第25話 潜入

 明かりが差さない薄暗い食料庫。その床の一部に赤い燐光が灯り、幾何学模様が広がった。

 そしてその端の四辺に切り取られたような線が走り、がこんと音を立てて持ち上げられた。


「誰もいないな」


 そこから顔を出したフラムはそう呟きながら穴から出る。

 そして続くリベルテ、プリエの手を引いて再び周囲の警戒に戻った。


 最後のアヴェルスが登り終えると四角く切り取られた床を元に戻した。

 すると四辺の線が消えて幾何学模様が収束していき、元の何も無い床へと戻った。


 それを見たフラムは手中に紅炎を発生させ、周囲を照らした。


「うん、間違いなく食料庫って感じだね☆」


 炎を光源として部屋を見渡したプリエは部屋に置かれているものから、この場所が食料庫であることを確認した。


「リベルテ、ここから王の間まではどう行くんだ?」

「はい、それなら――」



「誰かいるのか?」



 フラムの問いにリベルテが答えようとした時、扉の外から何者かの声が聞こえてきた。

 それに警戒度を跳ね上げさせて、フラムはリベルテたちに隠れるよう視線で伝えた。


 一方彼の方は手中の炎を消し、天井の隅へと跳び上がった。


 その直後、食料庫の扉が開かれ、外(廊下と思われる)の光と共に黒髪黒瞳の青年が現れた。


「あれ? 声が聞こえたと思ったんだけどな……」


 転移者の青年は食料庫に一歩二歩と踏み入りながら、周囲を見渡している。


 そして三歩目を踏み出した瞬間――


「がッ……!」


 天井の隅に潜んでいたフラムが落下。


 その僅かな時間で紅炎の短剣を生み出し、青年の首目掛けて振り下ろしたのだ。

 それは一刀の元に彼の首を断ち切り、断末魔を上げさせること無く無力化した。


「リベルテ、こいつの顔をコピーしておけ。このあと役に立つかもしれない」

「わ、分かりました」


 フラムの言に従ってリベルテは事切れた青年の頬に触れた。

 そうすることによって、彼女は変身できる姿を増やせるのだ。


 彼女が手を離すと、それを待っていたかのように転移者の青年の身体が黒い粒子と化して消滅した。


「少し焦りましたね。ここで見つかるのは得策ではありませんので」

「ま、瞬殺したし結果オーライでしょ☆」


 アヴェルスが深く息を吐いた隣で、プリエが指で丸を作りながら笑った。


 それを横目にフラムは食料庫の出入り口に近づき、壁に背中を付けながら外の様子を伺った。


「警備はいないようだ」


 赤い絨毯がどこまでも続く長い廊下には人の気配は無かった。

 それを他の三人に伝えたフラムは警戒を怠ること無く、食料庫から廊下へと出た。


「この突き当たりに二階へと繋がる階段があります」


 彼に続いたリベルテが、食料庫を出て右手側に伸びる道を指差して足を向ける。

 この城に住んでいた彼女の言葉に従い、他の三人もそちらの方向へと駆け出した。



 食糧庫の階段手前の曲がり角に差し掛かったとき、その奥から話し声が聞こえてきた。


 そのためフラムを先ほど始末した転移者の姿に変身させ、他の三人は近くにあった部屋に身を隠した。


 曲がり角に現れたのは二人の転移者で、フラムは彼らに話しかけて隙を突き、左右の紅炎の剣で二人纏めて切り伏せた。



 そんなことがありながらもフラムたちは二階への階段にたどり着き、上階へと歩を進めていた。

 階段にも赤い絨毯が敷かれており、踏み込む足を優しく受け止めてくれている。


 踊り場を経て何度か折れながら階段を登っていき、二階に辿り着いた彼らはそこから真っ直ぐ伸びる通路を進んでいた。


「リベちゃんリベちゃん?」

「はい、なんでしょうか?」


 フラムを先頭に警戒しながら廊下を歩いているリベルテに、隣のプリエが声をかける。


「お城ってこんなに人がいないもんなの?」


 食料庫から二階までを駆け抜けてきたが、それまでに出会ったのは初めに食糧庫で遭遇した転移者一人とそのあとに遭遇した二人、計三人のみだ。


「いえ、本来であれば衛兵やメイドの方がいるのですが……」

「奴らに処分されたんだろうな」


 会話を背中越しに聞いていたフラムが口を挟んできた。

 その言葉に表情を歪めたリベルテを見て、プリエが彼の背をばしんと叩いた。


「フー君デリカシーなさすぎ~。もっとこう、気を遣ってさ~」

「……すまない」


「ふふっ……!」


 プリエの指摘で素直に謝ったフラムがおかしくて、リベルテはつい吹き出してしまった。


 その様子をアヴェルスは暖かな視線をもって見守っている。


 そうこうしている間に歩いている道が突き当たりに差し掛かり、左右の分かれ道となっていた。


「ここを左に行くと大階段の踊り場に出られます。そこから続く階段を登れば王の間です」

「一気に行くぞ」


 曲がり角で道の様子を伺っていたフラムの合図に従った三人は分かれ道を左へと進んだ。

 そして誰もいない廊下を駆け抜け、踊り場を一直線に目指す。


「っ……!」


 王の間に近付くにつれて、リベルテの胸には緊張感が募りつつあった。


 約三年前、この国を亡命してからずっと願い続けてきた国の奪還。

 それが今、目前のところまで迫ってきているのだ。


 強大な敵に立ち向かう不安を振り払いながら、リベルテは床を蹴り続けた。

 そして強く瞼を閉じ、再び開いたとき――



「ぇ……?」



 彼女の視界は薄青い水に占められていた。


「「!?」」


 一行の中盤を走っていたリベルテだけが水の球体に捕らわれるという事態に、フラムたちは目を剥いていた。


 しかし咄嗟に判断を下したアヴェルスが刀を抜き放ち、その水球を一刀両断する。


 刃が触れた瞬間に水の球体が凍り付き、瞬きの後には全体が瓦解してリベルテが解放されていた。


「ごほっげほっ!」


 あの一瞬でも水を飲み込んでしまったようで、彼女は地面に座り込みながら盛大に咳き込んでいた。


「リベちゃん!」


 そんなリベルテにプリエが駆け寄り、前方をフラムが、後方をアヴェルスが警戒するという布陣が一瞬にして完成した。


「あの一瞬で僕の水を斬り裂くとは、なかなかやりますね」


 その声は大階段の踊り場へと続く廊下の、誰もいないはずの空間から聞こえた。


 直後、進行方向の空間の一部が歪み、白い蒸気を伴って人影が現れた。


「ラドルフには申し訳ありませんが、こちらのルートが正解だったようですね」


 突如として現れた黒髪黒瞳の青年は、右手で眼鏡のブリッジを押し上げながら小さく笑った。


「っ……! あなたは……!」


 流れ込んだ水を全て吐き出したのか、喉元を抑えながら彼に視線を向けたリベルテははっとしたような表情を浮かべた。


「お久しぶりですね、姫様。ボクはアレイ、覚えていらっしゃるでしょうか?」


 アレイと名乗る転移者の青年は、恭しく一礼してリベルテに笑いかけた。


「もちろん……!」


 彼はリベルテが亡命する際に追ってきた転移者の片割れだ。

 そしてきっとラティラを――。


「昔話は後でたっぷりいたしましょう。まずはこの邪魔者たちを排除します」


 柔らかな笑みから一転、アレイはフラムに冷たい視線を送りながら、右腕を振り上げた。


 直後、彼の腕を水が覆い尽くし、振り下ろされた手刀から水の刃が放たれた。


「ッ……!」


 それを迎え撃つため、フラムは紅炎の短剣を生成し、振り払った。


 衝突と同時に水刃が紅炎を伴って爆散し、周囲に細かな雨を降らせた。


「悪手ですね」


 その光景を見てにやりと笑ったアレイは、フラムの方へ手をかざした。

 すると周囲の雨が凝結し、何本もの水の剣が形成された。


 それは切っ先を全てフラムたちに向けており、彼の挙動に合わせて一斉に降り注いだ。


「【絶華咲輪(ぜっかしょうりん)】」


 剣の切っ先が迫りくる中、アヴェルスの声と共に廊下全体に霜が降り、上空に形成された水の剣が全て凍り付いた。


 直後、蒼き斬撃が放たれ、それらの全てが打ち砕かれる。


 しかしそれだけでは終わらず、アヴェルスの姿が掻き消え、一瞬でアレイの懐へと移動していた。


「【蒼馬の太刀】」

「ッッ……!」


 冷気を纏った刀に、高速移動の風圧が乗せられた強力無比な一撃がアレイに襲いかかる。


 咄嗟に反応して水を纏わせた手刀で受け止めたアレイだったが、その水は凍り付き、振り切られたアヴェルスの剣撃によって遙か後方にまで吹き飛ばされた。


 アレイの身体はフラムたちの横を目にも止まらぬ速さで駆け抜け、その軌道上に真っ白な霜の軌跡を残していた。


「みなさま、この隙に先へ行かれよ。あの転移者の相手は拙者が適任でしょう」


 目の前で繰り広げられた絶技に言葉を失っていたフラムたちは、彼の言葉ではっとして小さく頷いた。


 アヴェルス・アイオライトは【盟約の朱ヴァーミリオン】内で白兵戦最強と謳われている剣士である。


 そんな彼ならば、ヴェルクリエの右腕の一人であるアレイにも負けるはずが無いと考え、この場を任せる判断を下した。


「アヴェルスさん、お気を付けて……!」

「承知」


 アヴェルスの横を通り抜ける際、リベルテは彼の瞳を射貫いて心からの言葉を放った。

 それに小さな笑みを返し、彼はアレイが吹き飛んでいった方向に歩を進めていった。


「さて、参りましょうか」


 フラムたちが去っていた事を確認したアヴェルスは長大な刀を横に一薙ぎし、アレイが吹き飛んでいった方向に小さな笑みを向けた。


 彼の周囲には冷気が漂っており、高い位置で結ばれた藍色の長髪がゆらゆらと揺れていた。

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