第23話 無駄じゃなかった

 路地裏に消えたフラムたちは一番近くにあった転移陣に飛び込み、一旦【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】へやってきていた。


「フラムさん、もう大丈夫みたいです」


 リベルテはフラムに抱きかかえられながらも、拳を握ったり開いたりして自身の身体に自由が戻っていることを確認した。


 それを見たフラムは彼女の身体をそっと地面に下ろした。

 否、そこは地面ではなく館を囲む湖の上で、周囲には人垣が出来ていた。


「すごい人数ですね……」

「あぁ、戦場になる城下町から住民を一時的に避難させているからな」


 ヴェルクリエたちとの戦いを始める際、住民たちの安全が最大の懸念であった。


 しかしヴィオレが一時的に【慈母の箱庭】に避難させてはどうか、という提案をしてきたため、城下町の住民全てを転移させているのだ。


 この場所は館の周囲の大半が浅い湖になっているため、一時的にであれば城下町の住民全てを避難させることが可能だ。

 それにヴィオレの能力はこの空間内にあらゆる物質を創造出来るため、湖の上に石畳を敷いたり、椅子やベッドなどを設置することも出来るのだ。


「本当に信じられない能力です……」


 日々をこの【慈母の箱庭】で過ごしているから忘れがちだが、世界から乖離した位相にこのような空間を作り、数十年も維持しているヴィオレの力は底知れない。


 数多の能力を模倣してきたリベルテだが、行使できるのは一日につき一度のみ、という制限上ヴィオレの能力はまともに再現できない。

 行使したとしても何か物を一つ作れる程度で、それだけで終わりなのだ。


「あら、フラムくんにリベルテちゃん~」


 周囲の人混みに目を向けていたリベルテたちに、背後から間延びした女性の声が届く。


 振り返ると紫色の衣装に身を包みとんがり帽子を被った、魔女然としたヴィオレがこちらに微笑んでいた。


「ヴィオレ、俺たちをスラムの方へ飛ばしてくれ」


 彼女の姿を認めたフラムは、早々に話を切り出した。


 情報収集後の作戦会議で少しの変更点があった。それはリベルテが正面で姿を見せて敵を殲滅し、そのあとに王家の隠し通路側へと転移して王城へと侵入する流れとなったという点だ。


 そうすることで、より多くの転移者を城下町に引き付けることが出来るのではないか、とリベルテが提案したのだ。


 二人は王家の隠し通路に転移するため、城下町の転移陣から【慈母の箱庭】へと一旦転移してきている。


「ちょっと待ってね~」


 フラムの言葉を聞いたヴィオレは、紫色の燐光が灯る人差し指を空中で踊らせた。

 するとフラムたちの足下に同色の光を放つ魔法陣が発生した。


 直後、暖かな感触がフラムとリベルテを包み込んだ。


「絶対、帰ってくるんだよ……?」


 陣の上にいる二人をヴィオレがまとめて抱き締めたのだ。


 彼女の体温と芳しい香りに、先ほど開戦の火蓋を切って落としたことで高ぶっていたリベルテの神経が、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「あぁ」

「はい、必ず……!」


 彼女の優しい言葉にフラムはいつも通り不愛想に返し、リベルテは柔らかな笑みを称えて答えた。


 返事を聞いたヴィオレが二人から離れると、フラムたちの足下の魔法陣が一際強く輝き始めた。


「いってらっしゃい」


 紫の光に包まれるフラムたちに向けてヴィオレは微笑み、二人が小さく頷いた瞬間、その姿が光と化して転移した。


「みんな、無事に帰ってきてね……!」


 フラムたちが転移した燐光が立ち上る夜空を見上げて、ヴィオレはミロワルム王国奪還戦に身を投じている団員たちに祈りを捧げた。



   ◆ ◆ ◆



「おっ! フー君とリベちゃん来たよ☆」


 隠し通路がある、転移陣が描かれた城壁前に転移したフラムたちを出迎えたのは、その前でスラム街の住人を案内しているプリエであった。


「お二人とも、お待ちしておりました」


 彼女の声に気付いたアヴェルスが、城壁の前に立った住民たちに転移陣へ手を触れるよう促しながらフラムたちに視線を向けた。


「団長は向こう側に居られます。アルジャ殿も共に」


 それを聞いたフラムとリベルテは住民たちとすれ違うように隠し通路を通り、内部へと入っていった。


 アルジャの小屋を出ると、眩い純白の長髪を背に流す青年の背が見て取れた。


「お、来たか」


 フラムたちの気配を察したのか、彼はゆっくりと振り返り、フラムと視線を交錯させた。


 雪のような純白の長髪に紅玉の如き双眸。小さな笑みを浮かべているため優しげな風貌ではあるものの、纏う雰囲気は強者のそれである。


「上手くいったようだな」


 彼こそが転移者根絶を目指して暗躍する【盟約の朱ヴァーミリオン】の団長、ルティム・ゴーシェナイト、その人だ。


「釣れた転移者はリベルテの一撃で約半数が消えた。残りの半数が他の団員と交戦してるはずだ」

「……そうか。リベルテ、辛かったんじゃないか?」


 その報告を聞き、ルティムはリベルテに心配そうな視線を向けた。


 彼はリベルテが転移者を殺すことに躊躇いを覚える優しい子だと知っている。

 だから何人もの転移者を葬って、心が摩耗しているのではないかと心配したのだ。


「大丈夫、と言ったら嘘になりますが……。私はこの国を取り戻すと決めました」


 リベルテは衣服の胸元をぎゅっと握りながら、絞り出すように答えた。


「私はもう迷いません。この手をどれだけ汚しても、絶対に大切な場所を取り返します……!」


 掌に視線を落としたリベルテは、それを握り込むと同時にルティムの瞳を見つめた。

 彼女の瞳には決意の色が見て取れて、もう揺らぐことはないということが理解できた。


「分かった。ならここの案内は彼に任せて、俺たちは行こうか」

「彼……?」


 首を傾げながらルティムの視線を追うと、そこにはスラムの住民を先導する少年の姿があった。


「ぁ……。アルジャ、さん……」


 その姿を認めたリベルテは、本来のリベルテ・セレスタイトの姿として彼に会うことに戸惑いを覚えていた。


 先日ここで会ったとき、彼女は変身して正体を偽っていたのだ。

 けれど今は亡国の姫としてこの場にいるため、誤魔化すことは出来ない。


「ルティムさん、これでスラムの住人は全員だ。お、フラムも来てたのか」


 アルジャはスラムの住人を先導してルティムの前に現れ、隣にいるフラムに気付いた。

 そして更に視線をスライドさせて、横にいるリベルテに向けた。


「隣にいるの、は……!!」


 その視線に身を硬直させたリベルテは、彼が続ける言葉を静かに待っていた。


「あぁ……本当に生きて……」


 絞り出したようなアルジャの声に顔を上げると、彼は顔を歪めて今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。


「オレは王族の挨拶で遠目に見たことがあるだけだが、あいつが語ってた通りの美しい姫さまだ……」


 彼が語る『あいつ』というのは彼の姉であり、リベルテのメイドであったラティラのことであろう。


 彼女はそのことに気付き、ちくりとした胸の痛みを感じていた。


「貴方の姉君は、最期まで懸命にその使命を全うしました」


 しかしその痛みを堪えて、リベルテは凜とした表情で語り始める。


「私にとってラティラは家族のように大切な者でした……。私を逃がすためにその命を落としましたが、彼女はここで生き続けています」


 リベルテははっきりと言葉を口にしながら、そっと自身の胸に手を当てた。


「姫、さま……」


 王族然とした振る舞いをするリベルテの言葉に、アルジャは聞き入るように真剣な表情を向けていた。


「父上や母上、そしてラティラたち……。あの日散っていった全ての者たちの魂を背負って、私はこの国を必ず取り戻す。だからもう少しだけ待っていてください」


 厳然とした表情で言い切ったリベルテは、最後の一言で表情を崩して優しげに笑った。

 そんな彼女の優しさにアルジャは心打たれ、涙を流していた。


「あいつの魂はあなたの中にある……。あいつの犠牲は決して無駄じゃなかったんだ……!」


 涙を零しながらアルジャは両手の拳をぐっと握りしめ、強大な敵に立ち向かおうとするリベルテに感銘を受けていた。


「行きましょう、フラムさん、ルティムさん」


 隠し通路の方に振り返ったリベルテはフラムたちに声をかけ、彼らは無言で彼女の後を追った。


「待ってくれ! オレもついて――」


「アルジャ、お前は城下町を見回って、逃げ遅れた住民がいれば転移陣の元まで案内しろ。こっちは俺たちが必ず成し遂げる」


 リベルテたちが向かう先にアルジャもついて行くと言おうとした矢先、フラムが機先を制したように言葉を重ねた。


 半身で振り返ったフラムの瞳には決意の光が宿っており、アルジャは言葉を呑まざるを得なかった。


 遠ざかってくリベルテの背を歯がゆい思いで見送りながら、アルジャはあちこちで火の手が上がっている城下町へと駆けだした。



「これで全員揃ったな」


 スラム街の住民を全員【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】に転移させた後、狭い隠し通路の中でルティムが発言した。


 この場にいるのはフラム、リベルテ、プリエ、アヴェルス、ルティムの五人。

 このメンバーが敵の頭目であるヴェルクリエを討つ本隊である。


「リベルテ、ここが王族の隠し通路で間違いないんだな?」

「はい、私の血に反応して開くはずです。アヴェルスさん、お願いできますか?」


 隠し通路の内壁に視線を遣りながら問いかけてきたフラムに対し、リベルテが小さく頷く。

 そして彼女はアヴェルスの方に右手を差し出しながら問いかけた。


「仲間に刃を向ける事は忍びないのですが、承知しました」


 困ったような表情を向けたアヴェルスだったが、彼は腰の刀に手を当てながら頷く。


 刹那、銀閃が煌めいたと思った後にはアヴェルスが刀から手を離していた。


 リベルテには刀身が抜かれたところさえ見えなないほどの早業であった。

 その数秒後、リベルテの親指の腹に薄らと線が引かれ、そこからほんの少しだけ血が滲んできた。


「あ、ありがとうございます……」


 リベルテはその様子を他人事のように眺めていたものの、はっとしたようにお礼を口にした。


 それもそのはず。

 刀で斬られたにも関わらず、リベルテは痛みどころか何かが触れた事すら知覚できなかったのだ。


 アヴェルスの剣の絶技に驚愕しながらも、リベルテは血が滲んだ親指を隠し通路の内壁に押しつけた。


 すると触れた場所を中心として赤い光の線として幾何学模様が広がっていき、扉の形に壁が薄らと燐光を放つ。

 そしてその部分が吸い込まれるように壁の上部へと収納されていった。


 直後、通路を開いた者を歓迎するかの如く、左右の壁に掛けられたカンテラがひとりでに灯された。


 暖かな色の炎に照らされているものの、城壁に沿って歪曲しているため奥を見通すことは出来ない。


 それにこの道は強大な力を持つ転移者 ヴェルクリエの居城に繋がっているのだから、精神的にプレッシャーを感じるのは仕方がないことかもしれない。


「行きましょう……」


 リベルテが意を決して一歩を踏み出すと、それにフラムたち四人も続いた。


 そして全員が隠し通路に足を踏み入れ、リベルテは通路の入り口を閉じるイメージを思い浮かべた。

 すると地響きのような重低音を伴って上部から石壁が下がってきて、やがて隠し通路の入り口を完全に閉ざした。

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