第21話 決戦前夜

 フラムたちはその後、ミロワルム王国城下町のに描いた転移陣から【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】へと帰還した。


 そして持ち帰った情報を元に作戦を詰めていき、準備期間を経て作戦決行の前の晩を迎えていた。


 【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】には普段とは異なる緊張感が漂っており、どこにいても落ち着かない様子である。


 そんな中、フラムは妹のエクレールが眠る部屋へと赴いていた。


 いつ足を運んでも、彼女は永い眠りについたままだということは理解している。

 それでも彼は頻繁に彼女の様子を見に来てしまうのだ。


「……」


 彼女の首の傷を覆う溶けない氷。

 それを見ると、フラムの人生を決定的に変えた日のことを思い出す。


 決して忘れることのできない、鮮明に焼き付いた悪夢のような記憶。


 エクレールが流していた大量の血が、今も瞼の裏にこびりついて剥がれない。


 あの時のフラムはもう、エクレールの命を諦めてしまっていた。


 けれどルティムの、【盟約の朱ヴァーミリオン】のおかげで彼女はなんとか生きながらえている。


 時が止まってしまったかのように変化は無く、自力では覚めることのない夢幻に捕らわれているが、確かにここにいる。


 触れると暖かな温もりが伝わってくる。


 それだけでフラムの心は救われているのだ。


「……?」


 エクレールの手に触れて瞼を閉じていたフラムの耳に、木の扉をノックする音が届いた。

 時刻はもう丑三つ時に近い深夜だ。


 こんな時間にいったい誰がこの部屋に来るのだろうか、と思いつつ彼は扉の方まで歩み寄っていき、向こう側にいるであろう何者かに問いかける。


「誰だ?」

「あ、やっぱりここにいたんですね。私です、リベルテです」


 帰ってきた返事は深夜だからか、声を潜めたリベルテのものだった。

 来訪者の正体が分かったフラムは扉を開き、彼女を部屋に招き入れた。


「自室にいらっしゃらなかったので、こちらにいるかな……と」


 リベルテはおずおずと来訪の理由を説明し始めたが、フラムに促されて部屋へと足を踏み入れた。


 今は【慈母の箱庭】も日が落ちて闇に包まれているため窓から光が差し込まず、部屋にはフラムが点したカンテラの光だけが満ちている。

 彼が灯したからといって紅蓮の光を放っているわけではなく、その光は柔らかく暖かいものだ。


「それで、こんな時間にどうしたんだ?」


 フラムはカンテラが置かれている丸テーブル付近に歩み寄る。

 そこに置かれている椅子に腰掛けながら、リベルテに問いかけた。


 入り口では薄暗くてよく見えなかったが、彼女は寝間着姿でこの部屋に来たようだ。


「いえ、大した用事ではないんですが……」


 リベルテは小さく身体を揺らしながら言い淀んだ。

 それに合わせて膝下あたりまで丈がある、白いワンピースタイプの寝間着の裾がひらりと揺れた。


 端的に言えば、彼女が纏っているのはネグリジェと称されるものだろう。


 胸元から肩にかけての襟部分には細やかなレースが施されており、膝上あたりから端にかけての裾には透け感のある素材が用いられている。


 シンプル故に着る者を選ぶ衣装だ。

 しかし美しい白銀の髪と整った容姿を備えるリベルテは、処女雪のように清廉なネグリジェを完璧に着こなしていた。


「少し、外に出て話しませんか……?」


 ほんのりと頬を染め、上目遣いに提案してきたリベルテにフラムは小さく頷きを返した。


 ネグリジェ姿の彼女にそんな表情をされたら、大概の男は頬を赤らめたりするのだろうが、彼は表情を変えることなく部屋の出口に向かっていった。


 それにとことことリベルテもついて行き、彼女の手によって部屋の扉がそっと閉じられた。



 フラムたちが会話場所に選んだのは宮殿の正面側、最上階のテラスであった。


 五階建ての最上階は見晴らしが良く、周囲に広がる鏡面のような湖が端まで見渡せた。


 ここ【慈母のエレオティナ・箱庭ガーデン】は疑似の太陽と月が入れ替わりで昇沈を繰り返している。

 その周期は外の世界と同期しており、日中であれば太陽、夜半であれば月が昇るようになっているのだ。


 今は深夜なので、月が真っ暗な夜を照らして幻想的な雰囲気を演出していた。


 鏡面のような水面に姿を映している月とその虚像は、まるで離れ離れになってしまった双子のようで、どこかもの悲しさを感じる。


 しかし青白い月光が湖の水に反射している様子には得も言われぬ感動があり、リベルテは息を呑んでその光景を眺めていた。


「……眠れないのか?」

「えっ、ぁ……」


 外の光景を眺めていたリベルテは、背後から声をかけられてはっとした。

 それはフラムの口にした内容が的確だったためである。


「明日の標的はお前にとって因縁がある転移者だからな。気持ちは痛いほど分かる」

「あはは……。フラムさんにはお見通しでしたね……」


 振り返ったリベルテは苦笑いを浮かべながら、フラムへと向き直った。


「ずっとこのときを待ちわびていました。けれど彼を前にして私は動くことができるのか、なんて不安になってしまうんです……」


 不安そうに目を伏せたリベルテが口にした『彼』というのは、ミロワルム王国を支配している転移者 ヴェルクリエのことだろう。


「半年間だ」


「え?」

「半年間、俺はお前が変わっていくところを見てきた。始めのうちは人に刃を向けることさえ出来なかったお前が、戦えるようになったんだ」


 リベルテが【盟約の朱ヴァーミリオン】に入ってから、フラムは彼女がもがく姿を隣で見てきた。

 そんな彼が言うのだから、リベルテは間違いなく成長しているのだろう。


「今も転移者に情けをかけるような甘いところはあるが、それはきっとお前が持つ美徳だ。俺にはもう無い、無垢な心だ」

「フラムさん……」


 彼が引き合いに出したのは数日前の転移者 中島海人の処分についてだろう。

 リベルテは作戦に反して暗殺対象である彼に、美しい眺望を見せてから作戦を実行した。


 転移者がいずれ黒に染まってしまう危険な存在だとしても、リベルテは何も知らない転移者を殺すことにはまだ躊躇いを覚えているのだ。


「その心を捨てろとは言わない。けど明日の敵は明確な悪であり、お前を縛っている鎖だ。倒さなければお前は前に進めない」


 フラムはリベルテの瞳を視線で射貫きながら、平坦な声音で語った。

 そこにある信念を理解し、リベルテも視線を交わし続けた。


「【盟約の朱ヴァーミリオン】はそのために全力で力を貸す。お前を縛っている鎖があるのなら、俺が断ち切って燃やし尽くしてやる」

「ありがとう、ございます……」


 リベルテは震える声を必死に抑えながら頭を下げた。

 それに伴って白銀の髪が肩から落ち、月光を反射しながらさらりと揺れた。


「本当に、フラムさんには助けられてばかりですね」


 頭を上げたリベルテは指で左右の目尻を拭いながら、フラムへ柔らかな笑みを向けた。


「俺は何もしていない」

「してくれていますよ。転移者の手に落ちた私を救い、諦めていた国の奪還まであと一歩のところへ導いてくれました。あなたがいなかったら、私はもうとっくに命を落としていたかもしれません……」


 ミロワルム王国から亡命し、その先で平穏な日々送っていた彼女は別の転移者に捕らえられてしまった。

 それを救ったのは目の前の少年であり、進み続ける彼の背を追ってリベルテはここまで来られたのだ。


 フラムがいなければ国の奪還など夢のまた夢であったはずなのだから、感謝してもしきれないほどの恩が彼にはある。


「だから改めて言わせてください。私を助けてくれて、ありがとうございました」


 リベルテは深々と頭を下げ、フラムへの感謝の想いを口にした。


 彼女は流れるように、そのまま言葉を継ぐ。


「そしてあと少しだけ、あなたの力を私に貸してください」


 国の奪還というリベルテの目的は、きっとフラムの力無しには果たせない。


 彼の返答など分かり切っているにもかかわらず、リベルテは彼の口から言葉を聞きたかった。


「……あぁ。俺が必ず道を切り拓いてやる」


 フラムは小さく頷き、自身の掌に視線を落として拳を握り締めた。

 そんなフラムにリベルテは満面の笑みを返す。


 彼はそれを一瞥した後、リベルテが背にしている月を見上げた。

 彼女もその視線を追って振り返ると、そこには美しい正円の満月が浮かんでいた。


 そんな美しい月を眺めていたのは彼らだけでは無い。

 桃色の髪の少女や藍色の髪の青年たちを始めとする【盟約の朱ヴァーミリオン】の団員の多くが自室から空を見上げ、決戦前夜の静かな夜を過ごしていた。

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