面を踏み締める。
大地に根を張り、何もかもを吸い上げるように。
「見たことあんだろ、
『神剣ユグレシア』が作り出された瞬間も、それが振るわれた瞬間も。
他ならぬお前なら、何もかもを記憶しているはずだ。
「――成れ」
両手で構える架空の剣に、集まる全てを流し込む。
分からない物を、分からないままに、分からない形へと作り変えた。
頼るのは感覚。
世界が伝えてくる、ぼんやりとした完成系だ。
ただひたすらに全力で、槌を叩きつけるように力を込めた。
「ッ!」
瞬間、両手の中に僅かな光が灯った。
これは【
それはほぼ間違いなく失敗に終わる、という意味だが、しかし重要なのはそこではなく、
――発動自体は、出来た……っ!!!
『神剣ユグレシア』の創造が、魔法として成立したということだ。
この光が灯った後に魔法が成功する確率は1%以下で、僕が創造困難の光を覆したのは、人生でたったの一度だけ。
だが可能性は残った。
「超えてやる……」
運じゃない。問われるのは「集中力」と「意思」だ。
ぐちゃぐちゃに乱れる魔素と魔力を、正確に調整し続ける「集中力」。
命に変えても顕現しろと願う、心の底から溢れ出る「意思」。
「………っ」
魔素が見えるようになった今、前者に関してはそう難しくはない。問題なのは後者の「意思」だった。
生半可な意思じゃ決して足りない。
餓死する直前の人間が食料を求める渇望よりも、遥かに深く濃い貪欲さが必要になる。
「……寄越せ」
歯を剥き出しにしながら、静かに吼えた。
祈るのでなく、奪い取る。
『神剣ユグレシア』という伝説を、この場で見せろと世界に指図するのだ。
「寄越せ……」
唸るように、獣の如く。
「寄越せ……っ」
潰れた左眼すらを見開きながら。
「寄越せ……ッ」
眼球を血走らせて。
脳裏に描くのは、ルネスとアーシェルの殺された姿。
もしも『神剣ユグレシア』を手に入れられなければ、二人は死ぬことになるぞと、己に強く言い聞かせる。
――嫌だ。
守るって決めたんだろ。
勝つって約束したんだろ。
勇者なら、死に物狂いで抗ってみせろ。
「……ぐ、が……ぁ………」
耳鳴りが酷い。
身体が悲鳴を上げている。
「……うるっ、せぇよ」
無視した。
死んでも良いと割り切った。
魔力を篭める。
魔素を固める。
命を削って、進み続けた。
「いいから黙って――」
彼女たちを、救う力を。
「――寄越せッ!!!!!」
☆彡 ☆彡 ☆彡
あと数秒で『終焉魔法』が完成するというタイミングで、とある少女の声を魔王は聞いた。
完全に集中しているユリムは気づかないが、魔王とその少女は確かに目を合わせる。
「……ユーリシュさんにはあのとき、冷静って言われちゃったんスけどね」
それは当代勇者――ティクルの声。
彼女はユリムと魔王の、中央に当たる場所に立っていた。
ティクルが語っているのは、地下牢の前でユーリシュに命を救われた直後の話。仲間が殺されたにも関わらず、冷静だと評価されたあの日のことだ。
「冷静……?ウチ、ホントに冷静に見えました?やっぱウチって表情分かりにくいんスかね。もしかして今も、平常心って顔してるんスか?」
ティクルは普段通りの軽い調子の声色であるが、その表情はやや歪んでおり、
「――これでも仲間殺されて、ブチ切れてるつもりなんスけども」
魔王に、純然たる殺意を向けていた。
「……誰だ?」
「……」
たった数日前に殺した相手すら覚えてないのか、とティクルは一層苛立ちながら、ずかずかと魔王に歩み寄る。
遥か格上である魔王に対して、ティクルは物怖じすることもなく近づいていった。
「アンタら二人が話してんの、隠れて見てましたよ。……その『終焉魔法』っていうの、一分で完成するんでしたっけ?」
そのままティクルは魔王の目の前に立ち、魔王の顔を見上げる。
そして、流れる動作で腰に
「……十秒、稼いでやりますよ」
宣言。
一連を見ていたティクルは、今の魔王が攻撃を躱すつもりが無いことを知っていた。
加えて、己が魔王に舐められていることも知っていた。
ならばこの渾身の一撃を、魔王は素直に喰らうだろうとティクルは考える。
「……ほう。やってみろ」
「言われなくても」
ティクルは構えたままに、魔王を睨んだ。
遥か東の村落に、武器も魔法も持たずに魔物を狩る一族が存在する。武器を使ってはならない、なんてルールは無いが、しかし無手こそが彼らにとっては最強だった。
武器の代わりに彼らが手にするのは、古来より受け継がれた独自の武術。敵の体内を破壊することに特化した、衝撃を操る戦闘術である。
ティクルはかつて、その村の「巫女」と呼ばれる存在だった。
村で最も強い人間を、女なら「巫女」、男から「神子」と呼び、村の長として扱う風習があったのだ。
「……ウチを舐めたこと、後悔させてやる」
ティクルの構えるそれは、武術と魔法の融合によって生まれた攻撃手段。
武術が先で、魔法が後だ。
武術で得た技を、ティクルは魔法で増強した。
元になったのは、敵の体内に衝撃を送り込み、内部だけを破壊する掌底だった。
それは外側には一切の影響を与えず、ただ内臓だけに深刻なダメージを与える、ティクルの最速にして最強の一撃。
元から大抵の魔物を倒すことの出来た掌底を、ティクルは魔法によって数十倍の威力に高める。
「スゥ……」
ティクルが勇者に選ばれたのは、魔法を覚える前のこと。
魔法無しで勇者に至った少女が、己の武術に合致する魔法を得た結果、果たして何が起こるのか。
「『震動魔法』――」
防御力無視の破壊力。
幾ら頑丈だろうが、内側を壊すティクルには関係ない。
ティクルの吐く息が鋭く響き、そして、
「――――【発勁】」
魔王の腹部に、ティクルの掌が触れた。
空気の鼓動が魔王を貫き、鐘の震えるような音が響く。
その一撃は魔王の体内で反響し、重なり、強まり、壊す。
こと一撃の威力で言えば、ユリムの力を大きく超えていた。
「……」
魔王は結局、僅かも姿勢を変えることすらなかったが、しかし他ならぬ魔王本人だけは、体内に蓄積するダメージに気づく。
空を見ると、『終焉魔法』のために魔王が掻き集めた魔素は若干散っており、確実に発動が遠のいたことが分かった。
「さ。無抵抗でもう一発喰らってけよ」
「……遠慮する。貴様の攻撃は脅威足りえたと認めよう」
そう言った魔王は一瞬魔法の構築を中断すると、羽虫を払うが如くティクルを吹き飛ばす。
ティクルは、魔王の攻撃を回避する術を持ち合わせていなかった。
彼女は大量の血を吐き、そのまま戦闘不能に至ってしまうが、しかし。
「……十秒。確かに稼がれたな」
ティクルは完璧に、成し遂げてみせた。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「ルネス、そろそろです。『支援魔法』の準備を」
「分かったわ」
ティクルが魔王に挑んだ瞬間と、時を同じくしてルネスとアーシェル。
彼女らもまた、精神を削り取る行為に挑んでいた。
ルネスの『支援魔法』は、強化時間と強化量が反比例する。つまり強化時間を短くすればするほど、対象の能力を大きく高めることが出来るのだ。
基本的には五分程度の時間で発動させるルネスだが、しかし今回ばかりはそれが許されないことを理解している。
出来る限り強化時間を短くする必要がある、と考えた。
そして彼女たちの選んだ強化時間は――
「……頑張って、アーシェル」
「はい」
――僅か、一秒だった。
アーシェルは『鑑定魔法』で、ただひたすらにユリムを見つめる。微妙な筋肉の動きすら見逃さないよう、瞬きすらせず一心不乱に視線を送った。
ユリムが一撃に懸けているのは明白だった。
だからその一撃に合わせようと二人は決めた。
「……ぐっ」
本来『鑑定魔法』は、継続して発動させるものではない。
一瞬の発動ですら、脳に掛かる負担は莫大だからだ。
それを常時発動し続けるなど、狂気の所業以外の何物でもなかった。
見開かれ充血しきったアーシェルの瞳から、血涙が流れる。
限界を超えた情報量に、鼻血が垂れた。
――耐えなさい、私。もう少しです。
ユリムの苦痛を思えばこの程度、と、地面に爪を突き刺しながら必死に耐えていた。
そして、その瞬間は訪れる。
「――ッ!ルネス、今です!!」
アーシェルの声に、ルネスは一瞬で反応した。
予め限界まで高めていた魔力を、地面に触れて解き放つ。
その輝きはルネスの持つ、全ての魔力が含まれていた。
全魔力を一度に解放する行為は、確実に身体に悪影響を及ぼすため、現在はどの国でも禁止にされている。
それは体内で一度に流せる魔力の限界を、容易に超えてしまうからだ。
「……ッ」
ルネス一切、気にしなかった。
「『支援魔法』――【
力の奔流は地を這う龍のようにユリムに迫る。
そして地面から突き上げるようにユリムに命中した魔法は、ユリムの身体能力を尋常になく跳ね上げた。
――――。
ユリムの意図することなく、全ての準備は整った。
ティクルの作り出した十秒は、奇跡的にユリムの魔法を間に合わせ、ルネスのアーシェルの支援は、『神剣ユグレシア』を扱うだけの身体能力をユリムに与えた。
満を持して、勇者ユリムは顔を上げる。
鬼のような形相で、紅色の隻眼を、爛々と輝かせながら。
☆彡 ☆彡 ☆彡
時間を気にする余裕は、僕にはなかった。
だから間に合ったのかどうかも分からない。
ただ僕が顔を上げた瞬間、僕はまだ生きていて、そして魔王は魔法の名を呟こうとしていた。
――斬れ。
思考も何もかもを飛び越えて、ただ本能だけが駆け抜ける。
理由は無いが、斬り掛かるべきだと身体が叫んだ。
手に武器は無いが、全力で踏み込めと背中を叩かれた。
――行け。
考えるよりも早く、僕の身体は動き始める。
地面の感触を確かめた。
斬るべき相手を視界に収めた。
そして『神剣ユグレシア』は、剣技の
「『創造魔法』――」
空っぽの両手に、力を篭める。
見たこともない癖に、まるで使い古した愛剣を握るような感覚があった。
鞘を左手に、柄を右手に。
低く腰を落として、大きく前傾に構える。
構えた後に、これが『神剣ユグレシア』を最速で振るう姿勢だと知った。
そして、一歩踏み込むと同時。
「――――【
否、一歩で全ては事足りた。
その一閃は光を超えて、僕の視界から色を消す。
輪郭だけの、黒の世界を駆け抜けた。
『神剣ユグレシア』の完成と、腰の鞘から刃を抜くのは全くの同時。
踏み込み、腕に力を込め、そして剣を振るう寸前に、僕の魔法は完成に至る。
剣技の型の半分は、架空の剣で辿った。
だからこそ、その踏み込みは、より軽かった。
世界で唯一の「花の剣」――『神剣ユグレシア』。
細く華やかで、可憐にも関わらず伝説と化した剣である。
その剣に重さは無い。
重さなどなくとも、全てを斬り裂くから。
その剣に装飾は無い。
装飾などなくとも、素材そのものが華麗であるから。
――キンッ、と甲高い音が響いた。
それは魔王を斬った音。
腰から肩口までを、斜めに斬り上げる一閃。
抵抗なく、滑らかにすり抜けた。
僕の背後で、何かがどさりと崩れ落ちる。
一瞬遅れてそれが魔王だと気づいた。
「……勝っ、た?」
我武者羅の境地に居た僕は、ぼんやりと魔王の死体を見下ろしながら、状況を理解していく。
魔王はピクリとも動かない。
今度こそ、間違いなく死んでいる。
「……勝ったんだ」
僅かに残る疑心は徐々に消え失せ、そして代わりに安堵が満ちていく。
しかし勝利の余韻に浸るだけの余裕は無くて――
「……僕は、魔王に……勝った」
――晴れていく空を見ながら、僕は気を失った。
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