2021年07月19日【純愛モノ】晴れ/狼/憂鬱な物語 (2522字を/67分で)


 アルファの家にある本はどれも、人間を神聖な動物として扱っている。人間以外の動物が人間になるための策謀を巡らせたり、人間を人間以外に変化させる。さらには人間以外の全てが、人間を丁重にもてなしている。


 アルファの元へ訪れる人間は、どれもこれもがアルファへ危害を加える。頭を垂れてかしずくよう求めては、少しでも機嫌を損ねたら檻に押し込めようとする。その後は決まって体を舐め回されてから貧相な食餌を与えられる。アルファが自力で食事を得る方法を妨害しつつ、自力で食事を作れないのだからと文句を言わないよう要求する。


 アルファは山奥の小屋にいる。車で二時間ほどの深い場所に、アルファと人間二人、合計三人で暮らしている。人間は成長が遅いので、少なくともあと五年は贔屓目に見ても幼い体で過ごす。生きて山道を抜ける見込みはない。ここはアルファの監獄だ。


 周囲の植物や虫を食べようとしてみたが、毒があるか、消化できない成分で構成されている。アルファが食事を得る方法は同居の人間にかしずいてご機嫌取りをするしかない。


 普段は檻の出入りができるようになっている。晴れの日の日中は家の近くを探索している。人間から離れられる貴重な時間だ。草木の呼吸の音を聞いたり、蛇と睨み合いをしていると、アルファも生きていると実感できる。近くにいる生き物たちはどれも、自分の住みやすい場所に住んでいる。アリやハチは豪邸、カエルは水辺、鳥はどこかの木の上にいる。アルファも住みやすい場所が欲しい。


 臍を曲げた人間によって檻に閉じ込められた日以外は、必ずあちこちを歩き回って、それぞれの違いを味わっている。同じ土に見えても寝転んでみると硬い場所と柔らかい場所がある。ふかふかで寝心地がいい場所をみつけた。背中が汚れるので檻に戻る前に川で洗って乾かしてからになる。いい場所から離れる時間はその分だけ早くしなければならない。遅れたら折檻だ。


 わけあってたっぷり痛めつけられた翌日、アルファは居心地がいい湿地の土に寝転んだ。土は体重を受け止めてちょうどいい形を作ってくれる。檻では得られない安らぎがある。いつからか、鳥たちの声はアルファが近寄っても普段通りになっていた。野生動物は警戒心が高いのに、アルファは警戒されていない。アルファはきっと日常の一つになっている。能力なしと見下されているのかもしれないが、確認する方法がない今、せめて都合がいいように解釈しておく。安心したら眠くなってきた。アルファは少しだけ土に身を預ける。


 気づいた時には空が赤くなっていた。慌てて起きあがるが、服は土で汚れていて、今からではとても洗えない。戻ったらきっと痛めつけられる。しかし、戻らなければ食事は得られない。しかし、戻れば痛めつけられる。


 アルファは足を動かせなかった。体を檻へ向けると足が土から離れない。理性で檻へ向かおうとしても、体は動かない。涙が溢れてくる。痛めつけられたときとは違う、声も伴わずにただただ涙だけが溢れだす。アルファは再び土の上に寝て、何も言わずに涙を流し続けた。わけもわからないまま、溢れて土に落ちるに任せた。とおきどき、意味を持たない声をあげる。手だけを真上に伸ばす。自分でも何が変わるかわからないが、腕を伸ばしている間は少しだけ肩のあたりが楽になっている気がした。


 日が沈みかけた頃に、アルファの隣に狼が訪れた。硬い毛がアルファの脇腹に触れる。左右から、しばらくすると脚にも同時に触れる。少しだけ目を開けると、アルファの周囲に狼の群れが集まっていた。若い一頭を中心に、子供らしい小さか体が集まっている。


 鳥の鳴き声が止んだ。何かを警戒している。狼たちもどこかへ駆け出した。誰かが近づいてくる。アルファはたまらず泣き声をあげた。人間に、来ないでほしい。その声で人間はアルファを見つけて駆け寄ってくる。


「こんなとこに隠れてやがったか! お前は一週間飯抜きだ! 当分は家から出させねえぞ!」


 臭い口から臭う言葉を吐いて、アルファの手首を引っ掴んだ。アルファの体重が手首に集中する。関節が抜けそうな痛みに声をあげたその時、人間の背後から狼が飛びかかった。アルファよりは強くとも、人間の基準ではだらしない体だ。狼の子供にも飛びかかられれば倒れるし、歯を立てられれば貫かれる。アルファを追っていた人間は狼の餌となった。地球の掟だ。死んだものは生きたものの糧となり、その繰り返しの一部に組み込まれる。狼が食べきれなかった部分は虫や菌が食べる。一切の損失がない連鎖機構だ。


 狼たちは食餌に群がっているが、アルファの目の前だけは隙間を開けている。ちょうどアルファも食べられるよう、分け与えてくれるように思えた。檻の中で読んだ本にも似たような話があった。もしかしたらと思って、アルファもかぶりつく。


 久しぶりに胃に入る食糧だ。味はよくわからないが、歓びが溢れているのはわかる。きっとアルファはこうしたかったのだ。自らを苦しめる者から解放されたかった。手段を封じられていて叶わなかったのが、今は狼の助けのおかげで結果だけは得られた。


 次は自分でやる。自力で生きられない者は死あるのみ。これも地球の掟だ。自分を助けられるのは自分だけだ。もう一人の人間は食餌よりも体が小さく、力も弱い。それでもアルファよりは強いが、隙ができやすい性質を持つ。勝ち目はある。


 狼は牙を持っているが、アルファは持っていない。牙の代わりになる物が必要だ。たとえば、尖った石ころ。この場にくる度に見ていたが、拾う意味があると思ったのは今日が初めてた。アルファはまず解放されるために動く。その後でどうするかはその後になってから決めればよい。檻でただ朽ちるまで待つよりも、生きて気高く死ぬほうがいい。解放されたならばその時点で成功になる。どの結果であっても、損失は一切ない。全てが誰かの糧となる。地球の掟の通りだ。


 一年後、アルファは檻だった場所を家と改めた。この場を拠点にして狼たちと共に生きている。並んだままの本に新顔が増えた。狼を神聖な動物として扱い、狼以外の動物は狼になるための策を講じる。タイトルは『アルファのにっき』だ。



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