鏡の向こうのカノジョ


 真夜ちゃんの部屋のベッドの引き出しには開封済みの避妊具が入っていた。

 そして三面鏡のドレッサーの引き出しの中にはなにかの薬があって、ネットで薬名を調べたら緊急避妊薬だった。財布の中に産婦人科の診察券があったので、つまり…そういうことなのだろう。


 それを見た私は引きつった声を漏らしてしまった。今までそんな物に縁がなかったので恐怖を抱いてしまった。

 ──私と真夜ちゃん、ふたりの違いをむざむざと見せつけられた気がした。



 真夜ちゃんの親はお互いに不倫をしていて、娘に無関心だ。それでも娘が問題を起こしたらやっぱり口を出してくるものらしい。


「喧嘩したんですってね、学校から電話がかかってきたわよ」


 私のお母さんと顔のベースは同じなんだけど、こちらは美容に力を入れている為、雰囲気も相まって別人に見える。

 気取ったような話し方で注意された私はどこか他人事のようにそれを聞いていた。ここにいるのは真夜ちゃんの母親なだけで、私のお母さんじゃないと区別がついたからであろう。


「困るのよ、問題を起こされると」


 先日学校で真夜ちゃんフレンドと殴り合いの喧嘩をした件を学校がこの人に連絡したらしい。

 無関心な親もこういう時は注意してくるんだね、ただし娘を心配するのではなく、迷惑掛けるなと自分の心配をしているっぽいけど。


「すみません」


 確かに暴力は良くないな。とりあえず謝っておく。すると目の前の人はこれ見よがしにため息を吐き出した。


「私はまた出かけるけど、お金は足りてるわね?」

「十分なほどに」


 真夜ちゃんのお小遣いは全然足りてるよ。むしろ今までなんでこんなに与えていたの? ってくらいある。

 最初の頃は散財して欲しいものを買っていたけど、今では食費と生活費とちょっとした雑貨を買う程度にしか使っていない。

 真夜ちゃんは欲しい物を何でも手に入れていた。部屋にはたくさんのブランド品、流行の洋服、コスメと物にあふれていた。

 今になると、それは心の寂しさを埋めるためだったのかもしれない。私は長いこと友達だったのに、真夜ちゃんの表の部分しか知らないのだ。鏡の中の彼女しか知らなかった。




「真夜のことなぁ…学年が違うし……男遊びが激しいのは噂で流れてきたけどな」

「そっかぁ…」


 望に真夜ちゃんについて知っていることはないか訪ねてみたが、予想通りの返答しか返ってこなかった。

 この世界での真夜ちゃんの評判はすべて私に降り掛かってきた。今となっては仕方ない。入れ替わりを望んだのは私なので、そういう目で見られても我慢するしか無いのだ。

 さり気なく真夜ちゃんフレンドに聞き込みをしてみたが、「あんたどうしたの?」って胡乱な目で見られてしまったので、彼女たちからの情報収集は無理そうだ。


「…知ってどうするんだ?」


 望は微妙な顔で私を見下ろしていたので、私はえへへ、と曖昧な笑いでごまかしたのである。




 真夜ちゃんの財布やスマホの中身を参考にして、私は彼女がよく通っていた場所へと足を運んでいった。

 まず真夜ちゃんが好きなブランド品を取り扱っている店を見に行くと、顔見知りらしい店員に声を掛けられた。新色やら入荷したての商品をすすめられたが、どれも私の趣味ではない。私と真夜ちゃんは趣味も正反対なのだ。

 適当に理由をつけると私は店を後にした。


 お次に財布の中に入っていた擦り切れたメンバーカードのお店に行くと、そこはクラブみたいな場所だった。カードを提示したら普通に入場できたが、真夜ちゃん…未成年なのにこんなお店に来てたの!?

 店内は薄暗く、あちこちから光が飛び交っている。周りからお酒と煙草と……なんか嗅いだことのない変な匂いも漂っている。

 完全に場違いな世界に足を踏み入れてしまったのだ。ちょっとまずいな、と思った私は退店しようと踵を返した。


「真夜じゃん、ひさしぶり!」


 しかし足止めを食らった。

 私の前を阻んできたのは見知らぬ男。多分20代の社会人っぽい。真夜ちゃんの知り合いみたいだ。


「最近顔見せないから心配してたんだよ? 連絡にも出ないし」

「はは…すいません…」


 私、真夜ちゃんじゃないから……という言い訳をしても無駄だろうな。

 大きな音楽が流れる狭い空間。踊る人たちを避けながら会話をするとなると自然と密着するものなのだろうか。……距離が近いと思います。

 私はさり気なく距離を置こうとするのだが、相手はお構いなしに私の肩に腕を回して引き寄せてくるのだ。

 クサッ、お酒とかタバコ臭いなこの人。


 うわぁ嫌だなぁと思いつつ、なんとかこの場を流して脱出を図ろうと出口をチラチラ見ていたのだが、相手は私の腰に手を回し、するりとお尻を撫で回してきた。


「ねぇ、久しぶりに…いいだろ?」

「ひっ…!」


 何が!? 何この人ナチュラルに痴漢行為働いてきたんだけど!

 お尻を撫でる手は止めずに、顔を近づけてくる見知らぬ男性。気持ち悪いし臭いし、怖いしで私は身体が固まっていた。


「おい! こいつから手を離せ!」


 私のお尻を撫でていた不埒な手は誰かに寄って取り払われた。


「イテッなんだよお前!」

「ひなた! 行くぞ!」


 何故かそこには望の姿があった。

 彼は恐怖で石化している私の手を掴むと力強く引っ張ってきた。勢い余って彼の胸に飛び込む形になる。

 望は何も言わずにそのまま引っ張ってきた。人混みをかき分けてホールを突っ切ると、出口まで私を誘導してくれた。


「馬鹿! ここはお前みたいなのが来る店じゃない!」


 店の外に出ると私は望に叱られた。私はギュッと萎縮するが、両手を握りしめて堪えた。

 私は遊びに来たんじゃない。元の世界に戻るために探っていたんだ。


「だって私、真夜ちゃんのことを知りたくて」


 まさかあんな事されるとは思わなかったけど。真夜ちゃんのことを知れば知るほど遠くなっていく。

 目の前に望がいた事で私の緊張は解け、ブワッと目からボロボロ涙が溢れてきた。


「あれ、おかしいな…」


 何故涙が出るんだろう。

 望が助けてくれたおかげで無事だったんだ。なのに何故……

 涙で視界が歪んで見えていたが、フッと歪んだ視界が真っ暗に変わった。


「…わかったろ、ああいう場所にお前みたいなのが行くと、ひどい目に遭うんだって」


 望は私をそっと抱きしめて頭を撫でてきた。あたたかい胸に包まれた私はますます涙を流してしまった。


 あぁそうか、私は怖かったんだ。

 あの男の人が怖かったってのもあるけど、真夜ちゃんが余計にわからなくなって怖くなった。

 行きずりの男と真夜ちゃんは男女の関係に陥っていたのだろう。

 そこに心なんて無い。相手の男も真夜ちゃんの身体にしか興味ない。そんな空虚な関係、虚しいだけなのになんで自分を安売りしようとするんだ。何故なんだとここにはいない真夜ちゃんに問いかけたかった。


 私は別に綺麗事をのたまっているわけじゃない。こんな事を繰り返す度に真夜ちゃんは傷ついていっているのに、どうして自分を傷つける真似をするのか。

 私は友達が傷ついて堕ちていく姿なんか見たくない。


 なのに彼女は鏡の向こうにいる。私の声は彼女には届かない。

 私と彼女は正反対だからきっと理解されないんだ。



■□■



 泣きすぎてぼうっとする頭のまま、私は公園のベンチでドーナツをもさもさと食べていた。目が腫れ上がって痛い。またもやドーナツをおごってくれた望は何も言わずに隣に座ってくれている。

 彼はあのお店にたまに遊びにいくらしい。そこで男遊びしている真夜ちゃんを何度か見かけたそうだが、会話はしたことないと言っていた。今日はたまたま顔を出してみれば、男に絡まれている私を見つけて救出してくれたのだと言う。


 私は食べ終わったドーナツの袋をグシャリと握りしめると、空を見上げてため息を吐いた。


「……私、真夜ちゃんのことよくわかってなかった」


 私のボヤキに反応した望がこちらを見た気配がしたが、私は夜空に輝く星々から目をそらさなかった。


「ずっと…真夜ちゃんはお金持ちでいいなって羨ましがるだけで、彼女の本質を知ろうとしなかった」


 彼女の上辺しか理解していなかった。

 友達なのに、私は全く彼女を理解できていなかった。


「……そりゃあ、よく見せようといい事しか話さなかっただろうからな」

「そんなものなの?」


 望の返答に私が眉間をシワを寄せると、なぜだか望は苦笑いを浮かべていた。

 ……私はどちらかといえば自分の恵まれていない環境を嘆くタイプだったので、そんな部分も真夜ちゃんと正反対だったのだろうか。


「真夜ちゃんは寂しかったのかな」


 スマホには次から次に知らない男の人から連絡が来る。あの男の人以外の不特定多数の男の人と遊んでたみたいだし。

 ……身体を求められることが、愛されていることと錯覚してしまっているのだろうか。


「望も遊んでるの?」


 派手なお店に通うくらいだ。望も出会いを求めて遊んでいるのだろうかという素朴な疑問を投げかけると、望は「まぁ、男だから誘われたら…」とゴニョゴニョとなにか言いにくそうに言葉を濁していた。


「遊んだら、寂しさは紛れる?」


 望が真夜ちゃんと同じなら、彼女の気持ちを理解できるかもしれない。望ならなんだかんだで本心を教えてくれるかもと思って尋ねたのだが、その問いに望は真顔になった。

 その真剣な瞳を直視した私はドキッとする。


「…男と女は違うからな。女は体に負担くるし、ひどい目に合う可能性もある」


 どこか気まずそうな顔をして返された言葉はどこかに優しさがあった。望はきっと女性には優しく接してるんだろうなぁ。

 この場合遊び相手が対象だけど。


「俺がどうこう言える立場じゃないけど…お前は真似すんなよ」

「まるで説得力がない」

「それを言うな」


 びっくりするほど説得力がないね!

 でも望は誘われたらお相手するだけみたいに言い訳していたし、私はこれまで何度も助けてもらったので追及はしないでおくよ。


 頭をワシワシ掻きむしってなにやら唸り声を上げている望。きっと言いにくいことを正直に話してくれたんだろうなぁ。

 素行は良くないけど、根っこの部分はやっぱり優しい。


「私は好きな人じゃなきゃ嫌だから、心配しなくても大丈夫」


 どんなに寂しくても、私はどうでもいい男の人に身体を許さない。それで周りに経験ないことを遅れてると笑われても全然構わないんだ。


「好きなやつ、いるのか?」


 望から飛んできた疑問に私は口ごもった。


「おこちゃまだって笑いたいんでしょ。夢見すぎて悪かったね」


 別に王子様に夢を見ているわけじゃなくて……一応、元の世界に気になる人は、いるかな……

 確か、通学で使っているバスの中でいつも同じ時間に乗り込んでくるあの人。同じ高校の人なんだ。

 脳裏にバスの中で遭遇する男の子の姿が蘇る。だけどそれは後ろ姿ばかり。話したこともない。カッコいいなって薄っすら憧れを抱くだけの相手だった。彼の顔も覚えているはずだったのに……

 あの人は、誰だったっけ?


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