第2話 一日目 - 2


 そしてそのまま一分ほどスタコラと歩くと、僕はルーナの言っていた場所へと着く。

 B棟地下牢の最奥、姫の捕らえられている牢屋だ。

 

 僕が旅に出てから死ぬまでの二年間と、魔族として過ごした一年が、そのまま彼女と会えなかった期間。

 つまり僕らは約三年越しの再会となる。


 とはいえ僕の姿は変わってしまったし、彼女が再会と感じることはないだろうけれど。


 牢の中を覗き見ると、姫は膝を抱えてうずくまっていた。

 絹のようだった赤色の髪は荒れ、手足は痩せ細り、僕の記憶にある姫とは似ても似つかない。この三年間で何があったのだろうか、と不思議に思う。

 

 勇者の頃は彼女をルネスと呼び捨てにしていたが、流石に今の姿でそう呼ぶ訳にもいかない。

 今の僕は前世である勇者ユリムの頃とは、全く違う顔を構えているのだから。


「やぁルネス姫。元気?」


 僕は姫、もといルネスに声をかけた。


「ユリム!?」


「違いますよ?」


 なぜ分かったお前。

 

 なんとルネスは僕の声を聞いた瞬間、がばりと顔を上げて、僕の方へと転がり込んだのだ。


「……あ、あれ?……違う。だ、誰よアンタ」


 しかしルネスは僕の顔を見て、すぐに勘違いだと気づく。

 声も含めて何から何まで別人の僕ユーリシュを、一体何をもってユリムと見抜いたのか甚だ恐ろしいが、とりあえず秒殺身バレの危機は回避したらしい。


 僕は少しでもユリムのイメージから遠のくべく、仰々しいポーズと共に名乗りを上げる。


「僕は四天王の一人、ユーリシュ。めっちゃ足速いよ。宜しくね?」


「ユーリシュ?……なんで私は、こんなのとユリムを……?」


 こんなのってなんだよ失礼極まりないな。

 僕以外の四天王にそれ言ってたら、ワンチャン殺されてたぞルネス。


「い、いや、それより貴方。ユリ……勇者について、何か知っていたら教えなさい」


「……勇者?」


 僕は首を傾げてルネスを見つめた。

 じっくりと顔を合わせたせいで、痩せ細ってはいるけど相変わらず可愛いなー、なんて余計な思考が混じるが、僕はこめかみを指で叩いて排除する。


 僕が首を傾げた理由は二つ。

 

 一つは、未だに人間側が勇者ユリムの死を確認できていない、という可能性が現れたから。

 もう一つは、ルネスが僕を気にする理由が分からなかったから。


「どうしてそんなこと聞くの?」


「質問してるのは私よ」


「質問出来る立場だっけ?僕は君のことなんて相手にせずに、部屋に帰ってもいいんだ」


「……っ!」


 少し意地悪だったかな、とも思うが、今の僕は彼女とは相反する存在である。

 魔族である僕が、一国の姫を相手に警戒を解くことは許されなかった。


 ルネスは俯きながら、ポツリと言葉を洩らす。


「……ずっと、情報が来ないの」


「情報?」


「そう。……勇者がどこに居るのかなんて、少し調べれば簡単に分かる筈なのよ。なのに一年くらい前から、居場所が全く伝わってこない」


 そりゃ死んでるしね。

 人知れず、死体も残さず死んじゃったからさ。


「……だから、不安で不安で。皆は興味も無さそうだったけど、私は、私だけはずっと、一人で探してた」


「もう死んじゃった、とかは考えないの?」


「…………やめて」


 分からない。

 これじゃまるで、ルネスが僕を心配してるみたいじゃないか。


 勇者ユリムは、誰にとってもそこにいるのが当たり前で、助けに来るのも当たり前で、人間に尽くすのも何もかも、全部が全部当たり前の、ただの空気みたいな存在だった筈だ。

 僕が死んでも悲しむ人なんて一人もいなくて、ただ役立たずと罵られる運命だけが転がっていた筈だ。


 そしてルネスも、僕をそう扱ってると思っていた。


 なのに何故そんな、ユリムの死を受け入れたくない、みたいな顔をしているんだ。


「要領を得ないね。……それで結局、どうして勇者のことを調べているのかが伝わってこない」


「……はっ、貴方ってユリムみたいに察しが悪いのね」


「それホントやめて貰える?」


 今の僕の見た目にそんなにユリム要素残ってたっけ。

 残ってないよな。今の方がイケメンだし。


 ルネスは僕を睨みつけながら、告げる。


「……ユリムが好きだからに、決まってるじゃない。好きだから心配だし、好きだから探してるの。……好きだから、死んでいて欲しくない。何かおかしい?」


「おかしいでしょ」


「おかしくないわブッ殺すわよ」


「いやごめんそうじゃなくて」


 僕が咄嗟におかしいと言ってしまったのは、ルネスが僕を好いている、ということ自体に対してだ。


 だっておかしいでしょ。

 僕に対して、あんなに嫌いだとか近づくなとか言っておきながら、実は好きでしたなんて意味が分からない。

 

「ねぇ、勇者はそれ知ってるの?自分がルネス姫に好かれてるってこと」


「どうして貴方にそんなこと教えなきゃならないのよ」


「ホントにその通りなんだけどね。どうか教えて欲しい」


 ユリムとしてもユーリシュとしても、この質問を投げかけることが頭悪いのは百も承知。

 ただルネスがどう判断していたのかを知りたかった。

 

「そりゃ知って……る、のかしら。今思えば、私ったら恥ずかしいくらいに典型的なツンデレムーブしてたし、普通の人間なら気づくと思うけど……、でもユリムだし」


「そうだよね、ユリムだもんね……」


「ユリムの何よアンタ」


 ユリムそのものです、なんて言える訳もなく。

 取り敢えず謝って、その場は誤魔化すことにした。


「……というかさ、もしかしてルネス姫、勇者のことを調べる為だけに魔王城まで突っ込んで来たの?」

 

「流石にそこまでの無茶はしないわ。……勝手にお城を抜け出して、あちこちを調べ回ってたら捕まっただけよ」


「十分無茶だとは思うけどね」


 そもそもあの城を抜け出すって、かなり大変だったろうに。


「あ、やっと納得できた。お姫様なのにそんなに痩せてるから、ずっと不思議に思ってたんだ。お城の外で無茶な生活をしてたんだね」


「……いや、これは……その、城に居た時からよ。ユリムのことが心配で、食事が喉を通らなくて……」


 やめろよキュン死しちゃうだろうが。

 てか、どんだけ好きなんだよ僕のこと。


 ちくしょう。

 もっと早く教えてくれれば、勇者なんてゴミロール投げ捨てて、一緒に幸せになってたのに。

 いや気づかなかった僕が悪いのか。


「……それより、そろそろ教えなさいよ。ユリムについて、知ってること」


――まぁ残念ながら、もう何もかも手遅れなのだけれど。


 ルネスとそういう関係になるチャンスは、とっくの昔に終わっているんだ。


 なんたってユリムは、一年前に死んだのだから。


「……姫様。すごーく言いづらいんだけどさ」


 正直なところ、僕は他人の感情に無頓着だ。


 勇者として過ごし始めたときから、誰に何を思われてるかなんてどうでも良くなり、好意も悪意も気にしなくなった。


 ”どうせ煙たがられる”。

 ”どうせ嫌われている”。


 そう決めつけるのが、何よりも楽。

 好意の存在に目を凝らすには、僕の周りにはそれが枯れすぎていた。

 実際のところは嫌われていた訳では無く、”便利な奴”くらいが正解なんだけれど、それを受け入れる方が辛かった。


 だからこそ、「ユリムが死んだことを伝えたら、ルネスは悲しむんだろうな」なんて推測が脳裏を過ぎったことすら、僕にとっては新鮮だった。

 

「……君の探してる、勇者ユリムは」

「あ、待って。やっぱり言わなくて良いわ。こういうのって自分の手で調べるべきだと思うの。ちゃんと証拠と根拠を持って、追跡しきってこそユリムへの愛が証明出来るってものよ」


 僕の言葉に、被せるようにして口早に語る。


 そのルネスの様子を見て、僕は息が詰まるような感覚を覚えた。

 彼女は凛とした瞳で堂々と僕を見つめてはいるが、それは明らかに虚勢だった。


 現実逃避。


「大体、魔族の言葉なんて信じられないわ。嘘で私を騙す可能性の方が高いじゃない」


 受け入れられないんだ。


 きっとルネスは、既にユリムの死に気づいている。

 でも認めたがらない。


――そこまで、僕を?


 演技には見えなかった。


 なんで、今さら。

 そんなのダメだろ。


 どうしてそんな、どうしようも無くなってから、僕が見落とした物を見せつけようとする。


 辛い。助けた村人に石を投げつけられたときよりも、遥かに心が苦しかった。

 迷う。手に持って振り被った言葉の刃を、どうして良いのか分からなくなった。


 僕はこの子の為に、この事実をどこに隠そうかと、一瞬悩んで――





「勇者ユリムはもう死んだよ」


――そのまま、伝えた。


 君は前に進まなきゃダメだ、と思ったから。

 ルネスの声を貫き刺した。


 ほんの一瞬、静寂が満ちる。

 僕とルネスの瞳が交差したまま、静かに過ぎる空白を経て、


「だから魔族の言葉なんて信じないって。貴方、私の話聞いてたの?」


「……。そっか」


 何も言い返さずに、ただ微笑むことにする。


 他人事じゃない他人事だから、他ならぬ彼女が一番理解しているのだと理解できた。


「もう貴方に用は無いから、帰ってもいいわよ。それとも貴方が私に用があるの?拷問でもするなら、早く済ませて欲しいのだけど」


「いや、そんな命令は受けてないよ。……うん、そろそろ僕は部屋に戻ろうかな」


 相変わらず気が強い性格してるなぁ、と思いながら、僕はルネスに背を向ける。いつもの癖で軽く手を振って、そのまま出口の方へと視線を変えた。


 たった今、仕事が少し増えたから、普段よりも頑張らねばならない。

 僕の思考は既に、先へ先へと急いでいた。


「……ユーリシュ、だっけ?」

 

「ん?」


 しかしルネスに呼びかけられて、僕はちらりと振り返る。

 

「……暇なとき、ここに来ても良いわ。魔族の中では、話し相手としてマシな方みたい」


「僕ってばそんな面白い話したかな」


「全然。……ただ、なんとなくよ」


「ふーん」


 急な言葉に驚かされるが、先を見れば都合は良い。

 それによって動きやすくなるのも、間違いなかった。


「…………」

 

 僕は出口へ向かって歩き出す。


 靴と地面とが大きな音を鳴らすせいで、僕の居場所は明白だった。

 地下であるために、とにかく音が響くのだ。足音も声も、反響して反響して遥か遠くまで届いてしまう。


 コツ、コツと。


 きっとルネスにも、僕の足音は聞こえているのだろう。


――――。


 僕は出口に着いて、重い鋼鉄の扉に手をかけた。

 ギィ、と大きな立てながら、その扉を開く。



 そして、その扉を


 

 再びゆっくりと、ガコンッ、と音を立てて扉を閉じた。


「…………」


 僕は扉を背もたれにして、静かにしゃがみ込む。


 別に大したことはしていない。

 出ていくフリをしただけだ。

 これでルネスは、一人になった。


 静寂、の直後。






『―――――――ッッッ!!!!!』

 

 ルネスの泣き叫ぶ声が、聞こえてきた。

 意味をなさない悲痛の呻きが、僕のもとまで僅かに届いた。

 

 僕の名前が。

 僕に向けられた言葉が。

 好きだ嫌いだどうして死んだ誰が殺した、と。


 喉を切り裂かんばかりに、血を吐くほどに、濁点の消えぬ咆哮が響く。


「……ルネス」


 僕はその叫びを、鼓膜の底に焼き付ける。

 決して忘れることがないように。


 勇者の頃には気づけなかった、僕が唯一持っていた、「守るべき人」の存在。

 僕を大事に思ってくれる、守なきゃいけない人。


「……ごめんね、ルネス」


 そんな人を、残して死んだことを懺悔しよう。

 軽い気持ちで死を受け入れた己を断じよう。


 だから、


「今度こそ、君のことを守る」


 誓う。


 前世で果たせなかった、未練とも気づけなかった未練を、全力で果たす為の誓い。





――僕は魔王城に囚われたルネスを、命を懸けて助け出す。

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