第9話 『四年前』
窓から見える景色が、ずっと眩しかった。
部屋の外にすら出られない私――ルネスにとっては、窓から見えるものだけが世界の全てだったのだ。
私の住む城よりも高い建物など何処にも無いから、覗ける範囲は果てしなく広い。
無数の家々に、街を囲う城壁。その先には草原が広がり、地平線の少し前には森の入口も見える。
行ってみたい場所は幾らでもあった。
でも私の居場所はこの部屋だけだった。
窓から身体を乗り出すと真下に見える、城内の訓練場すらも遥かに遠い。
部屋に縛られた私にとっては、遥か森の入口も真下の訓練場も、等しく憧れを抱く場所。
「……私もそこに行きたい」
誰にも聞こえない願いを、私は呟く。
ある日、毎日夕方に行われる魔法の講義が、中止になった。どうやら私の先生が体調を崩したらしく、授業どころではないそうだ。
突然生まれた自由時間。
しかし空っぽな私には、特にやりたいこともない。
部屋の中には、まだ読み終わっていない本は沢山ある。
でもそれは読めと言われた本であり、私の読みたい本ではなかった。
私は窓の外に目を向ける。
それこそ見たい風景なんて無いけれど、ただ夕方の空というのは、私にとって新鮮だ。
普段なら、魔法の勉強で全てが潰れる時間帯。
赤色の空の下を見下ろす機会は、そう多くなかった。
ふと、駆け抜ける影に気づく。
「……?子供の、集団かしら」
遠目ではあるが、恐らく10人かそこら。
一人の少年が、その集団を引っ張っていた。
彼らの向かう先は、街と外を繋ぐ城壁である。
門も何も無いその場所に、一体何があるのかは分からなかったが、私は静かに眺めていた。
「……えっ」
すると彼らはなんと、城壁を抜けた。
貧民街の家々が入り組んでいて、何が起きたのかまでは見えなかったが、とにかく彼らは草原に出たのだ。
恐らくは、兵士の誰も気づかないような「穴」が、城壁にあったのだろう。
私はお父様に伝えるべきか悩む。
いつもの良い子の私であれば、すぐさまに伝えたのだろうが、しかし今の私はあの同年代の子供たちと、勝手に秘密を共有したような気分になっていたのだ。
ドキドキと鳴る心臓に触れながら、口を開きっぱなしにして、私はその少年たちの冒険を見ることにした。
「あれは……剣?武器?」
盗み見るようで申し訳なくはあったが、私は傍にある双眼鏡を掴んで、より詳しく様子を窺う。
男女入り交じる彼らは、何かと戦うつもりなのだろうか。
ナイフ、剣、棍棒。各々が何かしらを手にしている。
街の外は危ないし、護身用として持つのは当然かもしれないが、しかし子供が扱うには身に余る道具。
危険を理解しているなら、それこそどうして外に出るのか分からなかった。
案の定、危機はすぐに現れた。
彼らは一匹のゴブリンと出会う。
「ダ、ダメ……っ。危ないっ!」
私は助けを求めるべく、慌てて部屋を出ようとした。
魔物は子供が相手に出来る存在じゃない。
例え大人でも逃げるのが正解なのだから、子供なんて何人居ようとあっという間に殺される。
私は数秒後に生まれるだろう、一つ目の死体を幻視して――
「……?」
――しかし、様子がおかしいことに気づいた。
彼らはゴブリンに襲われるどころか、襲いかかったのだ。
武器を高らかに上げて、自分たちから距離を詰める。
「な、何よあれ……」
明らかに、統制が取れていた。
ゴブリンの視線、思考を読み取った先読みの攻撃。
常に誰かが背後から、明確なスキに向けて武器を叩きつける。
どう考えても、子供の遊びの範疇ではない。
「指示を出してるのは、あの男の子……?」
先ほど先頭を駆け抜けていた少年が、常に最前線に立ちながら、笑顔で楽しそうに剣を振り回し、他の子供たちを動かしていた。
声は聞こえなくても、指揮の中心がそこにあるのは一目で分かる。
「…………」
きっと彼らにとっては、ただのヒーローごっこの延長なのだろう。
冒険者や騎士に憧れて、オモチャを振り回したのが始まりに違いない。そこから悪役を決めて、騎士役を決めて、楽しく遊んでいる果てに、魔物退治に辿り着いたのだ。
普通ならば有り得ない。
親にバレて止められるか、或いは一度目で、後悔と共に死んでいく。
ただあの集団の場合は、
「……リーダーが、優秀過ぎた」
戦闘の訓練などしたことも無い子供を、どれだけ集めたところで、魔物を倒せる筈がない。
ただその常識を、一人の少年が狂わせてしまった。
しかも誰一人としてゴブリンを恐れていない様子から考えるに、彼らがこの遊びを行うのは一度目ではなく、そして誰一人として怪我を負ったことがないのだろう。
あの歳の子供たちであれば、友人の血を一度でも見れば、それだけで怯えて動けなくなる。
それなのにあの少年は、命懸けの魔物退治を「ただの遊び」にまで昇華させたのだ。
「指揮の、天才。……いつかは軍団長にでもなるのかしら」
私は末恐ろしくも、数年後には人間族が勝利することを確信した。
彼の指揮が、魔王を滅ぼすに足るだろうと。
「……あっ」
気づくと彼らは、魔物退治に満足したのか来た道を戻っていた。夕方から日が暮れる少し前までの、ほんの短い時間が彼らの「遊び」のタイミングなのかもしれない。
私は落ち着きつつある鼓動に触れながら、彼らから目を背ける。
「ごめんなさい……」
彼らには申し訳ないが、あの穴のことはお父様に告げることに決めた。
その遊びは、流石に危険すぎると思ったから。
今は平気でも、何かの拍子に、取り返しのつかない事故が起こると断言出来た。
命懸けだという自覚なく命を賭ける以上に、危険なことなどない。
☆彡 ☆彡 ☆彡
広間に来いと、お父様に呼ばれた。
何やら勇者の素質ある人間が見つかったらしく、その任命式を行うらしい。
広間に着いた私は、国王用の椅子の横に置かれた、それよりもやや小さな椅子に座る。
大勢の視線を受ける一身にその椅子は、私にとって心地よい場所ではなかったが、しかし物理的に心地よい椅子ではあったので、そんなに辛いとも思わなかった。
ふわふわで気持ちいい。
『ユリム・レイライト。――――入れ』
ふと、一人の兵士の声が聞こえてくる。
ユリム・レイライト。聞いたことの無い名前である。
勇者に選ばれるくらいだから、きっと有名な人物が現れると思っていたのだけれど。
広間に入るための大扉が開かれ、一人の少年が入ってきた。
柔らかい絨毯によって、彼の足音は最小限に抑えられるが、しかしあまりの静寂の故か、私の耳にはその音が届く。
私は、静かに此方に近づいてくる彼を見て、
「……ッ!」
――大きく、目を見開いた。
なぜならそこに居たのは、二年前に窓の外に見た、あの少年だったから。
ユリム・レイライトは、ゆっくりと周囲を見渡しながら歩を進める。数多の兵を、飾られた絵画を、煌びやかな光源を、まるで私たち王家を見定めるように。
私はユリム・レイライトの雰囲気に呑まれ、手に力が入るのを感じる。
あれが、勇者。
あの天才が、勇者だった。
「……ユリム。……ユリム・レイライト」
呟きとも呼べない程の小さな声を、私は口の中に零す。
「……?」
そして彼は、私と目が合った瞬間。
ほんの少しだけ、目を丸くし。
何故か、満面の無邪気な笑みを浮かべたのだ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
部屋に戻った私は、勇者ユリムのことで頭がいっぱいだった。
彼がただ者ではないと分かっていたけれど、まさか勇者として現れるとは思わない。
なにせ勇者といえば、魔王を倒し得る人類最強そのもの。
偶然にしたって、そうそう起こる奇跡ではないだろう。
流石に、私と同い年くらい――即ち13かそこらである彼が、現段階で最強ということはないだろうが、しかしそれに至る素質があると判断されたのだ。
果てしない将来性である。
「……でも正直、あの笑顔からは想像が出来ないわ」
今思い出してもあれは、無邪気としか表現出来ない――どちらかと言えば、それも可愛いの部類に入る笑顔だった。
男の子に対して、可愛いなんて感情を持つのは失礼な気もするけれど、しかしカッコいいとは少し違うかなと思う。
「そもそも、どうして私を見て笑ったのかしら……?」
ずっと鋭い瞳で周りを見つめていた癖に、私と目が合った途端にあんな表情をするなんて。
私の顔に何かついていたのか、おかしな点でもあったのか――
「――も、もしかして……私の容姿が彼の好みだったとか」
いやいや無い無いと私は首を振る。
人と顔を合わす機会が極端に少ない私には、比較対象がほとんどなかった。
私が人に好かれる容姿なのか、そうでないのかなど、推測することすら難しい。
周りの従者は可愛い美しいと繰り返すけれど、彼女たちがそう言わねばならない立場に居るのは、誰に聞くでもなく明らかである。
真に受ける気にはなれない。
「……ユリム、レイライト」
それにしても、勇者は魔王を倒すと、私と結婚できる権利を得るらしいが、彼は一体どうするのだろう。
魔王を倒した勇者となれば、どんな美女とでも婚約できるだろうから、私に価値なんて感じないだろうか。
そうなると、突っぱねられるのが関の山だとは思うけれど、でももし彼が私と結婚すると言い出したのならば――
「……い、嫌では……ない?二年前に見たときは人気者って感じだったし、きっと悪い人ではない……はず」
気にしても仕方の無い話だが。
私はベッドに横になって、天井を見上げる。
天井に描かれた複雑で綺麗な模様は、眺めていると何となく気が紛れた。
「……?」
――ふと部屋の外から、凄まじい足音が聞こえてくる。
私は寝転んだまま、ちらりと扉へと目を向けた。
「……何かしら」
まるで私の部屋に向けて、全力疾走をしているかのような音だが、まさかそんな可能性が有り得るのか。
ここは王城で、まして私が居るのは最上の部屋である。
数多の護衛を超えなければ、この部屋に辿り着くことなど叶わない。
しかし足音が近づいてくるのは、確かな事実だった。
私は起き上がり、唾を飲みながらその扉を見つめる。
そして、ドドドドドド―――ッ、という音が止んだ瞬間――――
「やぁルネス姫。元気?」
――勇者ユリムが、私を閉じ込める扉を開けた。
それが私たちの、最初の出会いだった。
私を呼ぶ声が聞こえた瞬間、私はどんな顔をしていたのだろう。
そのときの私の感情には多くの色が混じりすぎて、驚いたなんて言葉だけで表現するには到底足りなかった。
「……え、え?貴方、どうやってこの部屋に……?」
そして、とりあえず絞り出た言葉がこの質問。
もしかすると私は、感情を整理する為の情報と時間が欲しいと、無意識に願ったのかもしれない。
そんな私を見たユリムは、こめかみを掻きながら、「何を当たり前のことを」なんて表情で口を開いて、
「どうやってって、そりゃ――」
『待て貴様!!いくら勇者といえど、姫様の部屋に立ち入ることなど許されんぞ!!』
『孤児風情が、この階層に足を踏み入れて無罪放免で済むと思うなよ……ッ!!』
「――逃げ回りながら。足の速さには自信があるんだ」
唖然、という他なかった。
勇者とはこれ程までに――というより、ユリムという少年の破天荒さに、私は言葉を失ったのだ。
「実は僕、ルネス姫にお礼を言いたくてさ」
「お、お礼?」
「うん。……でも今はゆっくり話してる余裕が無さそうだから、一つお願いだけしに来たの。――今日の夜、窓の鍵を開けといて貰えないかなって」
「……鍵を?意味が、分からないわ」
私は眉を歪めながら、言葉が足りないことをユリムに伝える。
なぜ窓の鍵を開ける必要があるのか、開けたとして何が起こるのかと、聞かねばならないことが多すぎた。
しかし近衛兵たちの足音は既に近づいており、彼と悠長に話せる時間は無さそうだ。
「……ごめん、また後でね!」
ユリムは申し訳なさげに苦笑いを浮かべると、私に手を振り、再び駆け抜けていった。
嵐のような出来事。
生まれて初めての頼まれごと。
「……。まぁ、……よく分からないけど、窓の鍵は開けておくわ」
ユリムの姿はもう何処にも無いが、私は一人で返事を呟く。
正直なところ、ワクワクして仕方がなかった。
彼の頼みを断るには、今までの人生が退屈すぎたのだ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
日は沈み、空には星明かりが輝く。
窓の外では灯りを洩らす家々と、ポツポツと道を照らす街灯が見えた。
夜。
ユリムの言っていた「夜」が、何時頃を指すのかは分からないが、しかし少なくとも今この瞬間が夜である、とはユリムの認識でも変わらないだろう、と私は思う。
私は僅かに開けた窓を、ソワソワと見る。
いつ何が起こるのかと、柔らかいベッドの上で足を抱えながら、じっと待っていた。
「こ、これで良いのよね……?窓の鍵は空いてるし」
私の耳に残るのは、ユリムが最後に残した「また後でね」という一言だ。
それはつまり、彼はまた私と会うつもりでいる、という意味に他ならない。
私はてっきり、明日か明後日かにもう一度近衛兵たちとの鬼ごっこに挑む、という意味かと思ったが……しかし。
「まさか、窓から入ってくるとか……?」
実際に開け放った窓を見ていると、そんな可能性すら思い浮かぶ。
普通に考えれば不可能だ。
この部屋が容易に登ってこれるような場所にあるのなら、とっくに私は攫われているはずだから。
「…………」
そう理解しているにも関わらず、あの少年であればもしかして、という思考がチラついてしまう。
その時点で私は、彼に毒されているのかもしれなかった。
私は下を向き、溜め息を吐く。
姫ともあろう者が、たった一人の少年に、ここまで振り回されているなんて、と情けなさを感じながら。
脳裏に描くのは、あの笑顔。
つい可愛いと思ってしまった、彼の姿だった。
「……。……ユリム……、レイライト」
「呼んだ?」
「……ッ!?!?」
身体がビクリと跳ねて、反射的に窓を見る。
それは叫ばなかった自分を手放しに褒めたいくらいには、異次元の驚きだった。
「そ、そこまで驚くことかな?……なんかごめん」
落ち着いてその声を辿ると、窓辺からひょっこり顔を出すユリムが、困ったような表情を浮かべている。
別に彼が悪い訳では無いけれど、それでも恨み節を告げたくなる程には、絶望的なタイミングの悪さであったと思う。
結局のところ彼は、私の予想通りに窓から現れたが、しかし今のとんでもない驚き方を見せてしまった以上、「予想通りね」とは恥ずかしくて言えなかった。
そう言えれば少し大人に見て貰えるかな、と思っていたのに残念である。
「ルネス姫、僕も中に入っていい?」
「……ええ、勿論」
「ありがと……う、っと」
私の了承を得た彼は、慣れたように窓枠を越えて私の目の前に立った。
何故その行為に慣れを覚えているのだろう、と頬が強ばるのを感じるが、一々聞いていたらキリがなさそうだったので、私は気にしないことにする。
「……んー」
私の部屋に入ったユリムは、キョロキョロと周りを見渡し始めた。
確か式典の最中にも、同じように部屋中を眺めていたような気がするが、彼には入った部屋をじっくり見なければならない、なんて習性でもあるのだろうか。
正直なところ、落ち着かないからやめて欲しい、と私は思う。
「あの、ユリム・レイライト。私の部屋に、何かおかしなところでも……?」
「え、いや別に?綺麗な部屋だなーって。お城に入ってから、見たことないものばっかりでビックリしてるよ僕」
「あぁ……」
彼の好奇心の根源は、ただの物珍しさだったようだ。
言われてみればこの城の中には、外には無いような高価な物ばかりが並んでいる。
まぁ「外には無いような」と言っても、むしろ私は城の外にあるものを知らないので、お互い様のような気もしたが。
「それに、女の子の部屋に入るのも初めてだったからさ。やっぱり雰囲気が違うんだね」
「……ッ!」
いや待てよ、と。
ユリムの口から「女の子の部屋」という単語を聞いた瞬間、はっと私は気づいた。
今この場で起きていることの異常さに、気づいてしまったのだ。
なんと、私の部屋に、男の子がいる。
何を当たり前の話を、とも思うがそうじゃない。
だって同い年の男の子と、二人っきりで、こんな個室にいるのだぞ。
こ、これはダメだろう。ハレンチだ。
非日常の連続で麻痺していたが、いくら何でも今の状況はまずい。
なにせ部屋の灯りは消えていて、この部屋の中を照らすのは月と星の光だけである。
だからもしも今、この男の子に、突然ぎゅっとハグされても、私は何の抵抗も出来ないのだ。きっと、なされるがまま、になってしまう。
ど、どうしよう、手とか繋がれたら。
汗とかかいてないわよね……?
「ルネス姫?どうかしたの?」
「あっ、え?……な、なんでもない、わ」
しかし当のユリムには、気にした様子がなかった。
もしかして、緊張しているのは私だけ?
どうやらユリムは、男の子と女の子が二人っきりになるという状況が、どれだけ危ないのかを理解していないようだ。
まったく、これだからお子様は困る。
「ふ、ふん。私の方が大人みたいね」
「……え?うん、確かにルネス姫の方が、僕より少し大きいね」
そういう話ではないけれど、しかしユリムは子供だから仕方あるまい。
私は大人の余裕で、受け流すことにした。
「私のことはルネスと呼んで構わないわ。私と貴方の関係だもの」
すなわち勇者と姫、という関係。
これでまた、ユリムは私を大人だと認めてくれるだろう。
「え、もう友達になってくれるの?嬉しいなぁ、よろしくねルネス。頑張ってここまで登ってきた甲斐があったよ」
「友達?……えぇ、まぁ。そうね。よろしく、ユリム」
ふむ。婚約者候補と意識して貰うには、少し早すぎたかもしれない。
そもそもユリムの場合、婚約者という言葉を知っているのかも怪しかった。
「……それで、ユリム。何か私に用事があるのではなかったかしら」
「あ、そうだったね。ごめん、つい色々気になっちゃって、忘れてた」
私はユリムをリードするように、昼間の話を口にする。
確かお礼を言いたい、だったか。
私がユリムと出会うのは今日が初めてなので、何かをしてあげた覚えはないのだけれど。
なんの話しだろう、と私は頭を捻るが、やはり見当も――
「二年くらい前に、そこの窓から僕の魔物退治を見てたの覚えてる?」
「…………はい?」
――見当などつくはずもない、日付の出来事だった。
覚えているに決まっている。
それは私が初めてユリムを、
頭に浮かぶのは、その日の何に対してお礼を?とかそんな疑問ではなく。
そもそもどうしてその日に、私が見ていたことを知っている?という部分について。
「し、調べたの?私が見てたってことを」
「……何を言ってるの?」
恐る恐る問いかける私に対して、キョトンとしたユリム。
その質問の答えは――
「誰かに見られたら、分かるしょ」
「…………」
勇者らしい、返答だなと思った。
どれだけ距離があったか、彼は理解しているのだろうか。
私は集団が駆け抜けていたから、どうにか気づけただけである。
目を凝らしてもハッキリ見えなくて、双眼鏡を用いて覗いたのを覚えている。
それを、窓から顔を出しただけの私に、気づくなんて。
「……凄いのね。ユリムは今、何才?」
「もう少しで13になるよ。ルネスは?」
「半年くらい前に13才になったわ」
つまり彼は当時、10か11才だった。
それが訓練に触れる年齢でもない以上、ただ純粋な天賦の才だと言える。やはり勇者は生まれた時から勇者、ということなのだろう。
しかし、である。
あの日に私が見た才能は、個人技ではなく指揮にあった。子供の力だけで魔物を打ち倒しえる、指揮能力に。
だから彼を勇者とするのが本当に正しいのか、私には分からなかった。
「あの日以降、僕らの使ってた穴が塞がれてたんだけど、あれってルネスのお陰だよね?僕らのこと見てたの、ルネスだけだったし」
「……え?そ、そうよ」
私はユリムの声にはっとしながら、返事をする。
「やっぱり!すごく困ってたから、本当に助かったんだよ……っ」
「……?感謝をされる覚えはないけれど」
「いやいや、本当に助かったんだって。僕の友達がさ、魔物退治したい魔物退治したいって騒ぐの。僕は危ないからダメだって言うんだけど、誰も聞かなくてね?しかも僕が断ったら、僕に隠れてこっそり行っちゃいそうな勢いだったからさ……っ!」
「た、大変ね。それは」
「そうなの!絶っっ対にそのうち誰か死んでたから、ルネスは僕の友達の命の恩人!ありがとね!」
きっとユリムの指揮によって、あまりにも危なげなく魔物を倒せてしまうものだから、魔物の危険性を勘違いしたのだろう。
私はあの日の判断が間違いではなかったと知って、ほんの少し安心するのだった。命の恩人とまで言われると、流石にむず痒いけれど。
その後も私たちは、他愛もない雑談に花を咲かせた。
同い年の相手と話すのは初めての経験だったので、私にとっては貴重なひととき。
恥ずかしいから決して口にはしないが、彼と過ごした時間は、楽しいと言わざるを得なかった。
しかし、だからこそ終わりはあっという間に訪れる。
「そろそろ、部屋に戻らなきゃかな。僕が居ないことバレちゃいそう」
「……そう、よね。もう遅いものね。……ユリムは何処で寝ているの?」
「兵士の宿舎。前までは孤児院に居たんだけど、僕は勇者に選ばれたから、一年間はここで訓練するんだってさ」
「宿舎……」
私は窓から見ることの出来る、訓練場を思い出す。確かそのすぐ脇に、そんな建物があったような。
さり気なく飛び出た孤児院、という単語にも反応しそうになったが、今からその話を始めたら確実にユリムの迷惑になる、と思って我慢した。
「とにかく、ちゃんとお礼が言えて良かったよ。……じゃあね、ルネス」
ユリムは立ち上がって、窓の方へと歩き出す。
もうお別れなんだ、と悲しくなった。
このまま帰して良いのだろうか。
何か、言うべきなのではないか。
でも何を言うべきなのだろう。
また来て?
また会いたい?
またお話しましょう?
「……っ」
また、また、また、と繰り返される、口に出来ないセリフ達を見つけて、私はもっとユリムとお喋りしたいのだと気づいた。
何か言わなきゃと、焦る。
視界がぐるぐると回る。
そして、ユリムが窓を開けて――
「ま、待って!」
一瞬だけ堰を切ったように、叫んだ。
「どうしたの?」
「……あ、や……あの、えっと……」
一体何を、言えば。
言いたい言葉はあるけれど、言える言葉が一つもない。
恥ずかしい。私がこんな、恥ずかしがりだとは知らなかった。
「……ルネス?」
「あっ……その、……」
訝しげに私を見る、ユリム。
その手には、窓枠が掴まれていて、
「……ま、窓」
「窓?」
「……窓の鍵は……また、開けておくわ」
「……?どうして?」
「っ!」
どうしてって、この男は……っ!私がこんな必死に!
顔が火照るのが分かって、なんだか悔しくなる。
でも、この男がどうしようも無いくらいに鈍感なのは、もう分かっていた。
私は歯を食いしばり、下を向き、頑張って頑張って頑張ってもっと頑張る。
「ね、寝付けないとき、とか。訓練をサボりたいとき、とか。暇なときとか。……あ、あるでしょ。…………どうしてもっていうなら、……来てもいいわ」
流石にこれなら伝わるだろうと。
私はゆっくり、真っ赤に染まってるだろう顔を持ち上げる。
でもムカつくことに、アイツはまだキョトンとしてた。
「……そう?じゃあまた明日の夜に来るね。僕、一人だと寝付きがあんまり良くないみたいでさ。いつも大勢で寝てたからかなぁ……?」
「……っ!そ、それは仕方ないわね。仕方ないわ。貴方のために、鍵を開けておいてあげる」
「うん、ありがと。じゃあまた明日だね」
「え、ええ。……また、明日」
そして、ユリムは出ていった。
開かれた窓から風が吹き、いつも通りの夜になる。
静かで、暗くて、一人きりの、いつもの夜。
それを寂しいなんて思ったことは一度も無いが、ユリムが居なくなった瞬間、物足りなさを感じた。
「……でも、また明日。……ユリムが来る」
頑張った。ルネス、貴女は本当によく頑張ったわ。
私は人生で初めて、心の底から自分を褒めた。
恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかったけど、全く後悔は無かった。
私はベッドに飛び込み――
「ユリム、ユリム……っ」
――枕に顔を埋めて、足をバタバタと振り回す。
初めて出来たお友達だから、こんなに嬉しいのか。
それとも、これが本で読んだ好きという感情なのか。
分からない。初めてだらけで、何も分からない。
でも、少なくとも。
「ふふっ。早く、明日の夜にならないかしら……?」
今の私は、幸せだった。
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