第26話 アヴェルスVSアレイ

 フラムたちを送り出したアヴェルスは長刀を鞘へと納め、突き当りにある部屋へと向かっていた。


 床の霜は部屋の途中で途切れているが、アレイはこの先にいるのだろう。

 そう考えたアヴェルスは突き当りの部屋へと入っていった。


 そこは大浴場の区画らしく、湯気が充満していた。


「やはりあなたが追ってきましたか」


 湯気の向こう側から現れたアレイは、アヴェルスの姿を見て納得したような表情を浮かべていた。


「えぇ、あなたの能力には拙者が適任かと思ったので」


 その言葉にアヴェルスも小さな笑みで答える。


「それが正しい判断であったか、答え合わせと行きましょうか!」


 指で眼鏡のブリッジを持ち上げたアレイは、アヴェルスに向けて右手をかざした。


 直後、周囲の湯気が凝固して水と化し、それが槍のような形状となってアヴェルスに襲い掛かった。


「なるほど、大浴場はあなたにとって恰好の戦場(いくさば)ということですか」


 水の槍が迫ってきているにもかかわらず、アヴェルスは緩やかな動作で腰の刀に手をかけた。


 刹那、彼を中心として凍てつく波動が放たれ、この場における水分が一瞬にして凍結した。


「ですがそれは拙者にとっても同様です」


 湯船に溜まった大量のお湯さえ凍てつかせるほどの冷気を前にして、しかしアレイは動揺一つしていない。


「凍らせたところで無駄ですよ」


 湯を供給する獅子の口から次々と流れ込んでくるお湯は、湯船の氷を次々と溶かしていく。


「それに私の能力は水を操るだけではなく、発生させることも可能。この場所は多少のアドバンテージを得られるというだけです」


 説明しながら両手を左右に広げたアレイの頭上に巨大な水球が発生する。

 それが巨大な槌へと変化してアヴェルスに振り下ろされた。


 しかしその水槌は瞬きの後に真っ二つに斬り裂かれ、大浴場に雨を降らせただけであった。

 それはアヴェルスが一瞬のうちに抜刀し、水槌を斬った結果であった。


「なるほど。まあそんなことはどちらでも構いません。拙者は早くあなたを倒してフラム殿たちの後を追わなければならないので……」


 アヴェルスは抜き放った長刀を、床に触れそうなほど低い位置で構えた。


「参ります」


 長刀の切っ先がほんの少し床に触れた瞬間、床が一直線に凍結し、アヴェルスの姿が掻き消えた。


「ッ……!!」


 瞬きの直後、アレイの視界には自身の懐に入ったアヴェルスが、下段の位置から長刀を振り上げている姿が飛び込んできた。

 その斬り上げは的確に首を刎ねようと迫ってきている。


 咄嗟に反応したアレイは、自身の左側から迫る長刀と首の間に水の塊を発生させた。


 それは長刀の刃の勢いを減退させ、致命傷となる首へと迫っていた軌道を強引に逸らす。


 水の塊によって軌道が逸れた長刀はアレイの左側頭部すれすれの空を切った。


 しかし――


「!!」


 返す刀でアヴェルスが長刀を振り下ろしたことで、アレイは袈裟斬りにされてしまう。


「くッ……!!」


 右の肩口から腹部近くまでを斬り裂かれたアレイだったが、彼は咄嗟に後方に跳躍していたため、致命傷を避けていた。


 それでも傷は浅くなく、多量の血液が胸部から零れ落ちて大浴場の床を赤く染め上げていく。


「あれに反応するとは、流石は転移者といったところですか」


 アヴェルスは苦しげな表情のアレイに目を向けながら、血糊が付着した長刀を払った。

 すると遠心力によって飛ばされた血が大浴場の床を叩き、一瞬で凍結した。


「くそッ! この私に傷を負わせるなんて……!」


 憎々しげに睨み返してくるアレイは胸部の傷を抑えながらも、再び周囲に水の槍を生成した。

 その水には零れ落ちたアレイの血液が混じっており、ほんの少しだけ赤みがかっていた。


「この痛み、あなたの死をもって償っていただきます!」


 アレイの声と共に血混じりの水槍が一斉に放たれ、風切り音と共にアヴェルスに迫っていく。


 しかし彼が長刀を地面に突き立てたことで爆発的な冷気が放たれ、まるで時が止まったかのように水槍が空中で凍結する。


「無駄ですよ」


 攻撃を無効化されたアレイだったが、ほくそ笑みながら右手の中指で眼鏡の位置を直した。


 直後、完全に凍結した水槍が脈動し、氷の呪縛を強引に打ち砕いた。


「なるほど、隠し玉があったのですね」


 凍結を解いて勢いを取り戻した水槍は、アヴェルス目掛けて再び驀進する。

 向かってくる水槍の内部を蠢くアレイの血を見て、彼は小さく呟いた。


 彼の血が混じったことで、先ほどまでは無かった特性が水に付与されているのだろう。

 そう断じたアヴェルスは後方に飛び退いて水槍を回避する。


 標的を失った水槍は地面に着弾し、爆発にほど近い威力で吹き飛んだ。

 そして弾け飛んだ水滴が再び槍の形を成し、退避したアヴェルスを追尾する。


 迫りくる無数の水槍を長刀で斬り裂きながら、アヴェルスは水の特性を探っていた。


 回避しても斬り裂いても再び形を成して追尾され、凍結はすぐさま打ち砕かれる。

 狙うのであれば本体だが、その隙さえ無いほどの弾幕だ。


「さぁ、無様に踊って溺死してください」


 水槍の弾幕の向こう側でアレイが不敵な笑みを浮かべた。


 防戦一方で追い込まれているアヴェルスだが、彼は表情一つ変えずに水槍を捌き続けている。


「これならどうですか?」


 水槍の連射を続けながら、アレイは浴槽に溢れる膨大な量のお湯を空中に持ち上げた。


 そしてそれを巨大な槌の形に変化させ、長刀を奮い続けるアヴェルス目掛けて頭上から振り下ろした。


 四方を水槍に囲まれ、頭上からは巨大な水槌が振り下ろされている。


 明らかに詰みの状態に追い込まれたアヴェルスだったが、彼は焦ることなく微笑んだ。



「【黄泉の仇桜(あだざくら)】」



 そして長刀の切っ先を床に突き立て、ほんの小さく呟いた。


 刹那、突き立てた床から薄桃色の氷で形成された桜の花弁が吹き上がり、周囲に幻想的な光景を作り出した。


 思わずそれに目を奪われてしまったアレイは、しかしアヴェルスに攻撃の一切が届かなかったことを理解して瞠目する。


「いったい、何が……?」


 氷の花弁が吹き上がった瞬間、アレイが放っていた全ての攻撃が跡形もなく消し飛んでいたのだ。

 その状況に理解が及ばない彼は、長刀をゆっくりと床から抜き放ったアヴェルスに目を向ける。


「単純な話ですよ。拙者にも秘していた隠し玉があったというだけの」


 周囲は氷の桜の花弁が舞い散る美しい光景だが、その花弁が床や壁に触れると一瞬にしてその部分が朽ち果てる異様な現象も同時に引き起こしていた。


「もうお遊びはここまでで良いでしょう」


 優し気に笑ったアヴェルスの表情から温度が失われる。

 そして彼が正中に長刀を構えると、周囲に舞っていた花弁が引き寄せられるように刀身の周囲を旋回し始めた。


「仇桜はすぐに散りゆく儚きもの……。何かに触れればすぐに消えてしまう」


 アヴェルスが語っている最中、旋回する花弁の一枚が床に触れて砕け散る。

 それと同時に触れた部分の床が朽ちるように崩れた。


「けれど、失われる際に彼らは触れたものから時間を奪っていくのです」


 長刀をゆっくりと振り上げながら、アヴェルスは小さく微笑んだ。


 花弁が舞い散る美しい光景とは裏腹に、アレイは直後に迫る死の足音を感じ取って怖気に身を震わせた。


 焦慮を露わにした彼は凄まじい数の水槍を放ち、自身の前方には巨大な水の盾を形成した。


「散りゆく花たちと共に、逝きなさい……」


 細められた冷ややかな視線でアレイを見つめたアヴェルスは、氷の花弁を纏う長刀を彼に向って振り下ろした。


 瞬間、桜吹雪が彼我の間を駆け抜け、放たれた水槍を蒸発させるように一瞬で消し飛ばした。


「来るな来るな来るなぁぁぁ!!!」


 死の花吹雪の威力を目の当たりにしたアレイは、絶叫しながら水の盾をさらに肥大化させた。

 大浴場を二分するかのような水の盾に氷の花吹雪が激突し、触れたそばから水を削り取っていく。


「やめろぉぉぉぉ!!!」


 絶叫も空しく水の盾が完全に消失し、アレイの全身が氷の花吹雪に飲み込まれる。


 彼を飲み込んでも止まることが無い花吹雪は、奥の壁を打ち抜いてようやく離散した。


「安らかに……」


 アヴェルスは大浴場の壁に空いた大穴から夜空を眺めながら長刀を鞘に納めると、ゆっくりと踵を返した。


 彼の背後には廃棄されて何十年も経ったように朽ち果てた大浴場と、その先の夜空で転移者の残滓である漆黒の粒子が天へと昇る光景が広がっていた。

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