2021年07月31日【百合(レア)】悪魔/犠牲/意図的な記憶 (2323字を/133分で)


 アルトの家を訪ねたら、隣人が「そこの人は短期で、もう出払ったよ」と教えてくれた。ソプラノは礼を伝えて敷地を出る。行き先は決まっていない。とりあえずは交通機関に近いほうへ。道中の電話ができる空間を巡り、先客がいない場所に着いたら、番号を入力していく。ビル風のおかげで暑さが少しだけ和らぐ。


 いつも通りのワンコールで繋がった。今日は非通知にしていないが、向こうは相変わらず、かけた側が何者かを伝えるまで黙っている。


「ソプラノ」

「よお、珍しいね。用事かい?」

「急に休みになったから。そしたら貴女が、また家を変えてるからこうして呼んでるのよ」

「熱烈で嬉しいね。仕事でもこうだといいんだけど」

「いいから、どこにいるか教えて」


 電話の向こうから、アルトが何か動く様子が聞こえた。何をしてる? ソプラノは音の種類から様子を窺った。布が擦れる音、金属が擦れる音、軽いが弾まない何かが落ちる音。ソプラノは近くの建物を見上げた。ロープで窓を滑り降りて「お前の後ろ」と言い出しかねない。相手はアルトだ。


「お前の後ろ」

「窓なしの壁」

「息が合うか」


 いいから早く、と急かすソプラノに対し、今度こそ正しい場所を教えた。車なら九分ほどの距離にあるマンションの四階だ。向かいに教会が見えると付け足すので、また個人で面倒ごとに首を突っ込んだように見えるが、アルトは決してそんな素振りを見せない。


 位置がわかったら、あとは向かうだけだ。ソプラノは電車で揺られて、徒歩で向かう。ついでなので道をひとつ間違えて、件の教会のぐるりを確認しておく。際立った動きは見えないが、道がやけに多いのは気になった。どの道も直線上に教会の敷地が見えるし、少しの手間で塀を乗り越えられる。


 アルトの新しい家は、そこそこ整ったマンションだった。八階までのエレベーターがあるが、ソプラノは階段で登る。一直線の廊下を階段からでも確認できて、左右に部屋と、共用部にいくつかの自転車が置かれている。表札を掲げない家が目立つ。アルトの部屋も同じく、表札がない。読みにくい部屋番号を確認し、インターホンを押す直前にアルトが扉をあけた。「入りな」と短く呟く。扉の配置が廊下に対し直角なので内側に開ける建築だ。


「休みって割に、いつもの服なんだな」

「急にって言ったでしょう。貴女もこの建物で学生風は、余計な悶着が起こるんじゃないの?」

「まだ無い。あ、待て。こっちにしとけ」


 ソプラノがコンバットブーツを脱ごうとしたので、アルトは中断して、二枚のビニール袋と輪ゴムを渡した。靴を履きなおす手間を惜しむ状況がある。そこそこに厚手なので破れはしなそうだが、家にいながら足の感覚が靴のままなのは馴染みない。


 オフィス風のパンツルックにコンバットブーツはやけに角張っているが、一応、よく見なければ革靴のようにも見える。座り仕事の間は下半身がデスクで隠れるし、歩いている間に見えるのは艶の有無くらいだ。直前まで整っていた装いがビニール袋で台無しになった。この足で走る経験もないので、やってよかったと思わず無駄になるよう願った。


 順に手を洗ってから、居室へ向かう。荷物は少なく、リュックひとつを持てばいつでも脱出できる部屋だ。服は二着とスペアで着まわしていて、汚れやすい一式がハンガーにぶら下がっている。部屋の真ん中で直進を防ぐ目隠しを兼ねた配置なので、最悪なら放棄して使う。目立つ家具として、窓の外に向けたカメラと、ケーブルで繋がった画面の他は、全体的にすっきりしている。


「やっぱり面倒ごとね」

「仕事だよ。私はソプラノ以外からもひっぱりだこなんだ。内容は――」

「手伝わないから」

「聞いとけって。あの教会、中じゃあ別のことをしてるって話だから見てたんだがさ。入る人間と出てくる人間が合わないんだ。そんで、たまに大きな荷物を出し入れしてる。わかるな?」

「わかってしまった。推測した犠牲者は?」

「月ごとに三人。まあ、少ない月を引いてるかもだけど」


 ちょうど画面に大きなトラックが映った。アルトは「あれだ」と呟く。玄関口で挨拶をしたあと、トラックからどんどんと段ボール箱を運んでいく。最後に巨大な箱を二人がかりで運んだら、挨拶をしてトラックに戻っていった。


 これだけで決めつけるには早いが、アルトにも情報筋がある。詳細を伏せているが、これまでも助けられてきたので信用はそれなりにできる。問題は今の状況で、ソプラノを招き入れた事実だ。手伝わないと言っているが、火の粉がソプラノを巻き込むならば払うしかない。アルトはそうなるように仕向けることが多々あった。せっかく来たが、すぐに帰る考えがちらつく。


 ソプラノも職業柄、見えた情報から考えずにはいられない。そうでなくともアルトとは特別な関係だ。急な休みで真っ先にアルトの家へ向かう程度に。手伝わないつもりだが、情報だけは一応いれておく。


「あの箱の大きさなら、子供かしら」

「かもな。気圧されるなよ。神も悪魔もいない。あれは人間だ。だから勝てる」

「饒舌ね。聞くわ」


 アルトは少し考えてから口を開いた。


「忘れちゃったよ。それよりソプラノ。手、貸せよ」


 手伝わないと言い返す前に、アルトは文字通り右手を借りて、自分の手と重ねた。両者の指を互い違いに絡ませて、さらにソプラノの甲を挟む。アルトの手は少し硬くて、ざらついている。怪我の痕は特に。


「やっぱりシティガールはいいね。柔らかい」

「下品な言い方を。仕事はどうなったのよ」

「ソプラノは休みだろ? こうしてお上品に過ごすのがいい」


 アルトとのスキンシップは忘れがちな何かを思い出させる。照れ隠しにあれこれ文句を言いながらもソプラノはこの時間を気に入っていた。


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