2021年03月21日【指定なし】雲/少年/最弱の廃人(2545字を/77分で



 砂漠の地下には秘密基地がある。

 Aが入った一室は、重い扉を除くすべての方向がコンクリートの壁で包まれている。窓も灯りもなく、手にしたオルゴールつきのランタンだけが頼りない光源だ。


 扉の先にある、太い鉄の格子を開ける。

 その奥にある樹脂の格子は細く、鉄よりもずっと強度が低い。その気になれば折れそうでもある。

 そうしない理由は、その外側にある鉄の格子を破る算段がつかないからだ。手を伸ばしても届かないので、材質を知る術もない。中途半端なことをしても、折檻を苛烈にする口実でしかない。


 樹脂の格子を前にして、Aは声を投げかけた。


「来い」


 短い一言に呼ばれて、ぼろぼろの少年が這って近づいた。格子の先に、少年の体の他は、一枚の毛布だけを与えている。少年は拷問を受けているのだ。普段ならばAの隣に、命じている主人がいる。それが今日はAだけで来ている。とはいえ少年にはすでに、その事実に反応する気力もない。


 この秘密基地では、水と食事をわずかしか与えていないので、排泄はごく少量で済む。ストレスで脳は萎縮し、筋肉も衰えている。さらには歯も抜いてある。少年が逃げる方法は失われて久しい。


「今日でお別れだ」


 Aはそう言って、トランクに少年を押し込めた。ここで何が行われていたかを示す最後の証拠を片付けて、外へと運ぶ。


 この地域で水爆の実験が行われる。その後で万が一にでも少年の遺骨が見つかっては問題になる。Aの主人が嗜んでいた行為に対し、他の各人間は厳しく咎めるための準備がある。そうなれば地位を失い、逆に罪人として暴力に晒される。移動の自由を奪われ、時には苦役を課せられる。Aにとって重要なのは、Aも巻き添えになる懸念だ。


 唯一の対処法は、見つからないことだ。

 生きている間だけでいい。証拠を隠し通せたなら、どんな糾弾に対してもそれこそが不当な暴力であると反論が可能になる。事実であっても、事実である証明をするまでは、空想と同じだ。

 法律は強い力を持っている。大義を保証し、数の力を借りて、標的がどこへ逃げても取り押さえる。誰の助けも借りられない状態に追い込んで、決して負けない戦況に持ち込み、やがて尻尾を出した所から崩していく。


 その強さゆえに、決して暴走してはならない。暴走を防ぐためのルールが定められている。憲法もそのひとつだ。無実の者を犠牲にしてはならない。一度でもそれを許せば、法律を利用して都合の悪いものを一方的に消していけるからだ。法律が巨悪に乗っ取られた場合の損失と比べれば、法律と敵対する大悪を取り逃がすほうが傷が浅く済む。


 AとAの主人はもちろん、その取決めをよく知っている。少年を隠す作業においては誰の助けも借りられないが、他の部分でなら助けを借りられるし、敵対していない。トランクの中にある懸念を始末すれば、安心して日常に戻れるのだ。


 夜の砂漠をラクダで進む。誰にも見つからないよう、奥に建てたのだ。時間に関しては飲んだコストだ。普段ならば御者に任せて寝て待つが、今回はトランクに懸念の種が入っている。どれだけ不審に思われても、見つかりさえしなければ大丈夫だ。Aは自分に言い聞かせて、荷物を眺めた。


「旦那、顔色が悪いですぜ」

 御者が善意の声かけをした。

「そうかもな。何しろこの荷物だ」

「山ですもんな。大切なお宝もさぞかし沢山あるのでしょう。ですが、俺も給料をたんまり貰ってるんだ。盗みやしませんよ。死ぬまで五〇年も逃げ続けるのは、俺にはとても無理だ」

「ああ、信用しているよ」

「そりゃどうも」


 Aの顔がいくらか柔らかくなったのを見て、御者は安心した。Aの主人が出資しているおかげで、ラクダの餌や御者の暮らしが守られている。警備用の人員や武器も用意できるようになって、他のお得意様も増えてきた。飢えた顔をしていた御者たちに安心を与えて、安心した御者たちは客人を満足させる。繰り返し仕事を持ち込むようになり、御者たちの蓄えが増えてより安心できる。正しく連鎖していく。


 ラクダが転んだ。

 ゲリラ集団の罠にかかったのだ。体制を崩した一行目掛けて、盗賊団が殺到した。まずは護衛隊が小銃を拾い上げる。その隙を狙えば、盗賊団の拳銃でも戦果はあげられる。構えた拳銃は、構えていない小銃よりも強い。


 盗賊団は、まず護衛隊の武装を奪った。これで抵抗はなくなり、安心して積み荷を物色できる。金目のものをいくつか奪い、ラクダの息の根を止めて、あっという間にどこかへ姿を消した。


「旦那、命はありますか」

「どうにか。しかし、荷物が」

「こうなったらもう捨てていきましょう。命あっての物種です。夜で助かった。九死に一生くらいならできますぜ」

「君は、前向きなんだな」

「俺はもし旦那がいなかったら、とっくの昔に死んでた身です。だからこそこうして落ち着いていられる」

「心強いよ。警備の者らもいる」

「いえ、あいつらはもう」


 御者が指した先で、警備隊が息も絶え絶えになっていた。何人かはもう死んでいるようにも見えた。生きている者も、一人として立ち上がりはしない。


「僕たちはついていっても邪魔なだけです。無事なのは二人ですか。早く行ってください」

「だが君たち」

「旦那。もうサバイバルが始まってるんです。その優しさは共倒れになるだけです」

「Bの言う通りです。僕だけが死ぬか、お二人も一緒に死ぬか。どちらがいいかは明らかです」


 警備隊の一人は倒れたまま、右脚を差した。

「短剣があります。どうか最期に慈悲をくれたら、被害を最小限にできる」

「旦那。先に行ってください。汚れ役は俺に任せて」


 Aはもう何も言わず、後ろを向いた。振り返りたくならないように耳を塞いで、足を進めた。




 トランクの中で少年がまだ生きていた。鍵が壊れて、少しの力で開く。朝になっていたので、久しぶりの強い光に目を覆った。

 もう見られないと思っていた雲を見た。

 砂漠で文明から隔離されては、人間は最弱の生き物だ。なおかつ、少年はすでに廃人となっている。

 その場で、何も感じないままで、じっくりと干からびていった。




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