第9話 『四年前』


 窓から見える景色が、ずっと眩しかった。

 部屋の外にすら出られない私――ルネスにとっては、窓から見えるものだけが世界の全てだったのだ。


 私の住む城よりも高い建物など何処にも無いから、覗ける範囲は果てしなく広い。

 無数の家々に、街を囲う城壁。その先には草原が広がり、地平線の少し前には森の入口も見える。


 行ってみたい場所は幾らでもあった。

 でも私の居場所はこの部屋だけだった。


 窓から身体を乗り出すと真下に見える、城内の訓練場すらも遥かに遠い。

 部屋に縛られた私にとっては、遥か森の入口も真下の訓練場も、等しく憧れを抱く場所。


「……私もそこに行きたい」


 誰にも聞こえない願いを、私は呟く。



 


 ある日、毎日夕方に行われる魔法の講義が、中止になった。どうやら私の先生が体調を崩したらしく、授業どころではないそうだ。


 突然生まれた自由時間。

 しかし空っぽな私には、特にやりたいこともない。


 部屋の中には、まだ読み終わっていない本は沢山ある。

 でもそれは読めと言われた本であり、私の読みたい本ではなかった。


 私は窓の外に目を向ける。

 それこそ見たい風景なんて無いけれど、ただ夕方の空というのは、私にとって新鮮だ。

 

 普段なら、魔法の勉強で全てが潰れる時間帯。

 赤色の空の下を見下ろす機会は、そう多くなかった。


 ふと、駆け抜ける影に気づく。


「……?子供の、集団かしら」


 遠目ではあるが、恐らく10人かそこら。

 一人の少年が、その集団を引っ張っていた。


 彼らの向かう先は、街と外を繋ぐ城壁である。

 門も何も無いその場所に、一体何があるのかは分からなかったが、私は静かに眺めていた。


「……えっ」

 

 すると彼らはなんと、城壁を抜けた。


 貧民街の家々が入り組んでいて、何が起きたのかまでは見えなかったが、とにかく彼らは草原に出たのだ。

 恐らくは、兵士の誰も気づかないような「穴」が、城壁にあったのだろう。


 私はお父様に伝えるべきか悩む。

 いつもの良い子の私であれば、すぐさまに伝えたのだろうが、しかし今の私はあの同年代の子供たちと、勝手に秘密を共有したような気分になっていたのだ。


 ドキドキと鳴る心臓に触れながら、口を開きっぱなしにして、私はその少年たちの冒険を見ることにした。


「あれは……剣?武器?」


 盗み見るようで申し訳なくはあったが、私は傍にある双眼鏡を掴んで、より詳しく様子を窺う。


 男女入り交じる彼らは、何かと戦うつもりなのだろうか。

 ナイフ、剣、棍棒。各々が何かしらを手にしている。


 街の外は危ないし、護身用として持つのは当然かもしれないが、しかし子供が扱うには身に余る道具。

 危険を理解しているなら、それこそどうして外に出るのか分からなかった。



 案の定、危機はすぐに現れた。

 彼らは一匹のゴブリンと出会う。


「ダ、ダメ……っ。危ないっ!」


 私は助けを求めるべく、慌てて部屋を出ようとした。

 魔物は子供が相手に出来る存在じゃない。

 

 例え大人でも逃げるのが正解なのだから、子供なんて何人居ようとあっという間に殺される。


 私は数秒後に生まれるだろう、一つ目の死体を幻視して――


「……?」


――しかし、様子がおかしいことに気づいた。


 彼らはゴブリンに襲われるどころか、襲いかかったのだ。

 武器を高らかに上げて、自分たちから距離を詰める。

 

「な、何よあれ……」


 明らかに、統制が取れていた。


 ゴブリンの視線、思考を読み取った先読みの攻撃。

 常に誰かが背後から、明確なスキに向けて武器を叩きつける。


 どう考えても、子供の遊びの範疇ではない。


「指示を出してるのは、あの男の子……?」


 先ほど先頭を駆け抜けていた少年が、常に最前線に立ちながら、笑顔で楽しそうに剣を振り回し、他の子供たちを動かしていた。

 声は聞こえなくても、指揮の中心がそこにあるのは一目で分かる。


「…………」


 きっと彼らにとっては、ただのヒーローごっこの延長なのだろう。

 冒険者や騎士に憧れて、オモチャを振り回したのが始まりに違いない。そこから悪役を決めて、騎士役を決めて、楽しく遊んでいる果てに、魔物退治に辿り着いたのだ。


 普通ならば有り得ない。

 親にバレて止められるか、或いは一度目で、後悔と共に死んでいく。


 ただあの集団の場合は、


「……リーダーが、優秀過ぎた」


 戦闘の訓練などしたことも無い子供を、どれだけ集めたところで、魔物を倒せる筈がない。

 ただその常識を、一人の少年が狂わせてしまった。


 しかも誰一人としてゴブリンを恐れていない様子から考えるに、彼らがこの遊びを行うのは一度目ではなく、そして誰一人として怪我を負ったことがないのだろう。


 あの歳の子供たちであれば、友人の血を一度でも見れば、それだけで怯えて動けなくなる。

 それなのにあの少年は、命懸けの魔物退治を「ただの遊び」にまで昇華させたのだ。


「指揮の、天才。……いつかは軍団長にでもなるのかしら」


 私は末恐ろしくも、数年後には人間族が勝利することを確信した。

 彼の指揮が、魔王を滅ぼすに足るだろうと。


「……あっ」


 気づくと彼らは、魔物退治に満足したのか来た道を戻っていた。夕方から日が暮れる少し前までの、ほんの短い時間が彼らの「遊び」のタイミングなのかもしれない。


 私は落ち着きつつある鼓動に触れながら、彼らから目を背ける。


「ごめんなさい……」


 彼らには申し訳ないが、あの穴のことはお父様に告げることに決めた。

 その遊びは、流石に危険すぎると思ったから。


 今は平気でも、何かの拍子に、取り返しのつかない事故が起こると断言出来た。


 命懸けだという自覚なく命を賭ける以上に、危険なことなどない。





☆彡 ☆彡 ☆彡





 広間に来いと、お父様に呼ばれた。

 何やら勇者の素質ある人間が見つかったらしく、その任命式を行うらしい。


 広間に着いた私は、国王用の椅子の横に置かれた、それよりもやや小さな椅子に座る。

 大勢の視線を受ける一身にその椅子は、私にとって心地よい場所ではなかったが、しかし物理的に心地よい椅子ではあったので、そんなに辛いとも思わなかった。

 ふわふわで気持ちいい。


『ユリム・レイライト。――――入れ』


 ふと、一人の兵士の声が聞こえてくる。


 ユリム・レイライト。聞いたことの無い名前である。

 勇者に選ばれるくらいだから、きっと有名な人物が現れると思っていたのだけれど。


 広間に入るための大扉が開かれ、一人の少年が入ってきた。

 柔らかい絨毯によって、彼の足音は最小限に抑えられるが、しかしあまりの静寂の故か、私の耳にはその音が届く。


 私は、静かに此方に近づいてくる彼を見て、


「……ッ!」


――大きく、目を見開いた。


 なぜならそこに居たのは、二年前に窓の外に見た、あの少年だったから。


 ユリム・レイライトは、ゆっくりと周囲を見渡しながら歩を進める。数多の兵を、飾られた絵画を、煌びやかな光源を、まるで私たち王家を見定めるように。


 私はユリム・レイライトの雰囲気に呑まれ、手に力が入るのを感じる。


 あれが、勇者。

 あの天才が、勇者だった。


「……ユリム。……ユリム・レイライト」


 呟きとも呼べない程の小さな声を、私は口の中に零す。


「……?」

 

 そして彼は、私と目が合った瞬間。

 ほんの少しだけ、目を丸くし。


 何故か、満面の無邪気な笑みを浮かべたのだ。





☆彡 ☆彡 ☆彡





 部屋に戻った私は、勇者ユリムのことで頭がいっぱいだった。

 

 彼がただ者ではないと分かっていたけれど、まさか勇者として現れるとは思わない。

 なにせ勇者といえば、魔王を倒し得る人類最強そのもの。

 偶然にしたって、そうそう起こる奇跡ではないだろう。


 流石に、私と同い年くらい――即ち13かそこらである彼が、現段階で最強ということはないだろうが、しかしそれに至る素質があると判断されたのだ。


 果てしない将来性である。

 

「……でも正直、あの笑顔からは想像が出来ないわ」


 今思い出してもあれは、無邪気としか表現出来ない――どちらかと言えば、それも可愛いの部類に入る笑顔だった。

 男の子に対して、可愛いなんて感情を持つのは失礼な気もするけれど、しかしカッコいいとは少し違うかなと思う。


「そもそも、どうして私を見て笑ったのかしら……?」


 ずっと鋭い瞳で周りを見つめていた癖に、私と目が合った途端にあんな表情をするなんて。


 私の顔に何かついていたのか、おかしな点でもあったのか――


「――も、もしかして……私の容姿が彼の好みだったとか」


 いやいや無い無いと私は首を振る。


 人と顔を合わす機会が極端に少ない私には、比較対象がほとんどなかった。

 私が人に好かれる容姿なのか、そうでないのかなど、推測することすら難しい。


 周りの従者は可愛い美しいと繰り返すけれど、彼女たちがそう言わねばならない立場に居るのは、誰に聞くでもなく明らかである。

 真に受ける気にはなれない。

 

「……ユリム、レイライト」

 

 それにしても、勇者は魔王を倒すと、私と結婚できる権利を得るらしいが、彼は一体どうするのだろう。

 魔王を倒した勇者となれば、どんな美女とでも婚約できるだろうから、私に価値なんて感じないだろうか。


 そうなると、突っぱねられるのが関の山だとは思うけれど、でももし彼が私と結婚すると言い出したのならば――


「……い、嫌では……ない?二年前に見たときは人気者って感じだったし、きっと悪い人ではない……はず」


 気にしても仕方の無い話だが。


 私はベッドに横になって、天井を見上げる。

 天井に描かれた複雑で綺麗な模様は、眺めていると何となく気が紛れた。


「……?」


――ふと部屋の外から、凄まじい足音が聞こえてくる。


 私は寝転んだまま、ちらりと扉へと目を向けた。


「……何かしら」


 まるで私の部屋に向けて、全力疾走をしているかのような音だが、まさかそんな可能性が有り得るのか。

 ここは王城で、まして私が居るのは最上の部屋である。

 数多の護衛を超えなければ、この部屋に辿り着くことなど叶わない。


 しかし足音が近づいてくるのは、確かな事実だった。

 私は起き上がり、唾を飲みながらその扉を見つめる。


 そして、ドドドドドド―――ッ、という音が止んだ瞬間――――



「やぁルネス姫。元気?」



――勇者ユリムが、私を閉じ込める扉を開けた。


 それが私たちの、最初の出会いだった。



 私を呼ぶ声が聞こえた瞬間、私はどんな顔をしていたのだろう。

 そのときの私の感情には多くの色が混じりすぎて、驚いたなんて言葉だけで表現するには到底足りなかった。


「……え、え?貴方、どうやってこの部屋に……?」


 そして、とりあえず絞り出た言葉がこの質問。

 もしかすると私は、感情を整理する為の情報と時間が欲しいと、無意識に願ったのかもしれない。


 そんな私を見たユリムは、こめかみを掻きながら、「何を当たり前のことを」なんて表情で口を開いて、


「どうやってって、そりゃ――」


『待て貴様!!いくら勇者といえど、姫様の部屋に立ち入ることなど許されんぞ!!』

『孤児風情が、この階層に足を踏み入れて無罪放免で済むと思うなよ……ッ!!』


「――逃げ回りながら。足の速さには自信があるんだ」


 唖然、という他なかった。


 勇者とはこれ程までに――というより、ユリムという少年の破天荒さに、私は言葉を失ったのだ。


「実は僕、ルネス姫にお礼を言いたくてさ」


「お、お礼?」


「うん。……でも今はゆっくり話してる余裕が無さそうだから、一つお願いだけしに来たの。――今日の夜、窓の鍵を開けといて貰えないかなって」


「……鍵を?意味が、分からないわ」


 私は眉を歪めながら、言葉が足りないことをユリムに伝える。

 なぜ窓の鍵を開ける必要があるのか、開けたとして何が起こるのかと、聞かねばならないことが多すぎた。


 しかし近衛兵たちの足音は既に近づいており、彼と悠長に話せる時間は無さそうだ。


「……ごめん、また後でね!」


 ユリムは申し訳なさげに苦笑いを浮かべると、私に手を振り、再び駆け抜けていった。


 嵐のような出来事。

 生まれて初めての頼まれごと。


「……。まぁ、……よく分からないけど、窓の鍵は開けておくわ」


 ユリムの姿はもう何処にも無いが、私は一人で返事を呟く。


 正直なところ、ワクワクして仕方がなかった。

 彼の頼みを断るには、今までの人生が退屈すぎたのだ。






☆彡 ☆彡 ☆彡






 日は沈み、空には星明かりが輝く。

 窓の外では灯りを洩らす家々と、ポツポツと道を照らす街灯が見えた。


 夜。


 ユリムの言っていた「夜」が、何時頃を指すのかは分からないが、しかし少なくとも今この瞬間が夜である、とはユリムの認識でも変わらないだろう、と私は思う。


 私は僅かに開けた窓を、ソワソワと見る。

 いつ何が起こるのかと、柔らかいベッドの上で足を抱えながら、じっと待っていた。


「こ、これで良いのよね……?窓の鍵は空いてるし」


 私の耳に残るのは、ユリムが最後に残した「また後でね」という一言だ。

 それはつまり、彼はまた私と会うつもりでいる、という意味に他ならない。


 私はてっきり、明日か明後日かにもう一度近衛兵たちとの鬼ごっこに挑む、という意味かと思ったが……しかし。

 

「まさか、窓から入ってくるとか……?」


 実際に開け放った窓を見ていると、そんな可能性すら思い浮かぶ。


 普通に考えれば不可能だ。

 この部屋が容易に登ってこれるような場所にあるのなら、とっくに私は攫われているはずだから。


「…………」


 そう理解しているにも関わらず、あの少年であればもしかして、という思考がチラついてしまう。

 その時点で私は、彼に毒されているのかもしれなかった。


 私は下を向き、溜め息を吐く。

 姫ともあろう者が、たった一人の少年に、ここまで振り回されているなんて、と情けなさを感じながら。


 脳裏に描くのは、あの笑顔。

 つい可愛いと思ってしまった、彼の姿だった。


「……。……ユリム……、レイライト」


「呼んだ?」


「……ッ!?!?」


 身体がビクリと跳ねて、反射的に窓を見る。

 それは叫ばなかった自分を手放しに褒めたいくらいには、異次元の驚きだった。


「そ、そこまで驚くことかな?……なんかごめん」


 落ち着いてその声を辿ると、窓辺からひょっこり顔を出すユリムが、困ったような表情を浮かべている。

 別に彼が悪い訳では無いけれど、それでも恨み節を告げたくなる程には、絶望的なタイミングの悪さであったと思う。


 結局のところ彼は、私の予想通りに窓から現れたが、しかし今のとんでもない驚き方を見せてしまった以上、「予想通りね」とは恥ずかしくて言えなかった。

 そう言えれば少し大人に見て貰えるかな、と思っていたのに残念である。


「ルネス姫、僕も中に入っていい?」


「……ええ、勿論」


「ありがと……う、っと」


 私の了承を得た彼は、慣れたように窓枠を越えて私の目の前に立った。

 何故その行為に慣れを覚えているのだろう、と頬が強ばるのを感じるが、一々聞いていたらキリがなさそうだったので、私は気にしないことにする。


「……んー」


 私の部屋に入ったユリムは、キョロキョロと周りを見渡し始めた。

 確か式典の最中にも、同じように部屋中を眺めていたような気がするが、彼には入った部屋をじっくり見なければならない、なんて習性でもあるのだろうか。


 正直なところ、落ち着かないからやめて欲しい、と私は思う。


「あの、ユリム・レイライト。私の部屋に、何かおかしなところでも……?」


「え、いや別に?綺麗な部屋だなーって。お城に入ってから、見たことないものばっかりでビックリしてるよ僕」


「あぁ……」


 彼の好奇心の根源は、ただの物珍しさだったようだ。

 言われてみればこの城の中には、外には無いような高価な物ばかりが並んでいる。


 まぁ「外には無いような」と言っても、むしろ私は城の外にあるものを知らないので、お互い様のような気もしたが。


「それに、女の子の部屋に入るのも初めてだったからさ。やっぱり雰囲気が違うんだね」


「……ッ!」


 いや待てよ、と。


 ユリムの口から「女の子の部屋」という単語を聞いた瞬間、はっと私は気づいた。

 今この場で起きていることの異常さに、気づいてしまったのだ。


 なんと、私の部屋に、男の子がいる。


 何を当たり前の話を、とも思うがそうじゃない。

 だって同い年の男の子と、二人っきりで、こんな個室にいるのだぞ。


 こ、これはダメだろう。ハレンチだ。

 

 非日常の連続で麻痺していたが、いくら何でも今の状況はまずい。

 なにせ部屋の灯りは消えていて、この部屋の中を照らすのは月と星の光だけである。

 

 だからもしも今、この男の子に、突然ぎゅっとハグされても、私は何の抵抗も出来ないのだ。きっと、なされるがまま、になってしまう。


 ど、どうしよう、手とか繋がれたら。

 汗とかかいてないわよね……?


「ルネス姫?どうかしたの?」

 

「あっ、え?……な、なんでもない、わ」


 しかし当のユリムには、気にした様子がなかった。

 

 もしかして、緊張しているのは私だけ?


 どうやらユリムは、男の子と女の子が二人っきりになるという状況が、どれだけ危ないのかを理解していないようだ。

 まったく、これだからお子様は困る。


「ふ、ふん。私の方が大人みたいね」


「……え?うん、確かにルネス姫の方が、僕より少し大きいね」


 そういう話ではないけれど、しかしユリムは子供だから仕方あるまい。

 私は大人の余裕で、受け流すことにした。


「私のことはルネスと呼んで構わないわ。私と貴方の関係だもの」


 すなわち勇者と姫、という関係。

 これでまた、ユリムは私を大人だと認めてくれるだろう。


「え、もう友達になってくれるの?嬉しいなぁ、よろしくねルネス。頑張ってここまで登ってきた甲斐があったよ」


「友達?……えぇ、まぁ。そうね。よろしく、ユリム」


 ふむ。婚約者候補と意識して貰うには、少し早すぎたかもしれない。

 そもそもユリムの場合、婚約者という言葉を知っているのかも怪しかった。


「……それで、ユリム。何か私に用事があるのではなかったかしら」


「あ、そうだったね。ごめん、つい色々気になっちゃって、忘れてた」


 私はユリムをリードするように、昼間の話を口にする。


 確かお礼を言いたい、だったか。

 私がユリムと出会うのは今日が初めてなので、何かをしてあげた覚えはないのだけれど。


 なんの話しだろう、と私は頭を捻るが、やはり見当も――


「二年くらい前に、そこの窓から僕の魔物退治を見てたの覚えてる?」


「…………はい?」


――見当などつくはずもない、日付の出来事だった。


 覚えているに決まっている。

 それは私が初めてユリムを、に見かけた日なのだから。


 頭に浮かぶのは、その日の何に対してお礼を?とかそんな疑問ではなく。

 そもそもどうしてその日に、私が見ていたことを知っている?という部分について。


「し、調べたの?私が見てたってことを」


「……何を言ってるの?」


 恐る恐る問いかける私に対して、キョトンとしたユリム。


 その質問の答えは――


「誰かに見られたら、分かるしょ」


「…………」


 勇者らしい、返答だなと思った。


 どれだけ距離があったか、彼は理解しているのだろうか。

 私は集団が駆け抜けていたから、どうにか気づけただけである。

 目を凝らしてもハッキリ見えなくて、双眼鏡を用いて覗いたのを覚えている。


 それを、窓から顔を出しただけの私に、気づくなんて。


「……凄いのね。ユリムは今、何才?」


「もう少しで13になるよ。ルネスは?」


「半年くらい前に13才になったわ」


 つまり彼は当時、10か11才だった。

 それが訓練に触れる年齢でもない以上、ただ純粋な天賦の才だと言える。やはり勇者は生まれた時から勇者、ということなのだろう。


 しかし、である。

 あの日に私が見た才能は、個人技ではなく指揮にあった。子供の力だけで魔物を打ち倒しえる、指揮能力に。


 だから彼を勇者とするのが本当に正しいのか、私には分からなかった。


「あの日以降、僕らの使ってた穴が塞がれてたんだけど、あれってルネスのお陰だよね?僕らのこと見てたの、ルネスだけだったし」


「……え?そ、そうよ」


 私はユリムの声にはっとしながら、返事をする。

 

「やっぱり!すごく困ってたから、本当に助かったんだよ……っ」


「……?感謝をされる覚えはないけれど」


「いやいや、本当に助かったんだって。僕の友達がさ、魔物退治したい魔物退治したいって騒ぐの。僕は危ないからダメだって言うんだけど、誰も聞かなくてね?しかも僕が断ったら、僕に隠れてこっそり行っちゃいそうな勢いだったからさ……っ!」


「た、大変ね。それは」


「そうなの!絶っっ対にそのうち誰か死んでたから、ルネスは僕の友達の命の恩人!ありがとね!」


 きっとユリムの指揮によって、あまりにも危なげなく魔物を倒せてしまうものだから、魔物の危険性を勘違いしたのだろう。


 私はあの日の判断が間違いではなかったと知って、ほんの少し安心するのだった。命の恩人とまで言われると、流石にむず痒いけれど。



 その後も私たちは、他愛もない雑談に花を咲かせた。

 同い年の相手と話すのは初めての経験だったので、私にとっては貴重なひととき。

 恥ずかしいから決して口にはしないが、彼と過ごした時間は、楽しいと言わざるを得なかった。


 しかし、だからこそ終わりはあっという間に訪れる。


「そろそろ、部屋に戻らなきゃかな。僕が居ないことバレちゃいそう」


「……そう、よね。もう遅いものね。……ユリムは何処で寝ているの?」


「兵士の宿舎。前までは孤児院に居たんだけど、僕は勇者に選ばれたから、一年間はここで訓練するんだってさ」


「宿舎……」


 私は窓から見ることの出来る、訓練場を思い出す。確かそのすぐ脇に、そんな建物があったような。


 さり気なく飛び出た孤児院、という単語にも反応しそうになったが、今からその話を始めたら確実にユリムの迷惑になる、と思って我慢した。


「とにかく、ちゃんとお礼が言えて良かったよ。……じゃあね、ルネス」


 ユリムは立ち上がって、窓の方へと歩き出す。

 もうお別れなんだ、と悲しくなった。


 このまま帰して良いのだろうか。

 何か、言うべきなのではないか。

 でも何を言うべきなのだろう。


 また来て?

 また会いたい?

 またお話しましょう?


「……っ」


 また、また、また、と繰り返される、口に出来ないセリフ達を見つけて、私はもっとユリムとお喋りしたいのだと気づいた。


 何か言わなきゃと、焦る。

 視界がぐるぐると回る。


 そして、ユリムが窓を開けて――


「ま、待って!」


 一瞬だけ堰を切ったように、叫んだ。


「どうしたの?」


「……あ、や……あの、えっと……」


 一体何を、言えば。


 言いたい言葉はあるけれど、言える言葉が一つもない。

 恥ずかしい。私がこんな、恥ずかしがりだとは知らなかった。


「……ルネス?」


「あっ……その、……」


 訝しげに私を見る、ユリム。

 その手には、窓枠が掴まれていて、


「……ま、窓」


「窓?」


「……窓の鍵は……また、開けておくわ」


「……?どうして?」


「っ!」


 どうしてって、この男は……っ!私がこんな必死に!

 顔が火照るのが分かって、なんだか悔しくなる。

 でも、この男がどうしようも無いくらいに鈍感なのは、もう分かっていた。

 

 私は歯を食いしばり、下を向き、頑張って頑張って頑張ってもっと頑張る。


「ね、寝付けないとき、とか。訓練をサボりたいとき、とか。暇なときとか。……あ、あるでしょ。…………どうしてもっていうなら、……来てもいいわ」


 流石にこれなら伝わるだろうと。

 私はゆっくり、真っ赤に染まってるだろう顔を持ち上げる。


 でもムカつくことに、アイツはまだキョトンとしてた。


「……そう?じゃあまた明日の夜に来るね。僕、一人だと寝付きがあんまり良くないみたいでさ。いつも大勢で寝てたからかなぁ……?」


「……っ!そ、それは仕方ないわね。仕方ないわ。貴方のために、鍵を開けておいてあげる」


「うん、ありがと。じゃあまた明日だね」


「え、ええ。……また、明日」


 そして、ユリムは出ていった。


 開かれた窓から風が吹き、いつも通りの夜になる。

 静かで、暗くて、一人きりの、いつもの夜。


 それを寂しいなんて思ったことは一度も無いが、ユリムが居なくなった瞬間、物足りなさを感じた。


「……でも、また明日。……ユリムが来る」


 頑張った。ルネス、貴女は本当によく頑張ったわ。


 私は人生で初めて、心の底から自分を褒めた。

 恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかったけど、全く後悔は無かった。


 私はベッドに飛び込み――


「ユリム、ユリム……っ」


――枕に顔を埋めて、足をバタバタと振り回す。


 初めて出来たお友達だから、こんなに嬉しいのか。

 それとも、これが本で読んだ好きという感情なのか。


 分からない。初めてだらけで、何も分からない。


 でも、少なくとも。


「ふふっ。早く、明日の夜にならないかしら……?」


 今の私は、幸せだった。

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