第12話 『三年前』と十五日目


――私が、「人間は怖い生き物だ」と初めて思い知らされたのは、ユリムと別れたあの日だった。


 


 


「……ユリムが旅立つのだから、応援のパーティの一つくらい開いてあげれば良いのに」


 ある日そんな感じの提案を、私はお父様に向けてみた。

 しかし私の提案を、お父様は無碍なく却下。

 結局ユリムは、一人静かに勇者の旅に出ることになる。


 むーと唸るも相手にすらして貰えなくて、私はイライラのままにドスドスと部屋へと戻って行った。


「ユリムの出発は、明日の夜よね」


 はっきり言って納得がいかない。

 その旅が具体的にどのくらい大変なのかは分からないけれど、きっと相当頑張らねばならないだろうことは、世間知らずの私でも理解出来た。


「ユリムも一人くらいには応援されたいはずよ。きっと」


 そしてそれが私なら、尚のこと嬉しいに違いない。……違いないわよね?


 そういう訳で、私はお城を抜け出してやることに決めた。


 深窓の令嬢として扱われていた頃が懐かしいが、私がたった一年でこんなになったのは、間違いなくユリムのせいである。責任取れ。


「……変装用の服は、このドレスで行けるかしら。ぐちゃぐちゃに汚せばそれっぽくなりそうね」


 窓から落としたとか言い訳すれば、許して貰えるだろうとか考えつつ、私は明日に向けて準備を進めた。





 ユリムが発つ日の夜。


 私は窓からロープを垂らした。当然目的は、この城を脱出するためである。

 しっかりとロープが固定されていることを確認しつつ、私は慎重に降っていった。


 城の周りを歩く見張りは丁度この窓の反対側と、タイミングも完璧。

 彼が垂らされたロープを見つけて、慌てふためくのは時間の問題だが、しかしそのとき私は既にお城の外なので問題は無い。


 シュタッと着地した私は、そのまま城壁へと駆ける。

 近くに置かれた銅像を登ることで、私でも城壁を越えられるという寸法だった。


「……守りは堅いけれど、脱出に対してはザルね」


 私が逃げ出すという想定を、全くしていないだけだろうが。


 晴れて自由の身となった私は、ユリムの元を目指して走り出した。

 彼が城を出たのはついさっき。

 街を出る前には間に合うはずだが、しかしユリムは歩くのも速いから、出来る限り急がねばなるまい。


 私は目立たないよう、道の隅を走った。


「ま、間に合うわよね?」


 ところがユリムの後ろ姿が中々見えないことに、徐々に不安を覚え始める。もしかして出ていく門を変えたのだろうか、なんて嫌な憶測まで脳裏を過ぎった。


 ユリムが使うのは西門だと聞いていたが、アイツなら気まぐれで変えかねない。


「やめてよねホントに……」


 だが、今さら別の門に向かっても間に合わないので、私は割り切ってそのまま進み続けた。


 路地裏を使ったりと、可能な限り最短ルートを選ぶ。

 暗がりを不気味に感じたりもしたが、しかしユリムのためにと、勇気を出して突っ切った。



「――お前さん、ルネス姫かい?」


 そして、それが不味かったのだろう。

 気づくと私は、知らない男たちに囲まれていた。


 正面に二人と、後ろに二人。

 偶然にしてはタイミングが良すぎる。

 いつの間にか、私は狙われていたらしい。


「ぶふっ、なんでこんなとこにお姫様が居るの?姫様でもたまには遊びたくなるの?そうなの?じゃ俺たちと遊ぶ?ぶふふっ」


 ずんぐりとした男が、鼻水を垂らしながら寄ってくる。

 酸っぱい匂いが鼻につき、私は無意識に後退った。


「……や、やめて。来ないで」


 それは私にとって、知らない人種。

 私の知識の中にある男とは、清潔な騎士とお父様、それとユリムだけだ。

 こんな気持ち悪い生き物を、私は見たことがなかった。


「え、コイツ姫だろ。普通に城まで連れてった方が金貰えんじゃね?」


「楽しんでからでも遅くねぇよ。『襲われてるところを助けました』って、それで平気さ」


「あっは、確かに。兄貴は頭良いなぁ」


 話している内容も、よく分からない。

 この男たちは、私に何をするつもりなのか。


「ぶ、ボクからヤッていい?良いよね?ぶふっ」


「テメェは最後だデブ。簡単に女壊すんだから、黙って見てろ」


 怖い。


 私は、人間を味方だと思っていた。

 敵は魔族で、それを倒すために協力するものだと。


 違った。

 こっち側にも、敵はいた。


 私はお城の外の世界を、全く知らない。

 知らないけれど、優しい世界だと思っていた。

 少なくとも、この王国の中に住む人達くらいは、みんな揃って親切だろうと、考えていたのだ。


「い、いや。……やめて、……ください」


 ユリムに会おうと興奮していた心が、冷えきっていくのが分かった。怖くて寒くて、体が震える。

 恐怖によって感じる寒気というものを、私は生まれて初めて知った。


 近づいてくる。

 私の知らない生き物が、私に触れようとしてくる。


 前にも後ろにも逃げる場所はなくて、身体を縮こませることしか出来なかった。

 小さくなって、小さくなって、そして私は強く目を閉じた。


「……なん、でよ」


 私は、ユリムと会うつもりだった。

 もう当分会えなくなるから、最後に彼とお話をしたかったのに。


 それがどうして、こんなことになってしまったのか。

 

「いや………」


 悲しくて、涙が零れた。

 これからされる酷いことよりも、ユリムに別れを告げられなかったことが、私の目頭を熱くした。


 私は両手で顔を覆って、会いたくて仕方の無いその名前を呼ぶ。


「ユリム、ユリム……っ」


「呼んだ?」


「………………え?」


 何故か、ユリムの声がした。

 恐怖のあまりに、私の頭はおかしくなってしまったのかもしれない。


 しかし恐る恐る目を開けると、目の前には確かにユリムが立っていた。


「……。ユリム?」


「うん、ユリムです。……あ、お饅頭食べる?さっきそこで買ったんだけど」


「…………。食べるわ」


 何が起きたのかよく理解出来ぬままに、私はユリムから饅頭を受け取った。

 ピンチは変わらないはずなのに、ユリムが現れただけで、私はいつの間にか安心している。


「ぶひゅ、、誰だおまえ?ボクたちはね、これからお姫様と遊ぶんだぞ?もしかして邪魔するつもり――ぶらぁ!?!?」


「お風呂くらい入りなよ。君、オークと区別がつかないよ?」


 ユリムは両手にお饅頭の袋を抱えたまま、一息で四人を蹴り飛ばした。


 いや、蹴ったというのは私の推測でしかない。

 一瞬すぎてほとんど見えなかったが、その手からお饅頭が離れた気配はなかったので、多分蹴ったのだろうと。


 落ち着いて周りを見ると、四人の男が気絶して倒れていることに気づく。


 どうやら私は、ユリムに助けられたようだった。




――――――。




 はて。

 その後に私は、ユリムとどんな会話をしたのだったか。

 覚えていないはずはないけれど、ただ咄嗟に、走馬灯の如く甦った記憶はここまでだったのだ。


 走馬灯――つまり私は、それなりの危機に身を置いていたという訳で。


「ルネス姫、大丈夫だった?」


「……え、ええ。ありがとうユーリシュ」


 私のすぐ側に二体のオーク魔族が倒れているのを見ながら、私はユーリシュの手を握る。


 ここは地下牢。

 わざわざ私を弄ぶ為だけに、このオーク魔族たちはここまで訪れたらしい。


 手首を掴まれスカートを引き裂かれ、間一髪というタイミングで、ユーリシュが私を助けてくれた。


「ごめんね、魔族ってたまにとんでもないバカが居るんだ。ルネス姫を襲ったらどんな目に遭うかくらい、簡単に想像出来ると思うんだけど」


「……そう、なのね」


「うん。……あ、金平糖食べる?最近、魔族でも流行り始めたんだよこれ」


「私は大丈夫よ」


「……そっか。おいしいのに」


 しゅんとしたその横顔を見つめながら、私は物思いにふける。金平糖は好きだが、そんな気分ではなかった。


「……?」


 私の思考は、ユーリシュとユリムの二人に馳せられる。

 疑問……もあるが、それ以上に困惑していた。


 何故、私はユーリシュに助けられて、ユリムのことを思い出したのか。何故、ユーリシュはこうもユリムと被るのか、と。

 顔も声も、種族も何もかもが違うのに、どういう訳かユーリシュを見ていると、その背後にユリムがチラつくのだ。



――それこそ、ユーリシュがユリムの生まれ変わりだと言われても、納得してしまうくらいには。



 ドスンという音がしてはっと前を見ると、ユリムは金平糖を咥えながら、オーク魔族の二人を牢の外へと蹴り飛ばしていた。

 それは軽々といった様子で、その強さはやはり四天王なのだなと私は思う。


 ユーリシュは頭を搔いて、何か悩むような表情を浮かべる。

 どうしたのだろうか、と彼を眺めていると、ふと私を見て口を開いた。


「うーん。……少し早いけど、もう出ようか。準備は大体終わってるし」


「……?……ああ。そういえば今日だったわね」


「そういえばって何さ。てっきり心待ちにしてるものかと。やっと王国に帰れるんだよ?嬉しくないの?」


「嬉しいわよ、それは。……ただ貴方のお陰で、そこまで酷い目に遭うことも無かったから。なんというか、拍子抜けしただけで」


「あはは、なるほどね」


 私はユーリシュに手を引かれつつ、牢の扉を潜った。

 遂に今日、私は魔王城から解放されるのだ。

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