第14話 十五日目 - 2


 ルネスは涙を流していた。

 無言で、動くことも無く、ただ頬に一筋の跡を残す。


 もう二度と会えないと諦めていたユリムとの、不意の再会に、驚きと喜びがひたすらに混ぜ合わさる。

 

「……ユリム」


 ルネスが軸に持つのは、他人に助けを求めない強い意志と、己の為に誰かを死なせたりしないという王族としての固い決意。


 気が強い、とはよく言われていた。

 でもそれは、我慢しているだけだった。

 姫ならば国のために心を殺すべきだと、ルネスは誰に言われずとも理解していたのだ。


 しかし目の前に背中を見せるこの男は、私を守ってくれる勇者だと、ルネスの心を解きほぐした。


 だから、そうだ。

 彼女にとって、真に心を開けるのは勇者だけ。

 弱い心をさらけ出せる、唯一の相手だった。


 ユリムの背中を見て、ルネスはポツリと本音を告げる。


「……ごめんなさい。本当は私、死にたくないの」


「うん」


「……さっきも、あの三人がすっごく怖かった」


「うん」


「……今もあそこに立っている魔王が、怖くて怖くて仕方がない」


「うん」


 何かが決壊したように、次々と本音が溢れ出る。

 ユリムはそれらを、全て抱え込む。


 ルネスは、だから、と言葉を繋いで……そして。


「……お願い。助けてユリム」


「全部、僕に任せて」


 ユリムはその目に、決意を燃やした。


 




☆彡 ☆彡 ☆彡



 



「――魔王ゴールニア」


 その名を知る者は、本来この世には誰一人として存在しない。

 何故なら魔王が己の名を明かすのは、自らの意思で挑みかかってきた勇者に対してのみであり、そして、


「……魔王に挑んで、生き残った勇者なんて居ないから」


 当然のこと、ユリムもまたその一人。

 魔王に挑み息絶えた、勇者の屍の山にはユリムの名前も連なっている。


「……何故。余の名を知っている」


 魔王の表情には、僅かな驚きが宿る。普段一切の感情を見せない魔王が、ほんの少しではあるが顔色を変えていた。


 それはユリムにとっても、初めて見る魔王の姿。

 なんとなく、してやったような感覚を得る。


 だが今のユリムには、魔王と語らう予定などなく、従ってその質問に答えるつもりもない。


 既に手には刃を握り、昂る心には殺意を宿していた。

 そして背後に抱えるのは、絶対に守ると誓ったルネスの存在だ。


「さぁね。……僕と戦えば思い出すかもよ」


 故に、開幕から本気で挑む以外に、選択肢などなかった。

 隠し玉も何もかも、全て用いての全力全開。


 ユリムは自身に宿る、今まで隠していたすらも、この場で明かすつもりで魔王に挑む。


 久方振りに流す本気の魔力に、身体に仄かな熱が籠る。

 

「『魔法』――」


 それは『複製魔法』のその上位。

 創造を司る、前世から使い続けた最高位魔法。


「――【幻衣纏着ファントム・クロース】」


 ユリムが魔法を唱えた瞬間、身に纏う衣服が一瞬にして変化した。黒を基調にした、身軽げな装備である。


 発動したのは、一度でも身に付けた記憶のある装備を、魔力を用いて出現させる魔法。その力で、前世の死の瞬間まで着込んでいた、お気に入りの装備を作り上げた。


――『星屑の装衣』一式。


 素早さに莫大な補正を付ける、所謂「勇者装備」に分類された最高ランクのアイテムだった。


「うん、……いいね」


 ユリムは軽く跳ね着心地を確認しながら、完璧に『創造魔法』が発動したことに確信を持つ。驚くほどに、身体に馴染んだ。

 

 準備は万端。

 両手に握る二本のナイフを、魔王に向けてユリムは構えた。


「行くぞ、魔王。今度は負けない」


「……何故なにゆえ、貴様が余と戦うのかは理解出来ぬが。……まぁよい。反逆者として殺してやる」


 魔王の手が、此方に向くのを見て。

 そしてユリムは思いきり、地面を蹴った。


 景色が加速し、瞬く間に魔王との間に存在した距離が消えていく。振り被るナイフは一筋の銀色の線となり、ユリムの跡を辿り描いた。


 駆けるユリムの瞳に映るのは、ゆっくりと開かれる魔王の口元。滑らかに魔法の言葉が紡がれる。

 スローに進むユリムの世界で、魔王が選び口にした魔法の名は――


「……ッ」


――『創造魔法』


 ユリムが魔王と衝突する直前、魔王の両手にはユリムと全く同じナイフが現れた。


 そして剣戟――否、ナイフの激突音が高らかに響き渡る。


「……ちっ」


 超高速のユリムの二閃は、魔王の手によって正確に止められていた。

 魔法のみでなく、あらゆる武術も超一流。その化け物じみたスペックに、ユリムは苛立ちを抑えきれずにいる。

 あわよくばこの初撃で決める、とユリムは考えていたのだが。


「……余より、速いな」


「煩い。完璧に反応しといて嫌味かよ」


 ナイフ同士の衝突をバネに、ユリムは跳ねて魔王との距離を取った。

 距離にして五歩程度。一つの魔法を唱えるだけであれば、それだけで十分だとユリムは判断した。


「『創造魔法』――【存在証明アルベキヨアレ】」


 瞬間ユリムの周囲3mの、球状空間が僅かに歪んだ。

 見た目の変化はほとんど無いが、何かがそこに発生したのだと魔王は理解する。


「……何をした?」


「教える訳ないでしょ」


 警戒する魔王を後目に、ユリムはチラリと辺りを見渡す。

 出来れば今のうちに、誰かにルネスを安全な場所に移動させて欲しいと願うが、しかし人間も魔族も、皆が怯えて動けずにいた。


 ただ一人アーシェルがこそこそと頑張っていたので、ユリムはそれに期待することにする。


 ユリムは再び魔王に意識を向けると、そのまま不意打ち気味に、手にしていたナイフを投擲。

 難なく弾き返す魔王を見ながら、ユリムは威圧を篭めた言葉を放つ。


「一つ言っておくけど、『創造魔法』同士の戦いなら僕は絶対に負けない。『創造魔法』は魔力の総量や威力じゃなくて、練度と経験がものを言うんだ」


「……ほう」


「舐めてる間に殺してやるよ」


 ユリムの身体能力は、人間の頃よりも遥かに上昇している。それでも魔王には及ばないが、しかし『創造魔法』の差を加味すれば、間違いなく勝てると断言できた。


 問題なのは、その後だ。

 全ての魔法を自由自在に扱う魔王に、何処まで食らいつけるかが勝負の鍵だとユリムは考える。


 舐めてる間に殺す、とユリムは口にしたものの、それが不可能であることは、最初の一撃を回避されたことで確信していた。

 つまりは長期戦を避ける為の挑発だった。


「――シッ!!」


 鋭く息を吐き、真っ直ぐ前へ。

 突進に合わせて、ナイフで刺突。 


 その一撃は魔王の手で楽々と弾かれ、ナイフが宙に舞う――が、ユリム一切気にせずに魔王を睨み続ける。


 魔王はユリムの薄すぎる反応に目を細めた。

 武器を弾かれて、全く動じない相手は異常である、と。

 

 しかしその直後に見せつけられた光景に、魔王は目を見開き、そして納得する。


――何も無い空間に、何の詠唱もなく、一本のナイフが現れたのだ。


 ユリムは魔王の切り払いを側宙で躱す、と共に、流れる仕草で両足を浮かせたまま、現れたナイフの柄をつま先で押し込む。

 そのナイフは魔王の顔に突き進み、その頬に赤い線を入れた。


「……なるほど。今のが先の魔法か」


 魔王は一息で襲いかかる多数のナイフを捌きながら、小さく理解を呟く。


 ユリムの用いた魔法、【存在証明アルベキヨアレ】は己の周囲の空間を、「思い通りに物体を存在させれる」状態に変える魔法である。


 つまりはそこにナイフは有るのと決めつければ、その瞬間にナイフが現れるということ。

 複雑な物体は無理だが、しかし大抵の物はタイムラグ無しに創造することが出来た。


「分かったからって、どうにかなる物じゃないよ」


 ユリムは更に距離を詰めながら、言葉を返す。


 超至近距離からの足元への投擲、と同時に新たなナイフで胴を一閃。

 後退しようとする、その足の後ろに瓦礫を創造。回避行動の阻害。バランスを崩せばそのまま刺突。

 頭上から降る刃物に、動作無しに仕掛けられるトラップ。


 確実に選択肢を削り取り、魔王の逃げ道を奪っていった。


「――――」


 ユリムは更に加速する。


 左足を軸にした、強烈な低空からの足払い。

 魔王は跳ねて躱すが、ユリムも追うように跳ね上がる。宙で一回転。


 ユリムの右足は鞭のようにしなり、そしてその回し蹴りは――


「喰ら…え!!!」

 

――ついに魔王の腹部を、蹴り抜いた。

 

 ダンッ、と空気の破裂する音が響く。

 そのインパクトは風となり、遥かルネスの髪を揺らす程。


「……がふっ」


 その一撃は魔王を吹き飛ばし、瓦礫へとめり込ませた。


 ユリムはその先に視線を送りながら、音も立てずに着地する。相当な一撃を見舞わせたユリムであるが、しかしその表情は浮かばなかった。


「お前が手加減しつつも、油断してないことは分かってる。どうせ致命傷にはなってないんだろ。……さっさと本気出せ」


 ガラりと、瓦礫の山が崩れ落ちる。

 それは魔王が立ち上がったことの証明。


 ユリムの言葉通り、魔王は大きなダメージを負った様子もなく、元の立ち位置へと戻るのだった。


「……貴様の言う通りだな。余も貴様と同じ魔法を使うことは出来る、が。その土俵では勝てそうにない」


「へぇ。魔王様って思ったより素直なんだね。てっきり、もっと頑固な根暗野郎かと思ってたよ」


「……弱い者に興味が無いだけだ。貴様には、たった今、ほんの少し興味が湧いた」


「ほんの少し、ね。……まぁいいや、それより本気出してくれるの?」


「……。魔法は全て、使ってやろう」


 まるで、魔法を自由に唱えたとしても本気ではない、かのような魔王の言い草に、ユリムは頬を強ばらせる。

 しかしユリムにとっての、第一関門を突破したのは間違いない。


――こっからが、本番だ。


 ユリムは深く息を吐いた。


 今の己が、本気の魔王に勝てないことなど、戦う前から百も承知。万に一つも勝機など存在しないだろう、とユリムは考えていた。


 しかし諦めている訳では無い。

 勝てないのは、あくまでも「今の己」だと、ユリムは断ずる。


――なら戦いの中で、魔王を超えればいい。


 早い段階で魔王に本気を出させ、死に物狂いでそれに慣れてやる、と。

 

 ユリムは今の肉体を、まだまだ使いこなせてはいない。

 なにせ生まれてからたったの一年。戦闘に触れた期間で言えば、半年以下である。


 言ってしまえば前世の経験と知識で、今の領域に至っているだけ。


 伸び代は未知数。限界は遥か遠い。


――殺されるのが先か、超えるのが先か。


 これから始めるのは文字通り、死とのレースである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る