ワタシの好きなヒト


「もう一度、真夜ちゃんと向き合ってみようと思う」


 真夜ちゃんを知ろうと思ったけど、余計に彼女が遠い存在に感じてしまって何をやっても無駄な気がしてきた。彼女を理解するどころか、逆の方向に進んでしまっているのだ。

 こうなったら彼女と話をするしか手段がないと感じた。


 確かに私は真夜ちゃんとの入れ替わりを望んだ。だけどいつまでも私がここにいるわけにはいかない。

 私は真夜ちゃんを羨んでばかりで真実を見れていなかった。


「ちゃんと現実と向き合おうと思う」


 私の決意を話すと、彼は目を細めていた。


「お前、表情が変わったな」

「…え?」

「お前ならもう大丈夫だ」


 そう言って微笑んだ顔はとても優しく、私は胸がきゅうと苦しくなった気がした。

 元の世界に戻れば、望ともお別れ。

 この世界への未練はそれだけだった。


 思い立ったら行動だ。

 その日の夜、私は真夜ちゃんの部屋にある三面鏡の前に座って深呼吸を繰り返していた。

 真夜ちゃんが何を考えているのかわからない状況。もしかしたら私の世界を気に入った真夜ちゃんが私のポジションを乗っ取る可能性もあった。だけど彼女と意思伝達できるのはこの鏡だけ。やってみるしかない。

 私は膝の上でぐっと拳を握りしめた。


 もしもの為に同席すると言ってくれた望は三面鏡の死角に入って監視していた。私は彼とアイコンタクトをはかると意を決して鏡の扉を開いた。

 鏡をじっと見つめていたら、徐々に鏡の中に私の顔と同じ顔をした鏡の向こうの友達が現れた。

 彼女はなんだか不機嫌そうに顔を歪めていた。まるで向こうの世界で不満ばかり訴えていた頃の私のような表情で。


「ま、真夜ちゃん…」

『…あんたの母親に“あんたは本当にひなたなの?”って聞かれたわ』


 開口一番のその言葉に私は目を丸くする。

 私の心の中に湧いてきたのは、お母さんが異変に気づいてくれたことに対する喜びだ。だけど苛ついている真夜ちゃんを前に喜ぶことは流石にしない。平静を装って黙って彼女の話を聞いていた。


『しかも何? お小遣い3千円って! 今時小学生でももっと貰ってるでしょ!』

「お金が欲しいなら、バイトしろってのがうちの家訓で……でも食費とか遊びに行ったときの交通費、必要な生活雑貨・衣類品の費用は前もってお願いしたら出してくれるし…」


 私のお小遣いの低さは確かに気になってはいた。それについて親に不満をぶちまけていたこともあるが、うちは真夜ちゃん家のように裕福じゃないので仕方ないのだ。

 今思えば両親は一生懸命に働いてくれている。お父さんは前の会社が倒産になって、ようやく見つかった再就職先で頑張ってる。お母さんはそれを支えるためにパートを頑張ってる。私は両親に甘えっきりだったけど、結構なわがままを言ってきたのだと今は反省している。


『しかも門限20時! 馬鹿じゃないの!?』

「以前うちの近くで痴漢が勃発したから、あまり遅くまでうろつくなってお母さんが心配してるの…」


 外で遊ぶにしても、私の友達もそんな遅くまで遊ぶタイプじゃないもん。

 学校行事や塾で遅くなるとかそういう正当な理由がなければ、夜が深くなる前に帰宅する。それは娘を心配する親の気持ちだ。子どもを縛り付けるためじゃない。

 …真夜ちゃんの親が放任主義すぎるんだよ。


『スマホ利用制限されてて遊べないし!』

「フィルタリングだよね? お母さんが危ないからって…でも、友達とはやりとりできるし問題ないよ!」


 あくまでアダルトサイトだったり、そういう怪しい相手とやり取りできないように制限されているだけだ。これも意地悪じゃない。私を守ろうと制限してくれていたのだって今ならわかる。

 じゃんじゃか知らない男の人から連絡が入ってくる真夜ちゃんのスマホは持っているだけで怖くて、最近は家に置きっぱなしになっているくらいである。


『言動が違うってあんたの友達に気味悪がられて、最近避けられてるのよね。……こんな息苦しい世界だとは思わなかったわ。あんたが嫌がってた理由がよくわかる』


 真夜ちゃんに否定されて私はカッとなった。私の大切な人たちを貶されたくなかったのだ。


「そんなことないよ! 皆のこと悪く言わないでよ!」

『なによ、ずっと文句言ってたじゃない。あんたが言っていたことと同じこと言ってんのよ!』


 確かに以前の私は不満ばかりだった。

 いいところを見ずに悪い部分ばかり見て、不満ばかり漏らしていた。真夜ちゃんはきっとそんな私に苛ついていただろうね。私だってそんな自分が恥ずかしい。


「真夜ちゃんだって! なんで自分を大事にしないの! あんな軽そうな男の人達と遊んでも、真夜ちゃんの心は満たされない、むしろ身体が傷つくだけなのにどうして自分を大切にしないの!?」

『うるさいわね! 男の味も知らないおこちゃまが偉そうに綺麗事言わないでよ!』


 またそれ!

 真夜ちゃんも真夜ちゃんフレンズも男が全てみたいな発言ばっか! 確かに彼氏は大事だろう。だけどあんたたちはそこに心がこもってない。経験人数が多いことで自分が魅力あるメスだと誇っているだけだ。

 だからってなんだというのだ。それが将来的な自分のスキルになるというのか!


「男性経験があれば偉いとか思わないでよ! 真夜ちゃん全然勉強してないよね、将来どうするの? 進学できる環境なのに何もしないで、男の人に養ってもらうつもりなの? 真夜ちゃんが今のままでいるなら利用されてボロボロにされて捨てられちゃうよ!」


 この間小テストでいい点数を取ったら担任の先生にカンニング疑われたからね! 普通に勉強して受けたのに失礼しちゃうよ! 真夜ちゃんはさ、授業も真面目に受けずにフラフラして! 刹那主義も大概にしなよね!


『あんたにはわからないでしょ! あたしの気持ちなんか!』

「それは私のセリフでもあるし! 真夜ちゃんのことを羨んで妬んだ私も悪かったけど、私の世界に居座り続けたのは真夜ちゃんもでしょ!?」


 私と真夜ちゃんは鏡越しに口喧嘩してぶつかりあった。

 こうしてお互いの気持ちをぶつけ合うのははじめてかもしれない。……今までは一方的で……真夜ちゃんはいつも仮面を被ったように心の内を明かさなかったから……


『あたしだってこんなことしたくない!』


 ぼろり、と彼女の瞳から涙がこぼれた。

 同じ顔なのに、別人の彼女。私は真夜ちゃんの泣き顔をはじめて目にした。私の泣き方とはぜんぜん違う。

 本当の彼女の一部分を見られた気がした。


『幼い頃からの友達だもん…』

「真夜ちゃん…」


 私は彼女が映る鏡に手をぺとりとくっつけた。

 もう、おしまいにしよう。

 私達は正反対なのに似た者同士だったんだ。


「お願い、私の両親を、友達を、居場所を返して」


 以前、真夜ちゃんがそうして私を鏡の世界に飲み込んだようにして、身を乗り出した。

 すると私の身体は鏡に飲み込まれて、鏡の向こうにいた真夜ちゃんと息のかかる距離まで近づいた。

 涙に濡れた真夜ちゃんの瞳とぱっちり合う。私が彼女に腕を伸ばすと、真夜ちゃんはハッとした顔で手を振り払った。


「真夜ちゃん?」

「やだ…だってあの世界は寂しくて暗い……あたたかい世界にいたいの。ひとりぼっちはやなの!」


 真夜ちゃんは顔を真っ赤にして駄々をこねる子供のように叫んだ。

 だが、ここまで来たら私も引くわけにはいかない。再度腕を伸ばし、真夜ちゃんの二の腕を掴むと引っ張り込もうと力を込めた。


「いや! 離してよ!」

「私はわがままだった。だけど真夜ちゃんもわがまま。私達正反対のはずなのにそこは同じなのね」


 思わず自嘲してしまう。

 彼女は私で、ワタシはカノジョ。


「──ひなた、しっかり掴んでろよ」


 背後から彼の声が掛かった。

 私のお腹に腕が回ってきて、力強く後ろへと引っ張られた。そうなれば真夜ちゃんの身体がズルリと鏡の世界に引き込まれていく。

 「やだ、いやだ!」と喚いて抵抗する真夜ちゃんの暴れる腕にガッチリ爪を食い込ませて離さなかった。望の加勢により勢いよく引っ張り込まれて、どさ、どさり、と私と真夜ちゃんが鏡台前で重なるように倒れ込んだ。


「う…」


 私を下敷きにして呻く真夜ちゃん。

 だが私は腕を力強く引っ張られて抱き起こされた。その反動でごろんっと真夜ちゃんが転がってしまったが、私を引っ張った本人はそれを気にも留めない。


「ひなた、戻れ」


 怖い表情で望は言った。

 あぁ、望が私を元の世界に戻そうとしてくれている。

 この寂しい世界で一人ぼっちの私を気にかけてくれた優しい人。

 私の未練。


「待って望、伝えたいことがあるの」


 せめて最後に。

 もう二度と会えなくなるその前に。


 鏡の向こうの私の世界に押し戻そうとする望の手を掴んで、彼の顔を自分の目に焼き付けようとしっかり見つめた。


「あのね、私、あなたのことが──…」


 その先の言葉は言えなかった。

 むにっと柔らかいものに唇を塞がれたから。望の整った顔が目の前にある。まぶたは閉ざされており、彼の瞳は隠れている。

 唇をハムハムと喰まれ、私はぴしりと固まっていた。頭が真っ白になって何を言おうとしたか一瞬忘れ去ってしまった。

 吸い付かれていた唇にちゅっと音を立てて離れた望の唇。


「じゃあな、ひなた」


 ドンッと力強く押された私は後ろに倒れ込んだ。鏡に頭をぶつけることなく、鏡の中に吸い込まれていって……


 最後の瞬間まで望を見つめていた。彼も私を見ていた。

 なんで、なんでキスするの。

 余計に辛くなるだけじゃないの。


 その後ろにいつの間にか立ち上がっていた真夜ちゃんが静かに立っていた。

 私のこと怒っているかな、と思ったけど…真夜ちゃんは笑っていた。


『さよなら、ひなた。もうお父さんとお母さんを悲しませちゃダメよ』


 その言葉に私は目を見開く。

 もしかして、もしかして真夜ちゃんは……


「真夜ちゃん、望…!」


 手を伸ばしたけどもう届かない。


 私はそのまま、鏡に吸い込まれて飲み込まれていったのだ。


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