第35話 唐突な来訪

 なんだか今日の奏さんはいつもと違う。

 話してても、勉強してても、どこか上の空だ。

 心なしか息も弾んでるし、瞳もうるうるしている。

 勉強ばかりで疲れたのかな?

 気分転換でもした方が良さそうだ。


「ちょっと散歩でもしよう!」

「えっ!? そ、外に!?」


 なぜか奏さんは先ほどのビックリ箱より驚いた顔をした。

 無表情の仮面が剥がれかけている。


「こんないい天気なんだしもったいないよ」

「わ、私はいいよ。丹後くん行ってきて」

「一人で散歩なんて寂しすぎるって。アイスおごってあげるから」


 一人で散歩なんて面白いことを言う人だ。

 さっさと立ち上がって玄関へと向かう。


「本当に行くの?」

「そんなに遠くには行かないよ。近所だけだし」

「近所の方がむしろ気まずいんだけど……」

「?」


 よく分からないけど先に外に出る。

 六月も終わりの日射しはとても眩しい。


 奏さんは諦めたように前屈みで部屋から出てきた。

 普段姿勢のいい奏さんにしては珍しいな。

 やはり今日の奏さんはなんだかいつもと違う。


 いつもは隣を歩くのに今日は半歩下がって俯き加減でついてくる。

 コンビニについてアイスを選ぶ時もその姿勢は変わらなかった。


「どれがいい?」

「じゃあこれ。あ、やっぱりパピコにする」


 始め選んだパルムをやめてパピコを選び直していた。

 公園に行き、ベンチに座って食べる。

 奏さんは猫背のままちゅーちゅーとパピコを吸っていた。


「いい天気だねー。ほら、雲ひとつないよ」

「そうだね」

「見てないでしょ。ほら、ちゃんと空を見上げて」

「うん。ほんとだ。雲がない」


 奏さんは俯いたまま上目使いで空を見る。

 そんな風に空を見る人、はじめて見た。


「ねえ奏さん。具合でも悪いの?」

「な、なんで?」

「ずっと俯き加減だから」

「べつにそんなことないよ」


 試しに額に手を当てて見た。

 少し熱い気もするが、熱があるわけでもなさそうだ 。


「そろそろ帰ろう。勉強しないと」

「そうだな」


 テスト間際になってあたふたするより今のうちからコツコツやったほうがいい。


 部屋に戻り、勉強をしているとインターフォンがなった。

 そしてそれと同時に玄関のドアが開く音がした。


「奏ぇー。入るよー」

「え?」

「ちょっ……」


 部屋のドアが開き、大人の女性が入ってきた。


「お、お母さんっ!」

「あら? 来たらまずかったかしら?」


 奏さんのお母さんは俺たちを見て含み笑いを浮かべた。


「は、はじめまして! 勝手にお邪魔してすいません。奏さんのクラスメイトの──」

「丹後くん、かしら?」

「えっ? は、はい。そうです」

「やっぱり! 娘からいつも聞いてるのよ。思ってたより二割増しのイケメン君ね!」


 お母さんはニヤニヤ笑いながら奏さんの肩をペシッと叩いた。

 奏さんは無表情のままじとっとお母さんを睨んでいた。


 ていうか奏さんは俺のことをお母さんに話してくれていたのか。

 なんだかちょっと嬉しい。


「急にどうしたの?」

「近くに来たから寄っただけー。はい、おみやげ」


 お母さんは袋にいっぱいのお菓子を奏さんに渡す。

 奏さんとはずいぶん違う性格だということはこのわずかな時間で理解した。


「いつもありがとうね、丹後くん。こんな無愛想な娘と根気よく付き合ってくれて」

「無愛想なんかじゃないですよ。人からは誤解されやすいですけど、すごく細やかな神経で優しい人ですから」

「まぁ。本当に奏をちゃんと見てくれてるのね。ま、少し過大評価気味ではあるけど」

「今日は丹後くんと勉強してるんだから用がないならまた今度にして」

「なによ、奏。お母さんをのけ者にして。お母さんは昔から娘の彼氏と話をするのが夢だったの!」

「彼氏!?」

「か、かか彼氏じゃないから!」

「あら、まだだった? ごめん」


 わざとらしくペロッと舌を出すお母さん。お茶目すぎるだろ……

 それに比べて焦ってる割に顔色ひとつ変えない奏さん。

 親子なのにどうしてこんなに違うのか?


「もうっ! 丹後くん困ってるし、もう帰ってよ」

「それより奏。ブラつけてないの? 本当に勉強してたの?」

「……へ?」

「ッッ!?」


 振り返ると奏さんは胸元を隠して踞る。


「ちょっとお母さん!」

「早くつけてきなさい。さくらんぼちゃんがぽっこりしてるわよ?」

「こ、これは、擦れてっ……ってバカ!」


 奏さんは顔を真っ赤にし、目をギュッと瞑って浴室前の脱衣スペースへ駆けていく。

 恥ずかしがる表情があんなに出てるなんてはじめて見れた。


 っていうかいつからノーブラだったんだ!?

 着替えた様子とかなかったからはじめから!?

 それでずっと前屈みだったんだな。

 それなのに散歩なんて連れ出してしまったなんて、申し訳なさすぎる。

 てか、もっとガン見しておけばよかった……


「ごめんなさいね。ああ見えて意外とそそっかしい子なの」

「はは……そうなんですね」


 ブラのつけ忘れはどの程度のそそっかしさなのだろう?

 着けない俺にはよく分からない。


 着用し終えた奏さんはがっくりと肩を落として戻ってきた。

 髪の乱れっぷりが奏さんの焦りをよく表していた。


「さて、お邪魔だしそろそろ帰るわね」

「今さら? もう最悪だよ」

「丹後くん、これからも娘をよろしくね」

「いえ、こちらこそ」

「丹後くんのおかげで奏はずいぶん変わったわ。本当に感謝してる」

「そうなんですか?」

「ええ。よく話もするようになったし。この間も丹後くんが──」

「はい、さよなら! またね、お母さん!」


 奏さんはぐいぐい背中を押してお母さんを追い出す。


 お母さんが部屋を出ていってからなんとも言えない空気が流れる。


「さ、さて、勉強の続きしようか?」

「そ、そうだね」


 お母さんの話の続きが気になったけど、とても聞けそうな空気じゃなかった。


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