傑作選シリーズなし:単発
2021年03月09日【王道ファンタジー】暁/蜘蛛/嫌な世界(2819字を/112分で)
ぼくはお尋ね者になった。
斡旋を受けて山道を進み、洞窟に潜んだ「小鬼」を退治した。持ち帰ったバスケットの中身か、はたまた臭いがついたかで、報告に戻る途中でいきなり、甲冑を着た兵士たちに追い回され始めた。
戻った時点で、門番の体から訝しむ感情の匂いが漂っていた。昼に訪れる流れ者はきっと珍しいのだろう。現に昨日も、村から順調に歩いていながら、着いたのは夕方だった。
追い回される今なら、街の中心近くまで泳がされたようにも考えられる。
この街は蜘蛛の巣だ。
王都へ向かう道は、険しい山に囲まれていて、歩きやすい道はおおよそ一本に集約される。その合流点で栄える様子を見ては、非日常に混乱した状態での判断を強いられる。宿屋で聞いた、荷物を部屋に置いたままで鍵を持ち出すのも、田舎なら誰が盗みに入ってもおかしくない。警備員がいるとか頑丈な鉄製とかを挙げられて、荷物の重さが気になってしまった。
まんまと宿に金貨を置いたので、それがある限り、どこに出かけてもやがて戻ってくる。お使いをさせて、戻ってきたところを捕らえる計画のようだ。
ぼくのような田舎生まれにとって、王都は憧れの地だ。僻地でも旅人が話を届けてくれるので、暮らしの断片を想像できる。各々の能力を拡張して、際限のない発展を続けている。いつかここまで道が届くと聞いても、それまで生きているとは思えない。他の村だってあるだろうに、待ってなどいられない。
そう考えて王都へ向かう者は多い。若者はもちろん、中高年になってから出る者だっている。ぼくもその一人だ。
あまりの快適さに、殆どの者は田舎に帰らないと言われていた。それとは別に、蜘蛛の巣に捕えられた者もいるのだろう。
ぼくは逃げる。幸いにも追手はまだ遠いし、匂いも近くには少ない。しかもぼくは、足の速さが村一番だった。追手との距離は開いていく。今はとにかく門を越えて、その後の道はその後で考える。
裏道に入った。昼でも薄暗く、生ゴミが回収しやすいように集められている。暑さが控えめならば腐るまでが長い。回収係があとでゆっくり、まとめて集めていく。昨日のうちに話だけは聞いていた。こういう場所ならば、動くもの全てがぼくを狙う追手とわかる。ずっと走りやすくなった。
しばらく走って、この道は失敗だったと気づいた。表通りには脇道がいくつか見えていたが、この場にそんなものはなく、一本道だ。一応、建物の凹凸はあるが、それを道とは呼べない。裏口から入って無事に逃げられるとは思わない。
一本道の先に鈍色の甲冑が見える。横に広がって盾を構えている。道を塞ぐに特化した構えだ。どう突破したものか、立ち止まれば後ろから追い付かれてしまう。この距離ならば少しだけ足を遅くして、周囲を確認しながら進む。
が、めぼしいものは見つけられない。元よりゴミ以外を置く理由がない場所だ。よく見ると裏口や窓もなくなった。二階や三階から落とすための、滑り台状のトンネルに切り替わっていた。引き返せる間は気づけなくしておく、なるほどこの街ならそうだ。
諦めかけた目の前に、物陰から小さな手が飛び出した。
「逃げる人、こっちに」
ぼろぼろの服を着た、ぼくよりいくらか幼い少年が、建物の窪みへ案内した。その窪みに着いた頃には、二階から垂らされたロープを登っていた。
これが罠でも構わない。ぼくはロープを掴んで、壁を蹴って、登っていった。木とは違って引っかかりがなく、靴もよく滑る。手の力に集中して、足は体重を支えるに回し、どうにか窓へ飛び込んだ。
すぐに少年がロープを手繰り寄せて、窓を閉めた。
「助かった‥‥。ありがとう」
「まだ助かってないぞ。ここでいなくなったのを見られてるから、すぐ回り込まれる。こっちに来て」
少年ははしごを登った。いつの間にかつけていたウエストポーチを追いかける。二階から三階へ行くのだと思ったが、それよりもずっと長く登っている。途中から数えただけでも、身長の五倍を登った。
屋上だ。屋根は斜めになっているが、一部だけ平坦な線がある。少年はこの平坦な部分で助走をつけて、隣の建物へと跳んだ。
ぼくに選択肢はない。少年と自分の脚を信じて追うしかない。なけなしの荷物を体に密着させて、同じように走り、跳んだ。
着地地点がどこになるか。隣の建物は屋根が平坦だが、外側に境目を作るように薄い壁がある。もっと奥へ。木の枝が落ちている。踏むのは避けたい。脚を少しだけ伸ばしたらバランスを崩し、倒れ込んだ。咄嗟に両腕で頭を守る。
大急ぎで起き上がって、少年を探した。目があうとすぐに、少年は再び助走をつけて隣へと渡った。今度はもう少し近い。ぼくも同じく跳ぶ。
今度はすんなり着地できた。少年の顔には安堵に似た、満足げな笑みが浮かんでいる。
「次で最後。だけど、跳ぶ先はあそこだ」
少年が指す先は一本の木だった。険しい山道の斜面から生えた木。枝が折れそうな予感と、バランスが変われば斜面ごと崩れそうな不安がある。その表情を察知してか、少年は落ち着いて話した。
「あのあたりは根が複雑に絡んでるから、ちょっとやそっとじゃ崩れない。太い枝を狙って、掴んだらもう少し登って、上の方の土に降りる。そうしたら一息つける」
そう言われてもまだ不安が拭いきれないぼくに、手本を見せると言って跳んだ。
この高さでは落ちたら死ぬ。斜面を転がり落ちても死ぬ。とはいえ、このまま追いつかれてもおそらくは死ぬ。ならば跳ぶのが唯一の活路だ。自らに言い聞かせて、ぼくも跳んだ。
太い枝に抱きつくようにして体重を受け止めた。凹凸が手足や胸を削る。きっと棘も刺さった。勢いが痛みに変わる。どうにか落下には至らず、その場に留まった。あとは登るのみ。
手を離して上へ伸ばす。その最初で激痛に見舞われた。棘を咥え込んだ傷口を押し拡げてしまった。ゆっくりと、棘を抜く方向にして枝を掴み直す。この様子では反対の手や脚も同様かもしれない。
まずはどうにか動けるようになった。同時に、目の前にロープが垂らされた。少年からの助けだ
「それを使って。さっきと同じように」
ぼくはロープを掴み、登っていった。
「今度こそ助かったかな。ありがとう」
「どういたしまして。それで、礼についてだけど」
少年の真剣な目を見た。
「僕もずっと、脱出する気でいたんだ。でも一人じゃあその先がないから、あそこを通る誰かを待ってた。王都に行く人なら、僕も連れていって」
ぼくの心は決まっている。
「もちろん。心強いよ。ぼくも殆どの荷物を失ってるから、一人じゃあ心細かった。よろしく」
休憩もそこそこに、まずは動きながら当面の食い繋ぎかたを探していく。ぼくはこの日を、本当の夜明けのように感じた。
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