第33話 漆黒

 フラムが瞼を持ち上げると、そこは紅蓮の業火が燃え盛る監獄の中であった。


 彼が立っているのは通路で、左右には金属の格子で閉ざされた牢屋が立ち並んでいる。

 牢屋の内部にも紅蓮の炎が広がっており、右側の牢の一つには墓標のようなものが鎖に繋がれていた。


 フラムはそれを一瞥して、先日この手で葬ったエゼルスという転移者を思い出した。

 彼は死体を自在に操る能力を持っていたため、墓標という形でフラムの深層意識に現れているのだろう。


 墓標が繋がれている牢から視線を切り、フラムは奥へと続く道をゆっくりと歩み始めた。


 この空間には終わりの見えない一本道と、それに面した牢が続いているだけだ。

 天井や床などの背景は塗り潰されたような漆黒に染まっている。



 紅蓮の炎が燃え盛る監獄をしばらく歩き、ようやく果てが見えてきた。


 そこには巨大な扉が聳え立っており、左右それぞれに取り付けられた取っ手は鎖によって雁字搦めにされていた。


 その扉に歩み寄っていったフラムは、手前の牢の内部に目を遣る。


「ッッ……!」


 フラムは内部に繋がれているものを認めると、表情を歪めて声を漏らした。


 そこあったのは水色に煌めく水晶の如き氷塊であった。

 その周囲には一から十二までの数字が浮遊している。


 これはフラムが【復讐者】となった原初の記憶。

 彼の妹であるエクレールの時間を止めた忌々しい氷だ。


 フラムは沸き上がる怒りと共にその牢を通り過ぎ、巨大な扉の前に立つ。

 そして雁字搦めとなっている鎖に手を伸ばし、それを力任せに握り締めた。



『思い出せ』



「くッ……!」


 その瞬間、彼の頭に老若男女のどれにも類さない不協和音のような声が響いた。

 それと同時に、一際強く心臓が鼓動した。



『燃え盛る怒りを。万物を破壊する衝動を』



 脳内に響き渡る声をねじ伏せようと、フラムは懸命に鎖を握る手に力を込める。



『怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ』



「黙っていろ……!」


 繰り返される声にフラムの神経は逆撫でられ、意思とは裏腹に憤怒が彼の思考を支配する。


「黙って、力を寄越せッ……!!」


 憤怒を吐き出すように叫び、その勢いのまま鎖を引き千切った。


 千切られた鎖は音を立てて床に落ち、紅蓮の炎を発生させて燃え盛る。


 それに目もくれず、フラムは眼前の扉の取っ手に手をかけようとすると、その扉はひとりでに開いた。


 そこには中央に向かって渦巻いている漆黒の穴があった。

 そちらに目を向けたフラムは、吸い込まれるような錯覚に陥り、身を硬直させる。


「かッ、はッ……!」


 刹那、その穴の中から漆黒の雷(いかづち)が放たれ、フラムの胸部中心を貫いた。


 凄まじい雷撃をその身に受けたフラムだったが、倒れること無く体勢を立て直す。

 そして全身に迸る黒い雷(いかづち)を纏いながら、両の手に炎を灯した。


 しかし灯った炎は常のフラムが使用する紅蓮では無く、深い闇夜のような漆黒の炎であった。


 フラムは黒炎を纏う右手を歩んできた一本道の方へ振るった。

 すると全ての牢に漆黒の炎が灯り、監獄の存在を焼き尽くした。


 そうして空間全てが漆黒に侵蝕され、フラムはそっと瞼を閉じた。



   ◆ ◆ ◆



 空中に投げ出されたフラムに極大の光線が放たれた瞬間を、リベルテは遠くから見ていることしか出来なかった。


 だが光線がフラムを飲み込もうとした瞬間、彼の身体から漆黒の炎が立ち上り、極大の光線を一瞬にして焼き尽くした。


「なんやッッ!?」


 その光景に驚愕したのはリベルテだけではなく、相対しているヴェルクリエも同じだった。


 一瞬にして光線を焼き尽くし、周囲の緑をも飲み込んだ漆黒の炎塊が弾けると、少年の姿が露わになった。


「フラム、さん……?」


 その炎の中から現れたのは紛れもない、フラム・ヴェンデッタだった。

 しかしリベルテは彼の姿を目にして、訝しげな表情を浮かべていた。


 それもそのはず。

 今の彼は髪の大部分が漆黒に染まり、毛先だけが元の赤錆色となっているのだ。


 元の彼の要素が見受けられるのは、ルビーのような深紅の双眸だけであった。


「なんやその姿は……!」


 正面で相対するヴェルクリエは表情を歪めながら問いかけた。


 その問いかけを無視して俯いているフラムの全身には黒い雷が迸っている。


 今の彼の姿はまるで――


「まるで転移者やないか!!」


 そう、リベルテもフラムの黒髪と迸る黒雷を目の当たりにして、心の中でそう思ってしまっていた。


「ははッ……!」


 ヴェルクリエの叫びの直後、フラムは口角を釣り上げて笑う。

 そしてその姿が黒炎を生じさせながら掻き消えた。


 瞬きの後、ヴェルクリエの背後で発火が起き、フラムの姿が現れた。

 その手には黒炎の短剣が握られており、霞むような速さでそれが振るわれる。


「くそがッ!!」


 ヴェルクリエは咄嗟に翼を羽ばたかせて身体を反転。

 直後に両手の球体から極大の光線を撃ち放った。


 転瞬、黒炎の尾を引く斬撃が無数に放たれる。


 そして斬り裂かれた二本の光線が漆黒の炎に焼かれ、一瞬にして消し飛んだ。


「はッ……!?」


 その光景に瞠目したヴェルクリエだったが、視界にフラムの姿が無いことに気が付き、周囲を見渡す。


「あぁぁぁッッ!!」


 声は背後から聞こえた。


 それを認識した瞬間には、ヴェルクリエの背に生えた漆黒の翼の片方が掴まれ、彼の身体が思い切り地面に叩き付けられる。


 叩き付けられた彼を中心として芝生の地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、轟音と共に地面が吹き飛んだ。


「がはッ……!?」


 予想だにしなかった攻撃と全身を貫いた凄まじい衝撃に、ヴェルクリエの意識に一瞬空白が生まれる。


「あははッ!」


 地面に倒れ伏しているヴェルクリエの耳に、上空から愉快な笑い声が降り注いだ。

 同時に彼の真上に巨大な影が現れ、苦痛を隠しきれない顔でそちらを見上げて絶句する。


 そこには黒炎で形成された巨大な剣が出現しており、その切っ先が真下のヴェルクリエに向いていたのだ。


 全長は城の二階部分に届くほどで、あまりにも巨大すぎて現実味が無い光景であった。


 フラムはその大剣の柄の部分に立っており、真下のヴェルクリエに口角を釣り上げた笑みを向けていた。


 遠くでその様子を見守っていたリベルテには、あの大剣がフラムの【爀炎の鍛冶神イラファトス】の能力で生成されたものということが分かっていた。


 けれどあれほどの規模のものを生成したところは見たことが無い。


 今の彼はそれほどまでに、あの黒い炎の力で強化されているのだろう。


「くっそがぁぁ!!!」


 ヴェルクリエが存在に気付いた直後、大剣に重力が与えられたように垂直落下を始めた。


 迫り来る致死の刃を前にして、彼は絶叫と共に四つの漆黒の球体を上空に出現させた。


 それらは大剣と自身の間で展開され、互いを稲妻で繋ぐことで瞬時に魔法陣へと変化した。

 そしてフラムの大剣に負けないほど極大な光線を放った。


 降り注ぐ巨大な大剣と、打ち上げられた漆黒の光線。


 それらがぶつかりあった瞬間、周囲に凄まじい衝撃波を放出した。


 崩落していた王の間がさらに崩れ、庭に面している王城の窓は全て砕け散る。


「ぐ、おぉぉぉぉ!!!」


 ヴェルクリエは地面に仰向けに倒れたまま上空に両手を翳し、光線で大剣を押し返そうとしている。


 対するフラムの大剣も光線を貫こうと黒炎を纏い、落下する力を強めていた。


 拮抗したのは数秒。


 しかし当事者のヴェルクリエにも、端から見ているリベルテにも永劫のように長く感じられた。


 周囲に衝撃を放ち続け、ついに拮抗を破ったのはフラムの大剣だった。


 立ち上る漆黒の光線を貫き、ヴェルクリエ目がけて降り注ぐ。


 凄まじい速度で迫り来る大剣に、彼は右の掌を翳し、全霊の光線を放った。


 それは漆黒の球体を四つ束ねて放ったものと比べると弱々しい光線だったが、フラムの大剣の軌道を僅かに逸らした。


 直後、爆発の如き轟音が王城を、否、ミロワルム王国を激震させ大地に突き刺さった。



「ぐぅあぁぁぁぁあああぁぁぁぁ!!!!!」



 次いで響き渡ったのは身の毛もよだつような、ヴェルクリエの絶叫であった。


 大剣の着弾によって生じた砂煙が晴れると、そこには壮絶な光景が広がっていた。


「っ……!」


 リベルテは痛む身体を引きずりながら、爆心地とも表現できそうなその場所へと近付いていく。


 そこには王城の二階にも及ぶ大剣が、ヴェルクリエの左腕の付け根あたりに突き刺さっていた。

 当然左腕は完全に両断され、凄まじい量の鮮血が地面に赤い湖を形成していた。


 それでもヴェルクリエはなんとか生きており、右手で凄惨な傷を押さえながら地面をのたうち回っていた。


 最後に光線を放って軌道を逸らさなければ、両断されていたのは上半身と下半身だったかもしれないのだ。


 リベルテがそんな想像をしていると、突き刺さっていた大剣が突如、黒炎と化して消失した。


「死ね」


 単純な呪詛と共に、のたうち回っているヴェルクリエに人影が重なった。


 ヴェルクリエが激痛に歪み切った表情でなんとか上空を見上げると、そこには大剣が消滅したことで自由落下を始めたフラムがいた。


 彼は黒炎の短剣を逆手に構え、口角を釣り上げた笑みを浮かべている。


「よくもやってくれたなぁぁぁッッ!!!」


 脂汗が滲む額に青筋を立て、ヴェルクリエは絶叫しながら上空のフラムに無傷の右手を翳した。


 しかし上空で黒炎が閃き、【爀炎の鍛冶神イラファトス】で形成された一本の直剣がヴェルクリエの掌を刺し穿つ。

 そしてその勢いのまま地面に突き刺さり、彼の右手がまるで標本のように地面に縫い止められた。


「ぐぎぃぃ……!!!」


 赤熱した鉄で掌を貫かれたような凄まじい苦痛に、ヴェルクリエは歯を食い縛って耐える。

 それは上空から飛びかかってくるフラムを見失わないようにするためであった。


「はははははッ!!!」


 短剣を逆手に構えたフラムは大笑しながらヴェルクリエの元へ落下し、それを振り下ろした。


「粋がんなやぁぁぁ!!!!」


 短剣の切っ先がヴェルクリエの喉を穿つ寸前、彼は右目を大きく見開いた。


 するとそこに重なり合う五つの魔法陣が展開され、漆黒の光線がフラムを塗り潰した。


 それによって短剣がヴェルクリエに届くことは無く、彼は九死に一生を得た。


 想像だにしていなかった場所から放たれた光線を受けたフラムは、反射的に短剣の面で防御態勢を取ったのかリベルテの隣まで吹き飛んできた。


 地面を何度か跳ねて転がったフラムの全身はボロボロで、制御できていないのか、特に自身の炎による火傷が悲惨であった。

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