骨になっても
夫が死んだ。
何かの事件に巻き込まれた可能性があり、墓標の下にある棺の中は、頭だけが見つかっていない。
愛していたのに。「君だけだ」と言っていたのに。あろうことか、外に女を作っていた。そして、その女は妊娠していた。
夫の葬儀にて、見ない顔がいるなとは思ったが、あの時なぜ話しかけてしまったのか。夫との関係を聞いてしまったのか。聞かなければ、まだ、何も知らないままの未亡人でいられたのに。
「最後にあの人の顔が見たくて」と目を腫らしていた彼女は、まだ成人にも満たぬ歳だった。夫とは二回りも歳が離れていた。夫は独り身だと聞いていたらしく、驚きのあまり目を丸くしていた。その後すぐに泣きながら何度も謝られた。私はこの子に話しかけたことを、心底から後悔した。頭のゆるそうな女だった。
彼女はぽつりぽつりと話してくれた。
夫とは大学の講義で知り合ったという。夫の専攻は……忘れてしまったが、『死体を食べる行為』がどうのだったような気がする。俗に言う『人肉食』について研究していたと思う。それと、その行為を結びつける『宗教』について。
「愛した人を食べる行為は、なにもおかしいことじゃない」
食事中に熱く語りだすたびに、私は吐き気を覚えていた。何度それを注意したことか。結局、一度も直してはくれなかったけれど。
ふとそんなことを思い出し、彼女に心配されてしまう。
大丈夫、と返し彼女に続きを話してもらった。
夫と知り合ってからは、人目を忍んで二人で会っていたという。無論、そういう行為も。
どうやら夫の方から誘ってきたらしい。どうしようもないクズだと私は内心思う。しかし、この子の言葉も、本当かどうかも分からない。大人しそうな顔をしているし、田舎から出てきたばかりだと言っていたので、どちらが完全に悪い、というわけでもない。どっちもどっちだと思った。
「けれど先生、その……」
と、彼女は顔を曇らせる。
なにか口に出したら恐ろしいことを言うみたいに唇を震えさせ、必死に言葉を紡ぐ。
「……まるで、ただの、そういうものみたいに……赤ちゃんのことを言うんです……。幸せとか、欲しいから、とかじゃなくて……。あれは、まるで……」
そこまで言って、彼女は口を閉じた。私はそっと彼女の肩に手を置き、優しく抱き留める。
これも何かの縁だし、部屋ならちょうど空いたばかりだ。一人でいるより、誰かといる方が安心だろう。あなたがよければ、一緒に暮らさない?
優しく言うと、彼女は泣き腫らした瞳をさらに潤ませた。このことを誰にも相談できていないと静かに鼻をすすった。
引っ越しやら買い出しの約束をして、その話はひとまず終える。
去り際に、彼女は言った。
「でも、どうして犯人は、先生の頭を持ち去ったのでしょう?」
どうしてだろうね、と私は彼女の背中を見つめて思う。
下を向いて泣いているふりをして笑いをこらえる。
夫とはよく話をした。『食べる』行為について。『愛』について。『味』について。『食感』について。そのどれもが、違う意見だった。唯一同じ意見だったのは、『大人より子供の方がうまいんじゃないか』ということだった。
そして夫とは、いつかお互いの味を確かめうという約束をしていた。
もちろん、夫が外に女を作っていることなど知っていた。それが二回りも歳が離れた女とは思わなかったけれど。
止めなかった理由は――ふふ、これはまだ黙っておこう。きっと彼女を驚かせることができるだろう。
妊娠したのなら、もう夫はいらない。夫と交わした約束を実行するのが早くなっただけ。
私はバックの中をそっと見る。
そこには首だけになった夫が眠っていた。
ああ、あなたの葬式には、とても素敵な子が来てくれたわよ。あなたの子を身ごもっていて、私と一緒に暮らすことになったの。
葬儀中、私は心の中でずっと夫に話しかけていた。
見える? これがあなたの葬式よ。
「旦那さんは残念でした……」
と肩を落とす警察官の前で、笑いをこらえるのに必死だった。俯いて肩を震わせている姿は、さぞや痛ましく見えたことだろう。犯人は目の前にいるというのに。
さあ、今日はとても良い日だ。あと二日もすれば、新しい食材がうちにやってくる。それも二つ!
肉も内臓も、使い道は色々ある。
ああ、今からとても楽しみだ。
骨になっても、私が食べてあげるから。
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