第6話 センキ
◇センキ
「ねぇ、あと王都までって何日かかるのー?」
「多分あと明日には着くと思うぞ、なにもなければ」
「なーがーいー!馬車おーそーいー!」
「長いって、そりゃお前、一昨日はほとんど丸一日どっか行ってただろうが。そのせいで全然進めなかったんだぞ」
「それは悪かったって、こっちも仕様がなかったんだよ」
俺たちは王都に続く林道を通って、馬車を走らせていた。
俺達とルネが出会って、あれから既に丸三日が経過していた。
この数日共に行動してみて、ルネは本当に悪意などは抱いていないことが分かった。
とはいえ結局、あの後ルネは何も教えてくれず、
「なぁルネ、いつになったら教えてくれるんだよ」
「ちゃんと教えるって、だからそんなに焦らないでよ」
と、話が一向に進まぬまま今日もまた一日を終えるところであった。
昨日から会話はずっとこんな感じである。
「お前昨日もそう言ってたじゃんか!」
「昨日は獲物取りに行ってたでしょ!」
「そうは言っても猪一頭だろ。そんなに時間かかるもんじゃないだろ!」
「馬鹿にしないでよ!そんなそこらにいる豚じゃなくて最高級豚だよ!最高級の!ジオグラル領産の!」
ジオグラル領は牧畜、特に豚の生産が有名でそこで取れる豚は普通の豚と脂の乗りは別格でその脂の中に肉の旨味がギュッと凝縮されており、上院貴族でも滅多に食べることができないとして非常に有名である。またかつてその領地から逃げ出た豚一頭を巡って戦争が起きるほどのものでこの国にジオグラルの豚を知らないものは間違いなくいないだろう。
「なるほどな、ジオグラルの豚なら仕方——え、お前昨日何してたって?」
「え、あ、ごめん。今の無し」
「おい、ルネ、俺今パニックだよ。色々突っ込みどころ多すぎてどこから突っ込んだらいいのか全く分かんねぇよ。まずお前豚取りに行ってたの?え、猪狩りに行ったんじゃなかったのかよ。ってまぁそこは正直小さな問題として、ジオグラル豚お前どこで取ってきた?いつの間にお前ジオグラル行ってきたの?ってか早すぎだろ!」
「あー豚か、あれ王都で買ってきたやつだよ。なんか丁度先着3名限定で売ってたから買ってきたんだ」
え、あれバーゲンとかそういうのあんの⁉という疑問は俺だけではなかったらしく
「ええっ!あそこバーゲンとかで売ってるの⁉あたし今まで一度も見たことないよ」
テイラーは魂が出るんじゃないかと心配になるレベルで驚いていた。まぁ、当然だわな。普通庶民の前なら姿を見せるはずもないもんな。
「しかし、ルネ、お前どうやって一日も掛からず王都まで行って帰ってきたんだよ」
ルネが失踪した日が二日前、そして昨日ジオグラル豚を捕ってきて帰ってきた、王都までは昨日の時点では往路だけでまだ馬車で二日の距離だというのに。
「あー、まぁそれはこれだね」
ルネが不意に空の手を差し出すと、そこには水色に光る一つの石が現れた。
「これ、テレポートストーンって言ってね、これを地面とかどこかに置くとその場所にワープできるんだ。僕は王都にある家に1個いつも置いてあってね、そこに転移したのさ」
マジかよ。そんな便利なものがこの世に存在したのか。それならこれを使えば王都に荷物を持っていくのもとんでもないほど楽になるってもんだ。
「これどうやって手に入れるんだ?これがあればこの道を行き来する必要もなくなるし、今までとは比べ物にならないほど楽になるだろうよ」
「あー、悪いけどこれ多分君達ゲットできないよ。これゲットできるのはプレイヤーだけだから」
「そっかー、じゃあこれからものんびりと二人でこの道を通り続けるのかぁー。残念だったねーアンディ」
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
エヘヘとなんでか嬉しそうに笑うテイラーを見ると、まぁこのままの生活も悪くは無いなと思えてくる。
「そういえば段々暗くなってきたね。ってことはそろそろ野営地に着くのかな?」
「ああ、もうすぐそうだ」
木々に囲まれている林道はそれだけ暗くなる時間が早い。
黄昏の空はラベンダー色に染まり、周囲は次第に薄暗くなっていく。
暗くなれば夜行性の魔獣や動物が出てくる可能性が高くなるので、日を跨ぐ移動を行うとき、近くに町や村が無ければ夜に帳が降りる前にキャンプ地に着くのは旅の鉄則だ。
魔獣除けの魔法を魔法具によって村全体を常時展開している野営地にはそういった魔法具は無いため魔獣除けの石で野営地全体を囲っていることが多い。
「あ、魔獣除けだ。ってことはここからが野営地だね。ここまでアンディもテイラーちゃんも乙~」
「ああ、ルネも今日ここまで護衛ご苦労さん」
「今日は何も起こらなくてよかったねぇ」
「テイラーちゃん、それフラグだからやめて」
テイラーは安心したのかほっと安堵の息をついたところにルネが割とマジな顔で訴えかける。
この形相ガチだな……割と今までで一番ガチなルネの顔かもしれん。
「いやでもルネも心配しすぎだって。もう魔獣除けもあるんだし大丈夫だよ。それにこの前アンディにフラグって言った時も何も起こらなかったし大丈夫だよ」
野営地についてすっかり安心しきった様子のテイラーはルネが般若の形相になっているのにも気づかず、積木のようにフラグを重ねていく。
「これでなんか起きたら積木じゃなくて摘み機だな」
我ながらなかなか寒いことを言った気がするがとりあえず皆スルーしてくれたみたいだ。
スルーされるのはそれはそれで悲しい気もするな、などと考えていたところで——ガサッという草木を掻き分ける音が近づいてくる。
「おい……なんか近づいて来てないか?」
俺は少しの焦りと大量の恐怖で手に汗というかもはや海を握っていた。そう考えるとなんか雄大そうでカッコいいな。
などと少し別のことに意識を逸らしたおかげで先ほどまで全身が鉄のように固まっていた体は少しずつ言うことを聞くようになっていた。
「皆は下がって、もし敵対的なものなら僕が相手をするから」
ルネが俺達が前に出ようとするのを制するように言う。
「あ、あたしは弓で出来る限り援護するね」
テイラーはそういって弓の準備に取り掛かっていた。
「ほら、君も下がって!」
「い、いや、俺も……」
俺はルネに少し強めに言われ、それでも何か役に立ちたいと自分の腰に下がっているナイフを見つめた。
(俺は、何も役に立てないのか……テイラーも、ルネも敵に立ち向かうという大きな役割を担っている中、俺はただ背を向けて隠れるだけ……か)
俺はルネに言われたように馬車の元へとトボトボと歩いていく。
そんな俺を見てテイラーは口を開く。
「アンディ、なーにそんなしみったれた顔してるの?あんたもしかして自分は何も役に立てないのかとか思ってるんじゃないよね!」
「い、いや、そんなこと——そんなこと思ってない、と思いたかったな。なぁ、なんでそう思ってると分かったんだ?また顔に出ていたのか?」
俺は自分を嘲けるようにテイラーに訊いた。
「バッカじゃないの?そんなの誰だって分かるよ、今のアンディを見れば」
「ば、馬鹿だと……お前に言われるとなんか悔しいんだが」
「あのね、アンディはルネにはなれないし、なる必要は無い。だからこそアンディは自分でしかできないことを最大限にやるしかないんだよ!戦うには今のあんたでは力不足かもしれない、けど他にできることはあるんじゃないの?」
まったくもってその通りだな。本当に俺は何を悩んでいたのか、馬鹿らしいったらありゃしないな。ならば俺にしかできないこと。
それは——
「それもそうだな。ありがとうな」
俺がそう言うのと重なるように途端、フッと涼しい宵の風が俺達の元を駆け抜けた。
「え、今なんか言った?」
「なんでもないよ。そんじゃ、俺は自分にできることやるとしますか」
風に紛れた俺の声はテイラーにはうまく聞き取れなかったようだが、まぁ二度も同じことを言うってのは野暮ってもんだろ?
俺はそれだけを言い残して馬車の上に登り、一つ大きく深呼吸をした。
——《叛逆の絶対権=全知の悪魔》
俺は全神経を眼へと集中させるとそれは緋色に輝きだし、俺はラプラスの眼で周囲を見回す。脳内がありとあらゆる情報で埋め尽くされていく。
なんとか目の前に集中し、敵の正体を突き止めにかかる。
風は北西から南東へ、野営地をうっそうと囲う木々は風にゆらゆらと揺すられる。その景色はやがて月光に照らされ、銀に煌めく白雲母が小川をせせらぐような光景に移り変わってゆく。しかし、突如として北方から近づいてくるものに小川は流れを狂わていき、それらは徐々に俺たちの方へと侵食してくる。数は五、いずれも人間だ。
糞っ、頭が痛い。ここまでだと言うのか。
「ルネ、対象の方角は北、敵数は五人、距離はおよそ百五十メートルだ」
「え⁉」
ルネは俺の方へ向き、なぜ分かるんだとでも言いたいような不可解の顔を示していた。
その言葉を信じてくれたのか、それとも唯の気まぐれだったのかは分からないけれども彼女は野営地の北側の方へと回り込む。
「おー、いたいた。まったくこんな森の奥地にいるとか聞いてねぇよ」
「これはあとでちゃんと弾んでもらうしかねぇなぁ」
俺たちの知らない声が聞こえたときには右から小太り剣士、ぼさぼさ槍使い、チャラ男魔法使い、ヒョロガリ剣士、少年弓使いが既に俺たちの前に姿を見せていた。
男達は俺が見た通り五人組で全員が武装をしていたので、こちらも彼らの正体、つまりプレーヤーであるということに気づくのにそうは時間は掛からなかった。
「やぁやぁお嬢さん、っていきなり臨戦態勢かい。おいおい、オレたちは別にやり合うつもりはないぜ。見たところ君は今NPCのミッションをこなしているところなのだろう?」
槍と盾を装備した男——恐らくリーダーだろうと思われる男はそのぼさぼさんの頭を掻きながらかったるそうに口を開く。
「そう言う言葉はさ、剣の柄に手を掛けている人がいない事を前提に言わないと説得力無いよ。そういう君らはどうしてこんな森の奥地に?君達ネーム隠してるよね?それだとPK目的だと疑われても仕方ないと思うんだけど」
相手のいうことに不信感しか抱いていないように見えるルネは疑うように問いかけた。
「あーそれは申し訳ねえが、まぁ許してくれや。俺達この辺に薬草の採取クエに来てるんだわ」
「へぇーそうなんだ。それにしても随分と人が多いね。採取クエストって普通一人か二人の少人数で行うのに」
ルネの鋭い指摘に肩をビクッと震わせた太った男は何か疚しいことでもあるかのように槍使いの男の耳元でこそこそと耳打ちをする。
「お、おいネイピア、もうさっさと殺っちまっちゃダメなのかよ!」
「お、おい馬鹿それ言っちまったら相手にバレるだろうがよ」
「……ネイピア君だっけ?聞こえてるよー。へー、やっぱり殺る気だったんだ。知ってたけど」
ブレーズは一人の少女に指摘され、顔を真っ赤に染めてネイピアという男に向かって急き立てる。
ってかあの男分かりやすすぎだろ、とぼやくと、
「あんたも普段あんなもんだよ」
と、まさかのテイラーからどつかれる。
え、あれが俺かよ。馬鹿丸出しやんけ。
「お前ら、フォーメーション・ダイヤだ!」
ネイピアが他の四人に指示をすると、魔法使いと弓使いは後ろへ、ネイピアが先頭へと出てきて、二人の剣士は弓使いらとネイピアの狭間で横に広がり五角形を作っていた。
「君達、僕と戦うっていうのか」
遠くから見てわかる。その時、ルネの周囲は凍てつくような冷たい空気に変化した。
「そうだぜ、お前は一人、俺らは五人。数の差ってのは偉大でなぁ、投降するなら今のうちだぜ、さぁどうするよ」
ネイピアが煽るように言うとルネは一つはぁと溜息をつく。
「あんたバカァ?投降するかだって?寝言は寝てから言って欲しいんですけど」
ルネはいつの間にか一振りの小太刀を握り、相手を煽るように言う。
ルネはゆっくりと敵へと向かおうとした刹那、その場で倒れた。しかし、足元に彼女の姿は無かった。
「なに⁉あの女どこ行きやがった?」
俺の声を代弁するように、ネイピアは叫んだ。
「ここだよ」
もう大分聞きなれたルネの声は五人のちょうど中心から発せられた。
「おま、今のはなんだ。あの一瞬で移動するなんて、そんな魔法聞いたことないぞ」
「そんなの言うわけないでしょ。もしそれで教えてあげてるならそれはあなた達と同じ三流だよ」
しかし、小太りの男の言葉はルナから教えてもらう為などではなく、それは注意を引くためで、彼女の死角から矢が放たれた。
(——あれは、躱せない!)
「——だから君らは三流なんだよ」
何かルネが呟くとルネは剣で矢を受け流し、背後の小太りの男の眉間に寸分違わない位置に命中した。即死だ。男は眉間に矢が突き刺さったままガラスのように砕けていく。
「なんつう技量だよ!剣で矢を捌くとか並みの人間が到底できる芸当じゃない」
「でもまだ四人もいるよ。あたしたちも援護したほうがいいかな」
「いや、止めたほうがいいだろう。俺らとあいつじゃ実力が違いすぎる。ここで俺らが介入するほうが寧ろルネにとって邪魔になる可能性が高い」
俺が言葉を溢し、ルネの方へと再び視線を戻すと青年魔法使いとヒョロガリの剣士が動き出していた。
「——炎魔法・デュアルヒート!」
魔法使いが叫ぶと、彼の脇から二つの幾何学模様の円が浮かびあがる。そのふ二つがより一層光を纏った瞬間、二つの熱線がルネへと発射される。だが、ルネはそれを間一髪で躱す。
その熱線は地面に着弾する——ことはなく後ろで走り込んでくる細身の剣士へと向かう。
男は熱線が直撃する前に剣でそれを防ぐ——否、熱線は吸収された。
「吸魔の剣ブール《能力開放——魔力吸収〈エナジー・アブソラプション〉》‼」
熱線を吸収した魔剣は赤熱化し、赤き光を纏う。
男は赤熱した剣をルネの方へと振るい、そして叫んだ。
「《能力開放——魔力放射〈エナジー・バースト〉》‼」
男の剣からは先ほど吸収した熱線が放たれる。
ルネがニヤリと微笑み剣を体の中央に構えるとその剣は怪しげな紫色の光を帯びる。
「無銘の
——人間、攻むこと能はず。我等皆人間なり。
ルネが何かを呟くと熱線は彼女を避けるようにして地面を大きく抉った。
熱線により抉られた地面は黒く炭化し、一部の石は溶岩のように爛れ、溶けていた。また、地面の周囲に生えていた草は焼け焦げていた。
「な、なんでだよ。なんで当たってないんだよっ!くそっ、デュアルヒート!デュアルヒート!」
魔法使いの男は完璧だった連携が崩されたことにムキになり、再び先ほど繰り出した魔法を連発する。しかし、どれもルネを避けるようにその周りの地面へと着弾した。
その後、二人以外にも、槍使いのネイピアをはじめ、弓使いもルネに向かって攻撃を始める。
弓使いは弦に鋭く尖った骨をつがえた。ルネに照準を定め骨を射た直後、ネイピアが叫ぶ。
「ネイピア・ボーン《能力開放——アンリミテッド・マルチ》‼」
「何っ⁉」
弓使いに射られた骨は無数のものとなってルネに襲い掛かる。ルネは驚いたように一瞬声を上げたようだったが、しかしこれも全てまるで反発し合う磁石のように尽く彼女を避ける。
やがて彼等は魔力や体力が切れ、膝に手をついて息切れをしていた。
「《演繹終了》」
ルネが何かを終わらせた途端彼女は周りにいた少年弓使い、青年魔法使い、ヒョロガリの剣士を薙ぎ払いガラスのように砕いた。
「お前……いったい何者なんだ……」
ネイピアは酷く疲れ果てた様子でルネに尋ねた。
「君さぁ、『センキ』って言葉、聞いたことあるかい?」
「へぇ……お前があの『センキ』なのか」
俺のいるところからではよくは聞こえないのだが、あいつ今自分のことなんって言った?多分名前を訊かれていたように聞こえたんだが、聞き間違いかルネという風に聞こえなかった気がする。まぁ風もあるし聞き間違いかもしれん。
「まぁ僕は自分で名乗ったつもりはないから知らないけどね」
ネイピアは最後に不敵な笑みを残し、舌を噛んで自害すると彼もまた仲間と同じくガラスのように砕けていった。
敵の居なくなった戦場に一人佇む彼女は正しく『戦姫』だった。
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