第3話 三人寄れば文殊の知恵
その日から、俺らは自然と、本当に誰が言い始めたわけでもなく、三人で一つの小説を作り上げるようになった。
アウトラインを鈴木が作り、枝部分のアイディアを伊月が出し、最後に俺が調整した。俺と伊月の役割が自然と交代することもあったが、殆どはこの方法だった。鈴木のアイディアはどれも素晴らしく、驚くことに、二日に一つは何かしらのネタを思いついていた。しかしそれは、言葉にされない限りただの「アイディア」でしか無い。
それを強化するディテールを思いつくのは大抵、伊月だった。それは彼が、三人の中で突出して頭が良かったからだと思う。成績優秀でクラスの人気者であった伊月は、当然ながら俺や鈴木よりも話の引き出しをたくさん持っていた。ゼロから何かを作ることに関しては鈴木の右に出る者はいなかったが、既にあるものを何かと結び付けて改良する力が、伊月には備わっていた。突拍子もない発言もたまにするから、アイディアが没を食らうことも多いが、数え切れないほど没を食らうだけネタのストックを彼が持っていると言える。
俺はと言えば、相変わらず読むことしか能が無かった。ただ、二人よりも圧倒的に読書量が多かったから、もっとこういう言い回しの方が良いんじゃないかとか、ここのシーンは前後を逆にすべきだとか、細かい言い回しのチェックは俺が一番的確に行えた。
驚くことに、二人とも、俺の言う事を本当に真剣に受け止めてくれた。何もアイディアを出せない俺に、二人が文句を言ったことは三年間で一度も無かった。彼らは俺の発言を全て真摯に捉えたし、信頼してくれていた。俺は自然と、辞書や百科事典とお友達になり、お陰で何も勉強しなくても現代文の模試では満点近くを取ることが出来た(他の教科はあまり優れたものではなかったが)。二人が日頃から努力している姿を見ているだけあって、半端な意見は言い難かった。だから余計に、俺は隠れて勉強するようになった。
ふと、俺は鈴木に気になっていたことを聞いた。その日、伊月は生徒会の仕事があり、俺と鈴木しか部室(図書室の一角が部室として正式に認められた)にいなかった。
「そういえば、なんで鈴木は小説書き始めたの?」
「そうですねえ」
鈴木は相変わらずゆっくりとした口調で答えた。キーボードを打つ速さは達人並だが、口で喋るとなると、途端に思考速度が減速する。
「三歳くらいの時、既に作家になりたかったんです。本が好きで。幼稚園の文集には、将来の夢は作家と書きました」
「すげえな」
こんな人がいるんだ。俺は改めて鈴木をすごいと思った。俺は幼稚園の時になりたいものなんて何もなかった。
「小学生の時、見よう見まねで絵本みたいなものを書きました。確か小学校二年生の時に、自分の作品を自由研究にしようと思ったんです。でもそれは、作品と呼べるにはあまりにほど遠い物でした」
彼女は淡々と語った。
「小学三年生になっても相変わらず絵本を書いていましたが、もうその頃にはすっかり絵本を読まなくなっていました。大人が読む普通の小説を読んでいたと思います。だから私はその頃、小説を書くのをやめました。五年生になって、再び書き始めました。すごく本が大好きな友達が出来たんです。私は毎日作品を作り、その子に見せていました。その頃から、文学賞を意識するようになりました。賞のことを教えてくれたのはその友達だったんです。小学六年生の時に初めて文学賞に作品を応募しました。当然ながら、見向きもされませんでした。当時は馬鹿だったので、自分の力量もわからずにかなり凹みました。
中学に入ってから、私はまた小説から離れました。弓道部に入ったこともあり、小説を書くことをすっかりしなくなりました。
しかし二年生になって、その考えが本当に甘いものだと悟りました。そう気づかせてくれたのは、小学校時代の親友でした。と言うのも、小学生の時の親友がテレビに出ていたからなんです。私に文学賞の存在を教えてくれたあの友達は、子供向けのバラエティ番組で活躍するようになっていました。親友はもともと可愛いくて頭の良い子でしたが、まさか芸能活動をしているとは知りませんでした。毎週火曜日の六時半から、私と同年代の子たちが、笑顔でテレビに出ているんです。
それを見て、私は本当にどうすればいいのかわからなくなりました。正直、すごくショックでした。親友が陰で努力していたことを一切知らなかったこともショックでしたが、何より同年代の子たちが一足先に社会に触れて、自分自身の道を歩もうとしていることに焦りを感じました」
鈴木はいったん深呼吸し、俺の反応を見た。俺は頷きながら鈴木をじっと見つめた。
「私は初めて、誰のためにでもなく、自分自身のために作品を作るようになりました。今までは親友が読んでくれていたから、親友のために毎日作品を作っていましたが、その時は本当に独りきりで作りました。
孤独な中で作品を作ることは、初めのうちこそ戸惑いますが、慣れてくればとても楽しいものです。
中学の時は私ほど本が好きな友達もいなかったですし、小説を書いていることはなぜだか知られたくないと思っていました。馬鹿にされるのが怖かったんでしょうね。小説を書いているなんて知られたら、恥ずかしくて死にそうになったと思います。今でも若干恥ずかしいですが。
私は誰にも気づかれずに一本の作品を仕上げました。私も成長したので、自分の力量を前よりも正確に測れるようになっていました。
作品が優秀賞を獲った時、私は本当に順当な結果だと思ったのです。自分自身の見立てと手ごたえ、それと審査員の評価は限りなく合致していました。同年代の殆どの子たちよりかは、上手に文章が書ける自覚はありました。
しかし最優秀賞を獲れるほどの作品を作り上げた手ごたえは、私の中にありませんでした。あと一押しと言うか、決定的な何かが足りない気がしました。
反面、自分の中では結構満足していました。というのも、こんなにも長い作品をちゃんと作り上げたのは殆ど初めての試みでしたから、私としてはそれだけで結構満足だったのです。勿論、消化不良だったこともたくさんあります。それでも、私には一作品を作り上げることができた。それだけで私は満足できたことも事実でした」
そこでいったん喋り過ぎたことを恥じたように赤くなった。
「ごめんね、自分ばっかりたくさん話して」
「いや、いいよ」本心だった。
「もっと聞きたい」
「それなら、」と鈴木は続きを語った。
「ただ、私は小説を書いていることを周囲の誰にも言いませんでした。両親だけが知っていました。賞を頂いた後、出版社から表彰式のお誘いがあったからです。両親は本当に自分のことのように喜んでくれました。満足した気持ちが半分と、やりきれない気持ちが半分と、ってとこでした。
高校受験に合格して、春休み、勉強を進めるとともに、毎日小説に向き合って来ました。伊月君が私の小説に気付いたのは本当に偶然だったんです。たまたま、私は校正用の原稿をカバンの中に入れたままにしていたんです。行き帰りのバスの中で校正するつもりでした。今は、カバンの中身を見られたのが、伊月君で良かったと、心から思います。他の人だったら、私は今頃どうなっていたかわかりません」
鈴木は一気にそこまで話してしまうと、大きな深呼吸をした。
「伊月じゃなくて、俺が鞄の中を見たとしても、他の誰が見たとしても、同じ結果になってた気もするけどな」
「そうですかね?」鈴木は相変わらず、小動物のような目で俺を見上げる。
「鈴木の作品は面白い。俺が保証する」
「ありがとうございます」鈴木が笑った。
「俺が保証する、かあ。」振り返ると、伊月が扉に立っていた。
「日向君、カあッコいい」伊月は高い声を出してからかう。
「てめえ、いつからいたんだよ」俺は何となく一気に自分が恥ずかしくなった。
「いや、今」相変わらずニヤニヤ笑っていやがる。
「おめえは一生、生徒会室にいろ」
「残念でした、二人だけだと文芸部は廃部になるんです。そもそも俺が部長だし」
「ずっと思っていたんですけど」
珍しく、俺たちの言い合いは鈴木の声で幕を閉じた。
「日向君は、小説を書かないんですか?」
全く予期せぬ流れ弾。
「俺?」ちょっといきなりの玉すぎて面食らう。
「はい」
「考えたことも無い」それ前も聞かれたけどさあ。目の前に二人天才がいるのに、どうして自分が出る幕なんかあるのだろう。
「日向君が小説を書いたら、とても面白そうな気がするんですけれど。本の知識もあるし」伊月と俺は目を見合わせた。
「この話、以前にどこかの誰かさんにもされた気がするな」と、俺。
「そんな気がするな」と、伊月。
「きっと、本を読むのと書くのでは、また別のスキルがいるんだよ」伊月が鈴木に諭すように言う。
「勿論、色々な作品を知っていることは大切な要素だけど」
「そういうもんなんですかねえ、不思議です。素晴らしい作品を読んだら、私も描きたいと思いません?」鈴木が不思議そうに目を丸くする。
「俺はあんまり」正直に答える俺。
「俺もあんまり」伊月も加勢。
「え。まさかの共感者ゼロですか?」明らかに悲しそうな鈴木。
「きっとそこが鈴木の凄い所なんだろうな」
伊月が笑いながら言う。俺はこんな臭いセリフを真顔で言える奴の神経にびびったが、敢えてそこは突っ込まなかった。全部同感だった。
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