第2話 なんで、俺が文芸部に?!
その日の部活は顔合わせだけをして、俺は家に帰ってから鈴木さんが作った小説を読んだ。正確には、帰りのバスに乗った時から読み始めたが、気づいたら夜中になっていた。
読み終わった時、時計は夜中の一時を差していた。まず驚いたのは、彼女の作る作品がとても読みやすいことだった。途切れることなくすらすら読める。テンポが良い。難しい言葉は一切使わない。それでいて分量は決して軽くない。俺は殆ど、頭のてっぺんから足の先まで驚愕した。同じ高校一年生で、ここまでの小説を書ける人物がいるのか。
読み終えた瞬間、俺は自分自身を恥じさえもした。彼女の力は本物だった。俺は興奮して、その日殆ど寝付けなかった。
翌日、俺は鈴木に話しかけたい気持ちを抑えて、普段通り学校に来た。早く放課後になって鈴木に話しかけてみたい気持ちと、俺の自尊心が完膚なきまでにボロボロになるかもしれない恐怖とで、俺は揺れていた。そりゃあそうだ、同い年の鈴木はこんなにも素晴らしい作品を書けるのに、俺は何も作り出せない。あんな才能を見せつけられ、その上あいつが謙遜なんかしたら、俺の自尊感情は砂浜に作られた城のごとく崩壊するだろう。
「そういえば、あれ読んだか?」
人の気持ちも知らず、伊月は何時ものノリで俺に話しかけて来た。
「鈴木さんの作品のことか?勿論読んだよ」
俺は伊月に目の下の隈を指さして言った。
「どうだった?」
「すごかった」本心だった。
「すごいだろ?あれ」
「うん」
「どんな風にすごかった?」
「そうだな、読みやすい文体でテンポも良い。登場人物も魅力的。異世界ものにしては珍しく設定がしっかりしている。それでいて官僚制度批判という裏テーマもしっかり書けている。中盤がやや助長的なのが唯一の欠点かな」
「中盤?」
「日常シーンを削って、過去の話だけにする。現在の話は最初からの記述だけで読者にそれとなくわからせるようにする」
「なるほど……」
伊月は鞄から一冊の雑誌を取り出した。色んな小説やコラムが載っている、字ばかりの雑誌。伊月はあるページを開いた。そこには、昨日俺が読んだ文章とまるっきり同じ文章が載っていた。タイトルと作者名だけが違っていた。
「これが鈴木さんの実力。あ、名前違うけど、この人、鈴木さんのペンネームね」
俺は驚いて、雑誌を伊月から取り上げて、同じページの文章を三回読んだ。
「何これ?」
「鈴木さんはアンダー二十文学賞で優秀賞を先月獲った。小さい時から文学賞に作品を応募してたそうだ。最優秀賞と優秀賞は雑誌に作品が掲載される。賞金も貰える」
「嘘」
「本当」
「すげーじゃん」
「すげーよ。だからすげーって言ってるだろ」
伊月が雑誌を俺の手から取り上げる。
「ちなみに今回の最優秀賞受賞者は十八歳。鈴木さんは後一歩ってとこだったと思うが、まあこれが実力だ。で、俺が読んでほしいのは」伊月が頁を捲る。
「これ」
伊月が指さした頁には、どの作品も載っていなかった。代わりに、審査員たちのコメントが載っていた。
「特に佐近樹忠」
作家の佐近樹先生のコメントと写真が載ってある。伊月は先生の顔を指さす。俺は指さされた場所を目で追った。
「わかるとは思うが、今のお前の批評、この人のコメントとほぼ同意見だ」
俺は審査員コメントを一通り読む。
「やっぱりな、わかってるぜ佐近樹先生」
俺は感心した。
「ああ、すげえよな、鈴木さんの作風とは結構違うのにな。さすがによくわかってる。まあ、優れた作品を読むのは子供も大人も関係ないがな」
「そうだな、俺はこの人の作品、好きだ。こいつ自身には不倫したから共感できねえけど」
「お前、この雑誌のことは知っていたか?」
伊月が一段と顔を近づけて、声を低くして聞く。
「いや、なんも。っていうか、俺は金無いから基本的に図書館の本しか読まないし」
「じゃあ、さっきのこの作品に対するコメントは、お前自身のオリジナルのコメントなんだな?」
「そりゃそうだろ。佐近樹先生はわかってるぜ、やっぱり。すごく頭がいいね」
「お前、小説を書いたことはあるのか?」伊月が声のトーンを落として言う。
「俺が?」俺は伊月の突飛な質問に面食らった。
「ああ」伊月の表情はまじめそのものだった。
「俺が小説を?」
「書いたことがあるな?」
「まさか」
「そうか」伊月の声のトーンがいつもより低い。
「お前は、今は小説を書く気はないのか?」
「俺が? なんで?」
「そうだ、お前だ、さっきから言ってる」
「いや、考えたことも無いな」
「そうか」
教室は誰かの声でざわざわしていたはずだった。さっきまで。今はこいつの声だけが俺に届いている。
「それなら、なんでもない」
伊月はそれきり、放課後まで俺に話しかけてこなかった。
「で、文芸部って結局何するの?」
放課後、俺たちは図書室の一角にある休憩スペースに集まっていた。
「好きな本読んだり、作品作ったりでいいんじゃないか?」伊月が鈴木の新作原稿を読みながら言う。
「はい」鈴木は一心不乱に自分のノートパソコンに向かっている。
「ふうん」俺は普段通り、本に向かう。
「そう言えばさ、鈴木さん、こいつさあ、結構、批評能力あるんだよ」伊月が突然俺に振る。
「そうなんですか?」鈴木が食いつく。
「佐近樹忠と同じような感覚を持っているし、悔しいが知識だけは抜群だからな」『だけ』の部分に力を込めたのを、俺は聞き逃さなかった。
「俺はどうせ知識だけですよお」俺はわざと拗ねてみせる。
「こいつは結構小説を見る目があるからな。だてに三六五日、本を読んでるわけじゃない」
「本当ですか?すごいです」鈴木は純粋に俺を尊敬しているみたいだが、そういう姿を見せられると却ってへこむ。
「そうか?俺は自分の好きなことに没頭してるだけだし。鈴木の方がすげえじゃん、あんな小説書けるんだし」鈴木の手が止まる。
「読んだんですか?」
「ああ」
「一日で?」
「当たり前だろ」いつの間にか俺にも、伊月の口調が移っている。
「すごい」また、鈴木の尊敬の眼差し。
「面白かったからな、一気に読めた」
鈴木の表情と体が固まった。時が止まったみたいに硬直している。
「本当?」声が上ずっていた。
「ああ」
「当たり前だろ」伊月も加勢する。
「日向は口が悪いけど、本当のことしか言わないよ」
「ありがとうございます!」鈴木が超高速で頭を下げた。俺は一瞬たじろいだ。
「私の作品、正直もう何を書いたのかも曖昧なんですけれど、それでも、私が書いたものを褒めてもらえるなんて嬉しいです」
「いや、正当な評価だよ」
「そうそう」今日はやけに伊月がニコニコしている。
「俺は本がただ好きで読んでるだけだけどさ、そういう人を没頭させる世界を作れるって本当にすごい事だと思うよ。お世辞抜きに」
鈴木は俺に顔を近づけた。かすかにシャンプーの香りがする。ああ、こいつはすごい奴だけど、やっぱり女なんだなあ。鈴木は俺の手を両手で握った。
「そんなこと言われたの、人生で初めてです」
「んな大げさな」
「光ちゃん、俺の方がこの作品を褒めたのは先だったよ」伊月の虚しい発言が図書室に響いたが、スルーされた。
「本当にありがとうございます! 新作もやる気凄く出ました! 私、頑張ります」
瞬間、鈴木は高速でキーボードを叩き始めた。
「あ、そのことだけどさ、光ちゃん。もし新作が出来たら、真っ先に日向に見てもらったらどうだ? こいつならすごく的確なアドバイスできると思うし。俺より適任だから」伊月が俺の肩に手をかける。
「でも私、伊月君の率直な感想も知りたいよ」
「俺の率直な感想も良いけどさ、こいつの批評は一流だと思うよ。だから、光ちゃんさえ良ければ、こいつに先に読ませてあげてよ。今俺が読んでいる分は俺が責任を持って先に読むけど、」
伊月が俺の目の前に、A4の原稿用紙の分厚い束を移動させる。
「今度からはこいつが先に読むべきだと思う」
「日向君さえ良ければ私はお願いしたいです」鈴木は俺の目をまっすぐ見て言った。
「いいよ、別に」そんな目で見られたら断る理由がない。
「文字なら何でも読む」
「流石だな」伊月がため息交じりに笑う。
「ありがとうございます」またも鈴木は無邪気に喜ぶ。
「率直な感想お待ちしてますね」
「わかった」
「ところでヒカルン、次の賞の締め切りっていつだっけ?」伊月が何気なくあだ名を言う。鈴木の手が止まり、表情が曇る。
「……六月三十日です」小さな声で鈴木が言う。
「なんだ、あと一カ月以上もあるじゃねえか。何かやばいのか?」
俺はそう言ってしまってから後悔した。鈴木の目は死に、伊月の原稿を追う目が止まった。
「そうですよね、一か月もありますもんねえ、伊月君?」鈴木が小さな声で言う。
「そ、そうだね、ヒカルン」
二人とも、目が笑っていない。なんとなく時間がない事だけが俺にも伝わった。恥ずかしい話だが、正直、一冊の本を作るのにどれくらいの時間を要するものなのか、甚だ見当もつかない。読むのは一日、されど作るのは……。
「あのさ、わかった。悪かった。じゃあ、今書いている小説のアウトラインだけ先に教えてくれ。そうすればアドバイスしやすい。俺も鈴木の作品を六月までに読み込んでみる」
「あ、はい」心なしか声の小さい鈴木。
「そうだな、どうせ概要も出版社に一緒に送らなくちゃだし、先に大まかな所だけまとめて書いちゃえば?」伊月が俺の意見を綺麗に救い上げる。
「あ、はい。でも、正直、まだわかんない、です。どうなるか」
「今考えている部分まででいいよ」伊月が優しく言う。なんか鈴木のオカンみたいだな、こいつ。
「わかりました、明日まででいいですか?」
「うん。俺も読みたいし」伊月が優しく言う。
「日向に負けてらんねえしな」
「何だよ、勝ち負けって」俺は伊月の肩を叩く。
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